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「太陽の子守歌」第一部1-30

2020-09-07 11:32:28 | 実録🌞太陽の子守歌★第一部・第二部

「太陽の子守歌」第一部1-30

一 太郎、生まれ来て


「おなかの赤ちゃんは駄目かもしれません。
ご主人にも説明しましたけど」
アキコ
産婦人科の先生が、分娩台に寝ている璃子
の目を見て言った。カルテの裏に描いた図に
は、産道から赤子の頭が出かかっていて、産
道と頭の間にへその緒がのぞいている。
「へその緒がつぶれてしまったらしく、一時
心音が聞こえなくなってしまったんです。そ
のままにして置けば完全に胎児は死にますの
で、とにかくへその緒は、中へ押し込めまし
たけど。危険な状態です」
医者の言う意味が理解出来ないでいた。
太ももに何本も陣痛促進剤が打たれる。助
産婦のかけ声と一緒に、何度目かの力みの後
に体が楽になった。
「男の子一人儲けた」
医者が叫んだ。
「無事だったんですか」
璃子の問には答えがない。
グァーッ、ガァーッと吸引器の音がする。
しばらく続いた後静かになった。
「ほら、お母さん。坊ちゃんですよ」
助産婦が、夫正志を小さくしたような顔の
赤子を抱きあげて、璃子に見せた。赤子は産
声も上げずに肩で息をしている。
「ちょっと心配なので一晩保育器に入っても
らいましょう。明日の朝にはお母さんの側に
連れていきますからね」
翌朝、なかなか赤子を連れてこない。
正志が、院長室に出向いて行った。
一週間が過ぎ、璃子が退院しても太郎と名
づけられた長男は保育器の中にいた。
脳障害の疑いがあるので。と東京の大学病
院に転院を勧められる。酸素ボンベを積んだ
医者の車で、看護婦が太郎を抱き正志が付き
添って出かけたのが、生後十日目であった。





二 脳障害

大学病院に入院した太郎は、生死をさまよ
っていた。ずっと危篤状態が続いている。正
志は、毎日会社の帰りに病院に寄って、太郎
の様子を見続けた。
生後二十一日目。太郎はこの日が山と言わ
れた。璃子は義母と一緒に病院に行った。正
志の会社の人達や、璃子の姉妹も来ている。
皆、無言のまま保育器の中の太郎を見ていた。
太郎は、体重二千五百グラムで生まれたの
だが、今は千九百五十グラムに減っていた。
目を閉じたまま動かない。首の付け根の血管
だけがピクピクと生きている事を示していた。
璃子は太郎の主治医に呼ばれて医務室に入
った。若い医者はカルテを見ながら「生まれ
た時の状態を聞かせて下さい」と言った。
璃子は知るかぎりの事を話した。
「お母さんの話と産院からのカルテの写しと
こちらでの所見を総合しますと、お子さんは
脳内無酸素状態による脳障害が疑われますね。
なんとか生きられても、手足は動かないでし
ょうし、目は見えない、口もきけないと思い
ます。それでもお母さん、育てなければなり
ませんよ。私達医者は、患者さんを生かす事
に全力を注ぐのが勤めです」
太郎は危篤状態のまま一か月が過ぎた。
「太郎はどうなるのだろう」
床に入った正志が暗やみの中で言った。喉
を絞めつけられているような声だ。
「・・・・・・」
「育てるのは大変だ。昔だったら生きられな
いし、生かされなかったよね」と、誰かが言
っていたのを思い出す。
〃間引く〃の文字が脳裏を過った。
璃子は暗やみの中で目を見開いた。
「一度も抱いていないのよ。あたし」
「・・・・・・」


三 子守歌

冷静に考えれば、確かに、手足も目も口も
不自由な子供を育てるのは大変だろう。だが、
生まれ来た命はその者のもの。誰の手でも操
作出来るものではない。医者が言った「覚悟
して育てて下さい」との言葉を心に刻んだ。
太郎の体力がついてきた。鼻からチューブ
で胃にミルクを入れたのがよかったらしい。
今日は手足を動かした。今日は、どうやら目
は見えるみたいだって看護婦が言っていた。
耳も大丈夫らしい。と毎日正志が病院に通っ
ては、璃子に報告する。
一か月半の危篤状態から抜け出して、やっ
と自分の口でミルクを飲めるようになった。
日毎に体力と体重が加わっていく。医者に
宣告された脳障害のことも、忘れてしまって
いた。
三か月後。昭和四十三年の暮れ退院した。
太郎は、環境の変化に敏感に反応した。璃
子の抱き方が気にいらないらしく泣き、ベビ
ーベッドの寝心地も悪いのか泣く。ミルクの
味も好みに合わないのか泣いた。璃子は抱き
続けた。床に入る事も出来ず、太郎を抱いた
まま炬燵の中で過ごした。
太郎は、特別障害らしいものは出ていなか
った。ただ、ミルクを飲む時に、首を右側に
ひねって飲みづらそうにする。それに、百C
C飲むのに一時間もかかった。
体重はやっと三千グラムになった。
璃子は初めての子育てに疲れ切った。太郎
の激しい泣き声を聞きながら、神経だけが眠
ってしまい、身動き出来ないままいた時もあ
った。太郎が退院して二か月過ぎた頃、璃子
は、体の変調に気づいた。太郎の三か月間の
入院中、母乳を飲ませなかった体は、すっか
り体力を回復していて、すでに二人目の妊娠
をしていた。


四 二つ目の命

「おめでたですよ。でもお母さん、今度はど
うしますか」
医者が聞いた。
「どうって? 生みます。生みますよ」
「そう。それが一番いいですよ。だけど」
太郎の出産を手がけた医者がそう言ってか
ら、太郎君は今どのような状態かと聞いた。
「脳障害があったと思ったのだが」と口の中
で言った。
生後五か月の太郎には何の障害もないよう
に見えた。
「璃子どうするつもりだ」と正志も聞いた。
「どうするって、生むわ」
「そう。大変だと思うよ」
「うん。それは解ってるけど」
「俺はいいけど。育てるのは璃子だからね」
都心から四十キロ圏の新興住宅地に、十坪
程の建売住宅を買ったのは昭和四十二年夏。
太郎が誕生したのが四十三年九月末。そして
二人目の出産が、正志二十八歳、璃子二十七
歳の夏である。
太郎はよく泣いた。
泣く度に、股関節に近い右下腹が膨らんで
くる。定期検診の時脱腸だと言われた。
「カントンが一番心配なんですよ。それだけ
には気をつけていて下さいね」
大学病院の若い医師が、嵌頓とは、腸など
内蔵の一部分が出口で締めつけられて、もと
へ戻らなくなってしまう事だが、そのままで
いると、命にかかわる事もあると説明した。
そのような時は、緊急に受診するようにと言
った。
璃子はおむつ交換する度に注意して見た。
股関節に近い右下腹に、璃子の手の親指が
入ってしまう位の穴があるらしく、時々、腸
が出てくる。その度に、そっと押し込んだ。


五 カントン

正志が宿直の夜だった。太郎が泣きやまな
い。ミルクは飲ませたし、ゲップも出させた
のだから、後はおむつ交換をして寝せようと
思っていた。あまり長く泣くと嵌頓が心配だ。
おむつをはずして見た。下腹の膨らみが、大
きく出ている。親指を当てそっと押した。引
っ込まない。太郎は泣き続ける。時刻は午後
十時過ぎ。腸の太さが解るほど皮膚が張って
いる。
正志の会社に電話する。
「解った。病院にどうしたらいいか聞いてす
ぐ折り返し連絡する」
ほどなく正志から連絡が入った。
「すぐ来いって」
璃子は、入院となるのは必至のはずだと、
紙袋に太郎の着替えやタオル、おむつやミル
クなどを詰め込んでいた。
正志の会社からは、家まで車で一時間以上
はかかる。太郎の顔色が青ざめてきている。
いつの間にか泣きやんでいた。
正志は二トントラックに乗って来た。用意
した物を車に積む。太郎の顔はくすんできて
いる。太郎を抱いて璃子は助手席に乗った。
深夜の国道の上り車線はすいている。下り
車線は東京からのタクシーが、猛スピードで
何台もすれ違った。
大学病院は都内中央線沿いにあった。宿直
の医者が目礼すると、診察室のベッドに太郎
を寝かせた。下腹のふくらんだ部分は、赤黒
く色が変わってきていた。医者が指先で押し
た。太郎が泣き出す。脱腸は引っ込まない。
もう一人の医者と何事か相談した医者が、太
郎の鼻に薬剤をしみ込ませたガーゼを押しつ
けた。太郎が眠りにつく。全身の緊張がゆる
み、腸を締めつけていた部分も解放された。
明け方四時になっていた。


六 レントゲン室

緊急入院したが、太郎の体調が悪く手術が
出来ない。早い時期に手術してしまえば、今
回のような嵌頓騒ぎがなくなるのだが。
一週間で退院した。
大学病院では定期的に診察を受けた。三、
四か月に一度、成長の状態を診るとかで、手
足首のレントゲン検査があった。
そのときもレントゲン室に入り、嫌がる太
郎のそばに付き添って、両手足首の撮影をし
て出てきた。
「あれっ、お母さん。おなか大きいのですか」
若い医師が驚いたように聞いた。
「はい」
「えっ。これは大変だ。おなか大きいのを知
らなかったからレントゲン室に入ってもらっ
たのですけど。放射線の影響で、おなかの赤
ちゃんが奇形になるとか、心配なんですよ。
産科の院長と会って、話を聞いて下さい」
璃子は、今になっても首のしっかり座らな
い太郎だし、同じ位に生まれた友達の子と比
べると、やっぱり異常がありそうだと思って
いた。それに、今度は奇形の子が生まれたと
したら、どうなるのだろう。院長と話したと
ころで、もう間もなく生まれ月になるのに、
どうしようもないと思った。
正志は璃子の報告を聞くと「そうか」とだ
け言った。若い医師の言葉が、一日中頭の中
を廻っていた。何日も何日も廻りつづいた。
「次に生まれてきた子供が奇形なら、脳性マ
ヒの長男と両手に抱いて、この近くの川に入
ろう。私は泳げないし、三人一緒なら寂しく
はないだろう」
璃子の決心が固まると、ぐるぐる廻ってい
た医師の言葉は、いつの間にか消えていた。
八月二十七日。太郎が生まれて十か月と二
十七日目の早朝、陣痛らしき痛みが出てきた。


七 次男、裕次誕生

早朝から陣痛が始まった。たぶん陣痛なの
だろうと思っていた。太郎の時は、妊娠九か
月目に破水してしまい、人工で産道を広げた。
広げる為に使った器具が、途中で飛び出して
しまった。その時、へその緒も一緒に飛び出
した。それが、太郎を障害者にする結果にな
った。前回が自然に起きた陣痛でなかったも
のだから、初期の痛みが微弱なものとは解ら
ない。
産院に電話すると「とりあえず入院の準備
をして来て下さい」と言われた。
璃子は、今度の出産は無事に出来るか。胎
児には異常はないか。との心配は考えない事
にした。太郎の時は、入院した時に部屋に掛
かっていた暦を見た。仏滅であった。なんと
なく不吉な気持ちを持ったものだ。
太郎を近所の友達に預けて入院した。何の
トラブルもなくその日の午後八時過ぎに、次
男が生まれた。お産も軽く、元気な産声をあ
げている。体には何の異常も見えない。
翌日から三週間位、太郎を都内に住む姉に
頼む事にした。ミルクとおむつや着替えを用
意して、正志が太郎を産院へ連れて来た。
太郎は正志の腕の中で、璃子の顔とそのそ
ばで眠っている赤子の顔を交互に見ている。
まだ這う事もなく、言葉も発しない太郎。突
然現れた赤子に、不思議そうな表情をした。
「さぁ、行くか」
正志が太郎を担ぐように抱き上げると、も
う片方の手で荷物を持って東京へ向かった。
一週間目に退院。璃子の母も正志の母も都
合が悪く、産後の手伝いには来ない。床上げ
までの二週間は、親友の文子が七か月の娘を
連れてきてくれた。部屋の掃除をし、次男裕
次にお湯を使わせて、洗濯、買い物をする。
璃子は、文子の優しさに感謝した。


八 入信

家を買い替えた。少し広い屋敷と家。
次男の裕次は這い回っていた。長男太郎は
寝返りがやっとできる程度だ。
璃子は、片方の手に太郎を抱き、裕次を目
と口だけで育てているようなものだった。
引っ越して間もなく、璃子が洗濯物を干し
ていた時、隣の主婦が声をかけてきた。
「具合の悪い坊ちゃんがいるようですけど。
よかったら、私の母に見てもらいませんか」
その主婦の母親は、神通力があるとかで、
いろんな人を助けている。病気でも、事業で
も、悩みごと何でも。御本尊様にお伺いして、
いいように解決して頂けるのよ。と言う。
「一度、お堂へいらっしゃったら」
静かな話し方をして誘った。
璃子は、明日にも行って見ようと思った。
お堂は新興住宅地のはずれにあった。十坪
程の平家で近づいただけで線香の匂いがした。
四畳半と六畳間を続きに使って、祭壇が飾
られていた。祭壇の前には、信者らしい人々
が座っていた。一番前の真ん中に、白の着物
に黒の上着を着た白髪の老女が、太く長い数
珠を揉み鳴らして、祈っている。
璃子は、太郎を膝に抱き、裕次を自分の右
側に座らせて、縁側に近い場所に座った。
「いらっしゃい。なんでも、御本尊にお願い
しなさい。かなえてくれますよ」
老女がにこやかに言った。
隣の主婦の母親だというが、人の心までも
見透かすような目と背を伸ばした姿が、ただ
者ではないと感じさせた。
太郎を膝に乗せた老女は何事かを祈ると、
「お宅に伺って見てあげましょう」と言った。
璃子は信仰に興味を持った事はない。太郎
を授かってから、障害児とはっきり認識して
から、ずっと苦しく辛い日々であった。


九 社会福祉センター

隣家の主婦に誘われ入信して三年たった。
だんだんに、自分の信仰の対象がなんであ
るか、理解して来た。不思議に思うのは住職
とも、先生とも呼ばれる老女の人間の力を越
えたものが、時々感じられる事であった。
諦めよりも、現実をしっかり見つめていく
事が出来るようになったのも、心を預ける対
象があればこそと思った。
太郎は五歳。裕次四歳。
太郎は寝返りが出来た。両手を一度に前に
だし、両膝を同時に引きずって這う事も出来
るようになっていた。
地域の児童相談所から係員が来た。
何か相談はないか。それに早い時期からリ
ハビリをした方がいいので、社会福祉センタ
ーへきてみて下さい。と言う。
電車で四つ目の市にある社会福祉センター
から、福祉バスが出ている。乗れるのは三つ
目の駅からだ。
バスは何か所か停車して、障害児と保護者
を乗せていく。六、七組の親子は弁当持参で
一日掛かりのリハビリに週一回通った。
璃子は太郎を背負い、太郎の着替えやオム
ツを持ち、裕次を連れて行った。
訓練士は若い女性一人だ。時々、身体障害
児総合病院ゆり学園の医師が来ていた。
リハビリはどの子も痛みを伴うらしく、激
しく泣き叫んだ。太郎も泣きながら必死に抵
抗する。抵抗すればするほど、かえって痛い
と思う。
「兄ちゃん。痛いんだよね」
裕次がつぶやいた。
午前中に四、五人が訓練を受け、昼食の後
その残りが訓練を受ける。またバスに乗って
一組ずつ降り、最後に璃子親子が三つ目の駅
に送られて帰った。


十 ゆり学園入所

「第一番にしなければならない事は、母子を
切り離す事。それが子供の自立には不可欠」
社会福祉センターでの訓練士が言った。
太郎、学齢の年。訓練士の勧めと、医師の
説得で、ゆり学園に入所させる事にした。そ
の前の母子体験入所は、裕次が小さいし正志
が勤めに出て一人にさせることも出来ないと
断っていた。
暮れのうちに入所が決まった。
正月の八日。太郎の身の回りの物を用意し
てゆり学園に向かった。
「お預かりします。心配なさらずに。少なく
ても一か月は面会はしないで下さい」
ゆり学園の指導員は、正志と璃子の顔を見
て言った。
居室はどんぐりの部屋。六人の男の子たち
が、同室の仲間。
広い庭に面した南向きの窓。真ん中に板の
間があって、両側が畳敷になっている十八畳
位の部屋。両側の壁に物入れがついている。
璃子は無言のまま太郎の衣類を整理して入
れた。太郎は正志の手をつかみ、辺りの様子
をこわばった顔で見ている。裕次も正志の側
に体を寄せていた。
指導員と寮母長に園内の主な場所を案内さ
れる。食堂。風呂場。訓練室。
「私が太郎君と遊んでいるうちに、お帰り下
さい。大丈夫、心配しないでね」
寮母長が笑顔で言って、太郎を車椅子に乗
せると、廊下を庭の方に向かった。太郎が不
安げに振り返った。
帰りの車中では正志も裕次も何も言わない。
璃子は、車外の風景を目で追い続けた。
「私は太郎を捨てたのだろうか。何でもいい
から連れて帰ってこようか」
胸中に叫び声が充満していた。


十一 初めての面会

「障害児の息子を捨てたのか」の言葉が、璃
子の胸をかきむしった。正志も裕次も太郎の
事は言わない。言えばみんなが支えていたも
のが崩れてしまうかもしれなかった。
一か月。やっと一か月が過ぎた。
ドキドキと鼓動がなる。
ゆり学園の長い廊下をスリッパの音を立て
ないように進む。どんぐりの部屋には誰もい
ない。学校へ行っている者もいるらしいが、
太郎はまだ学齢に達していない。
「ああ、お母さん。太郎君は保育室におりま
すよ。左に行った三つ目の部屋です」
若い寮母が笑顔で言った。
保育室のドアをそっと引くと、オルガンを
弾いていた先生が、目で挨拶をした。八人の
子供のうち数人が振り返って私を見た。
太郎は、みんなの様子に何かを感じたらし
く振り返った。璃子の顔に目を留めた。すぐ
には母親と判断出来なかったらしく、怪訝な
顔をしたが、じきに「ふっ」と笑い声を上げ
た。満面を真っ赤にして、懐かしさと嬉しさ
を見せた。
璃子は涙を飲み込んだ。
昼食をとる為食堂へ行く。百人以上も収容
出来るような大きな食堂に、四列にテーブル
が並んでいる。太郎は一番左の中ほどの席に
着く。カウンターから厨房が見える。十人か
らの職員が、湯気の中で働いていた。
「お母さん。太郎君に何もさせなかったでし
ょう。口まで手がいくのに、全介助していた
のね。ほら、スプーンで、一人で食べられる
ようになったのよ」
寮母が非難めいた口調で言った。
璃子は、太郎に自立させる事など考えずに
ただ、可哀想だと思うばかりで育ててきた。
と思った。


十二 我慢

「今度は、着脱が出来るようにするのと、お
むつをはずすのを訓練しますよ。太郎君は頑
張っているんですよ。お母さんもそのつもり
で自立を助けなくちゃあね」
寮母は明るい顔で言った。
就学前にヘルニアの手術を済ませた。
ゆり学園に隣接する、高等部まである県北
養護学校の小学部に入学した。級友は八人。
先生は男女二人。教育内容は、もっぱら日常
生活の訓練。一人でする歯磨きや食事。着脱
や排便排尿の訓練。車椅子操作や、歩行訓練。
そして、文字遊びなどでの学習。
夏休み。初めての帰省。
「今までの訓練を無駄にしないように、出来
るだけ手助けをしないように」
と、連絡帳に書いてある。
八か月ぶりのわが家に、太郎は嬉しそうだ
った。両手と両膝を一度に着く這い方で、弟
の後を追って遊んだ。裕次は、兄の世話を良
くする。おやつを食べる時、着替えをする時、
母親の璃子よりも冷静に太郎に接する。
璃子は、四六時中、手の中に置いた太郎を
取り戻したようで、どうしても手出しをして
しまった。訓練士の言葉を思い出す。
「べったりの母子を、切り離すのが一番先に
しなければならないこと」
太郎の着替えを、布団を被って盗み見る。
手が思うように動かない。袖の半分まで手を
持っていきながら、そのまま横倒しになって
しまった。母の方を見る。璃子は、布団の中
で息を殺す。太郎は、態勢を立て直しに掛か
るが、どうにも動けないでいる。
「太郎君。頑張っているんだよね」
璃子が抱き起こした。「ほっ」と太郎がた
め息をついた。我慢は、璃子だけがしていた
のではなかった。


十三 野球

何度目かの面会時。いつものように太郎の
車椅子を押していた。居室の並んだ廊下から
庭に回ろうとしていた。庭の方から子供たち
の歓声と、寮母らしい若い女性の笑い声がす
る。ゲームをやっている。バレーボールの球
を使ってはいるが、どうやら野球らしい。
松葉杖の男の子が片手でバッターを構えて
いる。ピッチャーとキャッチャーが寮母だ。
一塁は車椅子の子。車椅子から下りて、座り
込んでいる。二塁は足に補装具をつけた子。
三塁はヘットカバーをした子が守っていた。
バレーボールを転がしてバッターボックス
へ投げる。松葉杖の子が片手でバッターを振
ると、体を揺らして一塁に走る。車椅子から
下りて守っている子が、いざりながらボール
を抱きとめるのと、バッターが走り込むのと
同時だ。砂ぼこりがまい上がる。歓声が沸き
上がる。
璃子は太郎としばらくゲームを見ていた。
太郎が飽きたのか、向こうへ行こうと指さす。
渡り廊下を通って、隣接する養護学校の庭
を散歩して戻って来た。
居室と廊下を挟んで洗い場がある。さっき
の子供たちが、汚れた衣服を洗っていた。土
にまみれた衣類を、車椅子の子も松葉杖の子
も、補装具の子もみんなで洗っている。
「しっかり洗ってよ。頑張ってね」
若い寮母が子供たちの手元を見て歩きなが
ら、ハッパをかける。
「ハーイ」
元気な声が廊下にこだました。璃子の顔を
見あげている太郎も、この子供たちのように
たくましくなってくれればと思う。
「まだお母さんは帰らないよ」
璃子は、今日はどのように太郎の気をそら
して、面会から帰ろうかと思案した。


十四 克服レース

身体障害児ばかりの運動会は、どんなふう
な運動会になるんだろうと思っていた。
万国旗がはためいている。テントが張られ、
走れコウタローの曲が流れている。生徒たち
のテントに、太郎も赤い鉢巻き姿でいた。半
分以上の生徒が車椅子だ。
玉入れ競技や遊戯の健常者との違いは、皆
車椅子や松葉杖や補装具を使っている事だ。
璃子は、こんなにも大勢の障害児がいる事
に驚き、その人数だけの家族がいるのだと思
った。
「次は、克服レースです」
元気な若い女性の声が響く。
ゆり学園の寮母も、参加していた。それに
ボランティアの人々もいた。生徒一人に一人
が付き添う程の手厚さである。
グランドに青いシートがひかれた。
太郎が車椅子から降ろされ、座らされてい
る。同じような条件の七人が並んだ。
「ヨーイ、ピーツ」
合図の笛が鳴った。
家族も先生方も大声で応援する。
「太郎頑張れ。太郎頑張れ」
璃子は心の中で叫びながら、涙を拭い続け
た。
「お母さん。応援してねっ」
近くにいたゆり学園の寮母が肩を叩いた。
「太郎。太郎くーん、頑張って」
太郎はシートの上をいつもの這い方をする。
腕に力がないのか、横に転がった。すかさず
寮母が走り寄る。助け起こすと「ほらっ、太
郎君頑張って、あそこまで。ガンバレッ」
太郎はまた這おうとするが、また転がって
しまった。やっと最後にゴールインした。
次は補装具と松葉杖使用者のレースだ。家
族も生徒も先生方も、一体になっている。


十五 喫茶店主

次男裕次の出産時に、璃子と赤子の面倒を
見てくれた文子の夫が死んだ。突然死だ。
太郎と同い年と二歳下の二人の娘を抱えて、
文子は三十四歳。文子は青ざめた顔で涙も枯
れたのか、それともまだ実感がないのか、た
だ座っていた。
葬儀も終わり四十九日の法要も終わった時
に、これからどのようにして暮らしていくの
かと璃子が聞くと、母子年金と今までしてい
た和裁の仕事をして、暮らすつもりだと言っ
た。こんなに早くに未亡人になるとは思わな
かった。なにもかも夫に寄りかかっていたか
ら、どうしたらいいのか見当がつかない。で
も、娘たちがいてくれるから、何とかやって
いく元気が出てきたわ。文子は、涙をぬぐい
ながら言った。
夕食時正志に文子の様子を話した。
「私だったら、どうするのかしら」
璃子は正志に問うよりも、自分自身に聞い
ていた。
「今やっている洋裁の内職は、貴方の持って
きている仕事だから、出来なくなるわね」
「勤めに行くって言っても、太郎がいるから
何かある度に休暇を取ったら、たちまち首だ
ろうしな」
「自営業でなくちゃあ駄目ね」
「うん。自分でやってる分には、休んでも文
句ないからな」
パン屋がいいか、ラーメン屋がいいか。と
にかく食べ物屋がいいと言う事に、二人の意
見がまとまった。資金がないので今の家を売
って、条件が合えば商売出来る所を買おう。
と決めた。
それから三か月後。同じ町の駅近くに、喫
茶店舗つき中古住宅を買った。
璃子は、慣れない喫茶店主となった。


  十六 ゆり学園退所

「訓練の成果と、身体的回復を四年間見させ
ていただきましたが、これ以上は期待出来ま
せん。ここは病院と同じような所ですので、
ある程度の期間はいられますけど、後は、自
宅に帰られて通学して頂きます」
指導課の職員が続けた。
「隣の養護学校の寄宿舎にとの事も出来ると
思いますが、学区が違うと無理かもしれませ
ん。それに、寄宿舎は毎週土曜日に帰って、
月曜日に来るという具合になってますから。
お宅からだと、大変時間がかかると思います
よ。それも、同じ学区であれば問題はないの
ですけど」
指導課の職員は、詳しく話してくれながら
半ば突き放すように言った。
太郎がやっと慣れたのに。また違う所に連
れていくのは可哀想だ。璃子は、どうしたも
のかと思いながら、夫正志に伝えた。
「困ったな。あの学校の寄宿舎に入るには、
ここの住所じぁ駄目なんだね。どっか頼める
所ないかな」
今の学校の学区内に、璃子の同級生で、や
はり障害児を抱えている喜久子がいる。書類
上だけでも居候させてもらえないだろうか。
と、お願いして見る事にした。
「璃子さんも苦労しているのね。いいわよ、
お役に立てられれば嬉しいわ」
旧友の喜久子は、即座に承知してくれた。
小学四年生の半ば、太郎の現住所は喜久子
家になって、寄宿舎に移動した。
養護学校は、自宅から二時間以上の距離に
ある。土曜日に迎えに行って、月曜日に学校
まで送る。毎週月曜日の一時間目には間に合
わない。他にも同じように遠距離の生徒が多
数いるため、学級担任の二人の先生は、一時
間目は大目に見る事にすると言った。


十七 学年主任

「佐々木さん。御宅は学区外でしたよね」
学年主任の小山先生は、メガネを光らせな
がら璃子と太郎に追いすがった。
「また遅刻なの? そんなんじぁ転校して
もらいますよ。学区外なんだし」
璃子は、また言われた。と思った。これで
何度目になるか。小山先生は、遠くからでも
わざわざ走って来ては、同じ事を言った。学
区外の他の生徒にも言っているのだろうか。
旧友の喜久子家に世話になってまで、同じ学
校にいさせてもらっているのだが、中学はこ
のままいられないのだろうか。
「小山主任に言われたのですけど、どうした
らいいのでしょうね」
担任に聞いた。
「住所が学区内にあれば、大丈夫だと思いま
すよ」
担任がそう言うが、校長に聞く事にした。
校長室の長いすに腰かけて、校長と向かい
合った。
「本当に、中学は県南の養護学校に転校しな
ければならないのでしたら、どうして手続き
の案内をしてくれるなり、あちらの学校に話
をして頂くなりしてくれないのでしょうか。
学年主任に呼び止められて、立ち話で言われ
ても。担任の先生のお話とも違いますし。不
安になるばかりです」
璃子の訴えを聞いた校長は、
「学年主任の発言は、不用意なもので申し訳
ない。私の監督不行き届きです。お母さんに
はご心配おかけしましたが、県南の方が御宅
からではこちらに来るよりも半分の距離かと
思いますし、早速連絡を取ってみます」
校長が約束をしてくれた。
六年生も、もうすぐ終わりになる三月の半
ばだった。


十八 県南養護学校

校長との約束の話はまだ来なかった。昨年
県南養護学校に転校した生徒のお母さんに、
待ちきれずに打ち明けると「教頭先生に相談
してみたら、いい人だから」と言って紹介状
と地図を描いてくれた。
早速県南養護学校へ行く。話を聞き終った
教頭は、太郎の障害の程度を見たいと言う。
数日後、太郎を連れて行った。
中等部の部長先生と寮母長が、太郎を寄宿
舎へ連れて行った。璃子は学校のロビーで待
った。しばらくすると部長先生が太郎と一緒
に戻ってきた。
「県北養護では寄宿舎だったんですか」
「はい、そうです」
「太郎君、ちょっと障害が強いので寄宿舎は
駄目かもしれません。ですが、県北で入って
いたのにこちらで駄目って訳にもいかないし」
部長先生は、困った顔をした。きっと、寮
母の方から苦情があったのかもしれない。
通学となれば朝早く、スクールバスは広い
地域をコースに従って大勢の生徒を拾うから、
二時間近くも乗る。自宅からバス停までの送
迎も考えに入れなければならない。
小学校卒業式間近に、県南養護学校寄宿舎
に入ってもいいという連絡がきた。
太郎は、転校する事の意味は分からないら
しいのだが、喜んだ。きっと今までの環境に
飽きていたのだろう。それとも、何か新天地
に希望がありそうに思ったのかもしれない。
県南養護学校は、方向は違うがゆり学園ま
での半分の距離にあった。いままでは、璃子
の仕事の都合もあって、朝五時起きして行っ
た。片道二時間半。正志は東京で仕事をして
いたから、送り迎えは璃子の仕事だ。距離が
縮まった事で、大分楽になった。


十九 国際障害者年

「お兄ちゃんのこと、書きなって」
担任の女先生に勧められたと、裕次が言って
「どんな事書けばいいんだろ」と言う。
社会福祉協議会の主催らしいが、国際障害
者年を記念して、それにまつわる内容の作文
を募集しているとのことだ。
「裕ちゃんがお兄ちゃんと出かけたりした時
に、困った事や嬉しかった事や、いろんなこ
と思ったりした事を、書けばいいよ」
そんなアドバイスをした事などすっかり忘
れた頃、社会福祉協議会発行の薄い本を、裕
次が持ち帰った。ページをめくっていくと、
裕次の作文も載っている。
『兄を車椅子に乗せて買い物に行った時、ま
た友達が遊びに来た時に、じろじろ見られた
りからかわれたりしたが、普通の人と同じに
見てほしい。電車に乗せてやりたいが、駅は
階段ばかりで車椅子では無理だ。兄とサイク
リングしたくて自転車に乗せようとしたが危
なくて走れなかった。一番大変なのは、兄が
重いので湯舟に入れる時だ』
など、六年生らしい言葉遣いで書いてある。
裕次は小さい時から、友達と喧嘩して泣い
ても、母璃子に訴えたりはしなかった。友達
に兄の事を気違いだと言われた時も、璃子に
は言わなかったとも書いてあった。
健常者は、身体障害者を見ると、精神まで
も障害を受けていると思うものらしい。璃子
自身、子供の頃は、身体障害者の同級生を、
正視出来なかった。まして言葉も満足に使え
ないし、体が常に小刻みに動いているし、物
事の表現が少しも出来ない太郎を見て、気違
いだと思われたのも仕方のない事かもしれな
い。裕次の心中を計る余裕もなく、今まで過
ごしてきたが、裕次なりの辛さがあったのか
と思った。


二十 次男の縁談

「御宅の息子にうちの末っ子をもらってよ」
近所の化粧品屋さんが言う。
「うちには大変な、手の掛かる人がいるわよ」
「うちの娘が面倒見るから大丈夫」
「私がいじめるかもしれないわよ」
「あんたなら大丈夫よ。反対に娘にいじめ方
を教えるからいい」
化粧品屋さんには三人の娘がいる。裕次は
六年生。そのもらってよという娘は、まだ一
年生らしい。
「長女は〇〇さんとこの息子にやって、次女
は△△さんとこの息子にあげるから、三女は
あんたとこでもらってよ」
化粧品屋さんは裕次が気にいったらしく、
ウチノムスコ、ウチノムスコ、と言う。
太郎の車椅子を押して、散歩をしたり買い
物に行ったり、子供会の朝の体操に連れて行
ったりしていたのを見て、こんな優しい子な
らきっと娘を嫁がせても、幸せにしてくれる
だろうと思ったと言う。
化粧品屋さんは、それからは来る度に「ウ
チノムスコはゲンキしてる?」と聞く。
璃子はなんとなく複雑な心境になったもの
だが、見る人は見ているのだなと嬉しくなっ
た。
化粧品屋さんの「ウチノムスコ」と言うセ
リフは、それから何年も続いた。
「へぇ、あの子まだ四年生だよ。今から娘た
ちの心配をしてるんだ」
中三になった裕次が、あきれて笑った。
璃子と正志は、裕次の嫁になる人はどんな
娘なのだろうと思った。まだまだ裕次が小さ
くて、幼稚園児の頃、近所の主婦仲間に言わ
れた事思い出した。
「裕ちゃんにお嫁さんもらう時は大変ね。太
郎君の事があるから」


二十一 生活訓練

太郎は、生後間もなく全身マヒを宣告され
ていた。中でも、耳、目は大丈夫だったが言
葉は少しの単語を、回らない口調で言うだけ
だ。両手を一度に出し、両膝を一度に引き寄
せる這い方で移動する。体調は良い。
六年生になった頃から、車椅子の操作が自
分で出来るようになった。手を使っての前進
よりも、足で地面を蹴って後進する方が楽に
出来る。
璃子が喫茶店を始めてから四年目。家の改
造をした。居間、台所、風呂場、トイレ。
洋式便器の周りにバーを取りつける。風呂
場は、洗い場から湯船までは三段の階段を付
けて、周りにバーを取りつけた。
太郎は、居間から廊下を這っていき、トイ
レの引き戸を開け閉めし、バーに捕まって便
器に座り、女性と同じ仕方で用をたした。
大便の時は、大声で「デタヨー」と合図が
くると、拭いてやる。尿の場合は自分で身支
度を整えて出てきた。
 入浴は居間で脱衣し廊下を這っていく。洗
い場から湯船までは、階段を這って下りる。
三十八キロの太郎を璃子が風呂に入れる時で
も、割合苦労しないで出来た。
県南養護寄宿舎の寮母にその事を話した。
「早速学校と寄宿舎でも訓練しましょう」と
言ってくれた。
自宅とは違って、車椅子から便器に移動し
なければならない。それに膝をついてのズボ
ンの上げ下ろしではなく、車椅子にブレーキ
をかけて、立ち上がっての上げ下ろしになる。
その場合は、かなり不安定な状態だ。
何度も間に合わずに尿を漏らしたり、タイ
ルの床に、車椅子から転がり落たりしたらし
い。こぶが出来ていたり、体のあちらこちら
にすり傷があったりした。


二十二 思春期

「太郎君、最近性器ばかりいじつているんで
すよ」
寮母が小声で言った。
璃子は何の事やら合点がいかない。
「思春期ですからね」
と続けた。
璃子は、自分の過去を振り返っても、あま
り参考にならない。男女の違いがあるのかも
しれないなと思う。その事を太郎の同級生の
お母さんに話した。
「そうなのよ。うちのも、らしいの。女の子
の部屋にいって、布団にでも潜り込まれたり
したら困っちゃうから、教えてやったのよ。
そんな時はこうやってね、後はちり紙で拭く
んだよってね」
足は不自由だが、自力歩行の出来る子のお
母さんは、真剣な言い方をした。
その点太郎は大丈夫だろう。離れた女の子
の部屋まで行くのは、時間がかかるのと大変
な労力がいるはずだ。
「なんか、誰かが言ってたけど、そんなこと
があったらしいわよ」
女の子のお母さんが声を低くして言った。
「まさかうちのじゃないでしょうね」
「そうだったら、寮母さんに言われるわよ」
「とんでもない事が起きたら困るわ」
女の子のお母さん方が呟いた。
璃子の話を聞いた夫正志が言った。
「そんな年頃になったんだな。体が不自由で
も、その部分は正常だろうからなぁ」
「女の子は男の子より大変だって、みっちゃ
んのお母さんが言ってたわ。生理の始末を教
えなきぁならないし。理解がしっかりできれ
ば何てことはないらしいけど」
「大人になって、いいのか困るのか。複雑な
ことだな」


二十三 進学

中学生活も終わりに近づいた。
「この学校の高等部は、定員二十人だって」
「じゃあ、うちの子等はみんな大丈夫なんじ
ぁないの」
「うん。でも外から入りたいって言う子もい
ると思うから。どうなるかしらね」
「寄宿舎が問題らしいわよ。障害の多い子は
入れないかもね」
「今まで入っていたんだったら、そのままで
しょ。それとも違うの」
「なるべく軽い子にしたいみたいよ」
進学相談の日。順番待ちの母親たちの話を
聞きながら、太郎の障害は重い方で一級の認
定を受けている。この県南養護学校に転向す
る時も問題にされた。
進学相談は、保護者の意向を聞くだけの簡
単なものと、生徒自身の生活や学力の判定と
の、両方に分れて行われた。進学合格と、寄
宿舎入寮許可との発表は、中学卒業式の翌日
にある。
卒業式は雨が降っていた。式次第が進み、
璃子の謝辞も終わった。
璃子は翌日の合格発表が気になっていた。
発表日は晴れ。学校の玄関ホールの壁に、
発表の紙が貼ってある。太郎の所にも合格の
印。だが、寄宿舎入寮は不合格。
中学三年の担任に聞くと、やはり重度の障
害の為だと言ったが、食い下がる璃子に校長
と直に話したらどうかと言った。
「はい。それ以上言わなくともいいですよ。
もう一度計って、お宅へ連絡します」
校長は、璃子の言葉を遮った。
璃子は帰宅するとすぐ、この事を役場の福


二十四 次男の進学

「五年制の高等専門学校があるらしいわよ」
璃子が店の常連客に聞いた話をした。
裕次は早速、厚みの五センチはありそうな
高校案内の本を買ってきた。
「大学へ入るためだけの勉強をする高校に入
ってどうするの。そんなのつまんないよ」
と言っていた裕次は、どうしても国立高等専
門学校の、電気科に入りたいと言う。
在校する中学校からは、過去一人も受験し
た事はないとのことで、詳しい情報がない。
しかも、自宅から六十キロほどの遠距離だ。
通学は無理だ。寄宿舎に入るしかない。
「家から出て、寄宿舎だぞ。同室の人とのか
かわりや、高専の勉強は大変らしいぞ」
五年のうちに普通高校の三年分の学科と、
電気科の勉強と、遊ぶ暇がないらしい。と、
どこからか情報を得てきた父親の正志が言っ
た。
「大丈夫。・・・・・・時々帰ってくるから」
他に裕次の気を引く学校がないらしく、国
立高等専門学校を受験する事になった。
喫茶店の仕事が忙しい璃子は、受験勉強を
どんなやり方でしているのかも知らず、塾通
いをしている裕次に任せていた。

入学の日。裕次と璃子は、寝具や身の回り
の物を車に積んで出かけた。
「高校生は生徒と呼びますが、高専は学生と
呼びます。そのつもりで」
いろいろなお話を頂いたのだが、璃子はこ
の言葉だけが心に残った。着席している在校
生は、大学生のような大人の顔をしていた。
裕次は、最初の数か月自宅が恋しかったら
しい。
璃子は夫婦だけの生活に、仕事を持ってい
てよかったと思った。


二十五 傷害事件

「太郎君が怪我をしてしまいました。いま近
くの外科に連れていったところですが、申し
訳ありませんが、お母さんこちらに来て頂け
ませんか」
県南養護学校から連絡がきた。怪我と言っ
たがどんな怪我なのかと思いながら、一時間
十五分後に学校についた。
太郎の右手に包帯が巻かれている。
「・・・・・・」
璃子の顔を見て、太郎が泣き顔を作った。
美術の先生が寄宿舎の居室に入ってきて頭
を下げた。
「生徒の一人の使っていたカッターで切って
しまって。私の目が届きませんで、申し訳あ
りません」
先生の説明では、太郎の手の甲に、男子生
徒が持っていたカッターナイフの刃を向けた。
太郎が危険を感じて手を引いたら、手の甲か
ら中指の爪近くまで、切れてしまった。との
ことだった。
太郎の手の甲から指先までの一直線の傷が、
一センチ間隔に縫い閉じられている。
傷の回復は早い。璃子は一週間後の抜糸ま
で学校へ通い、外科まで付き添った。
一段落したある日、校長先生が璃子の店ま
で出向いてきた。菓子折りを差し出し、謝罪
の言葉を言った。
お互いが身体障害者であるがため、動作が
機敏に、しかも自由に動かすことが出来ない。
切るつもりもなく切り、切られた。と言っ
た方が、この事件の説明にはあっている。
美術の時間では絵を描いたりする他に、粘
土をこねて焼き物をしたり、カッターを使っ
て工作をしたりしている。
何事にも積極的でない太郎が、教室の中で
はどんな表情をしているのだろう。


二十六 職場実習

職場実習には保護者も一緒に行く事になっ
た。学校近くのアルミサッシの工場だ。期間
は三日間。
広い工場内には、機械音が高い天井に当た
って、工場全体に轟いていた。流れ作業で、
大きな機械の間に工員が配置されている。皆
が機械に追われるように、働いていた。ホー
クリフトが動き回る。戦争のように、緊迫し
た空気が張りつめている。
太郎たち養護学校の生徒と、璃子たち保護
者が案内されて入っていっても、工員たちは
機械と競争で働く動作を止めない。
「こちらでこの仕事をして頂きましょうか」
案内人が、机が幾つか並んだ所を実習場所
に指定した。部品の金具をビニール袋に入れ
て、熱で圧して袋を閉じる仕事だ。
実習生の何人かが袋を閉じる仕事に就いた。
太郎は金具をビニール袋に入れる仕事だ。マ
ヒしている手で金具を掴むのもままならない
から、それを袋に入れる事など、とてもでき
ない動作だ。
「太郎君。ほら、こうやってね持ってごらん。
持てたら、この袋にこうやって入れるのよ」
璃子が教えながら袋に入れるのを、太郎は
真剣な表情で見ているが、一向に手は金具を
掴めない。掴んでも袋に入れる前に落として
しまい、一つも入れられない。太郎には無理
な作業だと思う。何でもいいから、飽きずに
できる事があればいいのだが。
太郎はじきに飽きてしまった。
実習生よりも保護者の実習のようなものだ。
璃子は工場で働いた事はない。生産する場
がこんなにも体を動かして働かなければなら
ない所だと、初めて体験した。それにひきか
え自分の喫茶店主としての毎日は、体に余裕
のある仕事だなと、感謝した。


二十七 養護施設見学

子供の進路の心配をする時期になった。
養護学校高等部卒業もすぐ来る。後一年余
り。先生方もどのような形にせよ、生徒の進
路を方向づけしてやりたいと思うらしい。
太郎の障害状態からいくと、肢体不自由者
養護施設か在宅だ。在宅は考えられない。小
学校就学前に、ゆり学園に入所させた時の辛
さが無駄になる。年齢はあれから十年以上も
重ねていながら、太郎は少しも大人になれな
い。在宅となれば、あっという間に母子がべ
ったりとなってしまう恐れは、多分にある。
身障者養護施設の見学に行った。県南養護
学校から四十分程の所だ。身障者養護施設と
老人ホームと二棟たっている。それに、病院
と健常児の幼稚園も併設されていた。
内部の壁はクリーム色で、高い吹き抜けの
天窓から、自然光がいっぱいに入っている。
廊下は広く居室のベッドの周りは、ベージュ
のカーテンで仕切り、プライバシーが守られ
ていた。
八組の親子と引率の先生が、施設の指導員
に案内されていた時、背後の遠くから声がし
た。言葉にはなっていないが、こちらに声を
かけている事は解った。振り向くとゆり学園
の時代から、県北養護学校の六年生まで太郎
と一緒だった小森君が、頭を振り大きく口を
開け「アウ、アアウウ」と璃子と太郎に、右
手を振って合図する。歩行器にすがって歩い
てくる。満面笑顔だ。
「あれぇ、小森君、ここにいたの。太郎、小
森君だよ、覚えている? 覚えてないの。こ
こに小森君いたんだねぇ」
小森君は太郎より四、五歳年長だ。小学校
入学時は一緒だったが、もう養護施設に入所
していたのだ。自宅は県北だから、かなり遠
くにいることになる。


二十八 進路

中学時代から今までの間に、養護施設を三
か所見学した。二か所目に行った所で太郎が
案内してくれた指導員に、両手を合わせて、
「ヨロシクオネガイシマス」という動作をし
た。気にいったらしい。璃子も明るい雰囲気
だし、いい所だと思った。
三か所目の春名荘では、体験入所をする事
になった。一週間。朝太郎を連れて行って、
夕方迎えに行く。太郎は初日から嬉しそうだ
った。養護学校とは、一日のスケジュールが
大分違う。勉強嫌いの太郎は、御客様扱いで
過ごす勉強のない一日は、今までにないもの
だったのだろう。夕方迎えに行くと、春名荘
の玄関まで職員や入所者に送られてきて、手
を振って帰った。翌朝、春名荘近くの坂道ま
で行くと、両手を挙げて「ウワーッ」と声を
出して、喜びを表現した。
一週間の体験入所は、太郎には楽しく、璃
子には忙しい期間であった。
いよいよしっかりと進路を考えなければな
らない時期だ。どの親も、わが子の障害に応
じた進路を捜している。軽作業の出来そうな
子の母親は、知り合いの市の職員に頼んで、
何か世話してもらおうと思っていると言った。
進路指導の先生は、「どんなことがあって
も、在宅だけにはしないで下さい」と言う。
在宅になると、限られた人間にしか接するこ
とがなくなるので可哀想だ。介護する家族も
心身共に休まることがなくなるし、共倒れに
なりますよ。と言った。
璃子と夫正志にも、太郎の進路が話題だ。
つい、璃子は店の客にも、息子の進路の話し
をした。
「あの人に頼んだら、きっといい答えを見つ
けてくれるかもしれませんよ」
そう言って紹介状を書いてくれた人がいた。


二十九 修学旅行

関西方面への中学の修学旅行は行かなかっ
た。行く一か月前、太郎が引きつけを起こし
た。生まれて間もなくからずっと、テンカン
薬を飲んでいる。救急で運んだ病院では、こ
れまでにも薬をもらっていた。
「今まで投与していた薬では、体も大きくな
ったので、少し足りなくなってきていたので
しょう。量を増やせば大丈夫ですよ」
主治医が薬を調合してくれた。
一週間位で太郎は元気になったのだが、今
度は璃子がギックリ腰になった。二人とも不
安定な健康状態なので取り止めたのだった。
高等部の修学旅行は、新幹線とバスを使っ
て東北へ行く事になった。
今回は何としてでも行きたいと璃子は思う。
太郎にもいい思い出になるだろう。
五月十四日(水)県南養護学校八時集合。
バスで東北新幹線小山駅へ。小山駅九時五十
七分あおば208号乗車。で修学旅行は始ま
った。
仙台、塩釜、松島。中尊寺。発荷峠から十
和田湖めぐり。奥入瀬、八幡平、鶯宿温泉。
小岩井牧場から盛岡。わんこそばを楽しみ、
盛岡発やまびこ50号で、十七日小山駅十六
時十二分着の三泊四日。
生徒十六名。先生方。父兄。の総勢四十四
人。一番の苦労は、乗り物の乗り降りだ。
新幹線駅では荷物運搬用のエレベーターを
使用させてもらったり、エスカレーターを車
椅子ごと数人で支えて上ったり、バスや遊覧
船には、抱いたりおぶったりして乗せた。
先生方には毎年の事だが、嫌な顔せず明る
い。子供たちも父兄も皆元気で過ごせた。
璃子は、出発前にはどんな旅になるのかと
心配したが、献身的な先生方のおがけで、楽
しい思い出が出来た。


三十 さようなら

「さようなら」
璃子は、県南養護学校の校舎を見上げ、体
育館から寄宿舎へと目を移す。正門の桜が満
開の六年前中学部に入学した。あれやこれや
のことを思い出すより、これで学校と言う所
から太郎は卒業したのだとの思いが強い。
身長一メートル五十センチ。体重三十八キ
ロ。耳目正常。パパママ、イクヨ、オカイモ
ノ、バカ、ハンバーグ、パン、などの少しの
単語。衣類の着脱が出来る。車椅子は後退で
進む。咀嚼が出来ないので、刻み食。トイレ
は半介助が必要。時々腹部が痛いと言う時が
ある。
喜びより理由は解らないが不安を感じる。
「太郎君。もうここへは来ないんだよ。もう
養護学校を卒業したんだからね」
太郎は何の感情も表現しない。璃子の感傷
は自分でも説明がつかないが、落ち着かない
不安定さで、心に掛かっている。
夢中で過ごしてきた。腰痛持ちの自分が、
なんとかやってきた。正志は「子供は母親が
見るのが当たり前だろう」と何度か言った事
がある。くの字に曲がった痛む体で、太郎の
送迎をした時は、太郎を授かった意義は何か
と考えた。
生まれて間もなく障害の重さを医者に宣告
された時、この子は死んだ方が幸せかもしれ
ない。と思った事もあった。生死をさまよっ
たことを知った友人に「太郎君が死んだ方が
良かったか、それとも生きた方が良かったか」
と質問を受け、「生きていればこそ、親に抱
かれもするし、おいしいものも食べれるのだ
から、生きた方がいいに決まってるわ」と答
えた。今もその気持ちには変わりはない。
太郎は、璃子の顔を見つめている。母親の
内面を図れないでいるのかもしれない。
祉課に相談すると、学校側と話し合ってみる
と言った。まもなく学校側から連絡がきた。
「太郎君は今までどおりでよろしいですよ」

「太陽の子守歌」第二部に続きます。

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