バカ犬

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イタリアから見た日本

2012-06-30 | Weblog
こ3週間余りイタリアにいた。

日々、ニュースで日本のことを気にしてみていたが、全くといっていいくらい日本は登場してこない。国際政治の上からは従来以上に軽視されつつあるようだ。

唯一報道されたのは、大飯原発の再稼働。
福島の原発事故以来、なんの基本的な政策決定が行われたわけではないのに、いつのまにか大飯原発の再稼働が決まったことを、皮肉を込めて報道していた新聞のみ。

日本は、原発の再起動をどう考え、どう判断したのかは全く分からないと言われているわけだ。

帰って来てみると、将来のエネルギーの基本構想もないまま、「今までどうり安全です」と言いつのって問題を避けて通っている様子。馬鹿みたい。

イタリアの人は、世界中を森閑とさせた原発事故の教訓から、日本はどう舵を切るのかと見ていたようである。しかし、これではドイツのように政治家の判断で将来、エネルギーを原発に頼らないと決めたのと対照的だ。国際社会の常識からみると、今回の再稼働の決定の判断の材料が、全く科学的に説明されていないのは不思議なのだ。

実は、アメリカも原子力の将来性に見切りをつけたようだ。
さらには、中東へのエネルギー依存を捨てるとまで言っている。

もう一つ、彼らが忘れていないのは、いま現在、日本の原発事故の本当の原因解明と、どのように人類がコントロールできない技術と今後付き合っていくのかという点でもあるようだ。人間がコントロールできないものは、人間は使わないというのが常識のようでもある。

そんな中で、野田総理が「首を垂れて」国民に安全を誓って再稼働に踏み切った日本の政治は、政治家は判断を放棄し、自らから起こした事故の根本的原因解明と、それを踏まえた政策的方向の決定を怠っていると映るのは否めない事実だ。

今現在も、福島の収束技術は確立していないばかりか、依然として行方の分からない3基の原子炉をメルトスルーした核燃料のマグマが、今後、どう放射線をまき散らすのか、あふれ出ている汚染水を地球上にばらまくのではないかと、疑ってみているようだ。

能天気な日本は、害でしかないない骨董品の小沢一族とどう対峙するかという、ちっちゃな、ちっちゃな世界で蠢いているようにも見える。

もう世界政治の場で日本が指導的な立場に充てるとは思えないし、彼らは日本を気にしてはいない。

EUの今後を含めて、世界のキイプレーヤーは、アメリカ、中国、ヨーロッパ、そしてロシア、インド、イスラム圏、ブラジルの動向に目が向いている。日本は存在していない。

ヨーロッパで作られたヨーロッパを中心として描くメルカトール図法の地図で、世界の端からこぼれ落ちそうな日本なんて、相手にしてもらえないというわけだ。
確かに「極東」だ。

エウロの揺らぎの中で、イタリアも大変なようだけれど、どっこい、一般民衆は自分の世界、生活を楽しんでいるのがよく見える。

イタリアは基本的には自給自足が十分できる食糧生産国だ。
広い国土の揺らぐ黄金の麦秋、美しく水を張られたコメの田。
タンパク質を生み出す家畜たち、その餌の牧草の完全自給。
そして、決して放棄されてはいない農業、ここから野菜が、油が、みんな自給できる。
ぶどうを大切にしているから、ワインには心配はない。
地中海の漁業で、町の市場は庶民でごったがえしている。生活を楽しんでいる。

住居に関していえば、日本のように、木造建築で50年に一回は建て替えなければならない状況は嘘のよう。500年も同じマンション(アパート)を手入れしながら、大切に使っている。無駄な建て替えという概念さえない。
家族は、歴代、同じマンションに同じように、金をかけずに住んでいるわけだ。
そういう意味では、地域社会は健全で、ずっと人たちの当たり前の存在だ。

EUがよし崩れようが、自分たちはどっこい生きていけると自信満々。
エネルギー源はちょっと不安のようだけど、どうにかなるさってな具合だ。
だから、「エウロカップ2012」の動向の方が、エウロの動向より彼らの関心事項だ。
イタリアvsイングランドの引き分けの24日、僕のホテルの前の広場では夜の2時くらいまでは大騒ぎ。28日にドイツに勝って、明日7月1日は勝っても負けても、イタリアの夜は眠らないだろう。

こんな視点で見ると、日本の真の貧しさが見えてくる。
日々の自転車操業頼みの貿易立国(?)という、不安定さが露見して見える。
しかし政治はこんな現実から遊離している。