鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山小砂川口

2022年06月25日 | 鳥海山

 昭和36年の鳥海山案内地図には行程図がついています。

 ブルーラインもなんたらラインも便利な車の道路は何もない、本当に足で登る時代の行程図です。

 記念スタンプは40年、裏面の地図には吹浦駅の印が押してありましたので吹浦駅に置いてあったものかもしれません。値段も書いていないのでもしかすると無料で配布されていたものなのかもしれません。発行は山形県観光協会・秋田県観光連盟となっています。最近のパンフレットよりもだいぶ中身が濃いです。

 現在いろいろな旧道を歩こうと思ってもすでに廃道となった道が数多くあります。吹浦からの登拝道などはあれだけ由緒ある道なのに、今や吹浦~大平間はブルーライン上に名前はあるものの登山道は跡形もありません。斎藤重一さんもその著書「鳥海山」の中で猿倉道を例にとって「鳥海山のほかの登山道でもいえることであるが、登山の利便を考えて車道をより頂上ちかくにまで上らせるとき、既存の登山道をすべて潰してしまうのである。登山道の上を車道が走り、くりかえし登山道と車道が交錯して、ふるい歩道としての登山道は消されていく。猿倉道も、四合目熊ノ森から下は、いまではアスファルトの路面を歩くしかない。」と述べています。

 

 さて、いまでは登山案内に載ることもないし、聞くこともない道、地元のかたなら知っているかもしれませんが小砂川口、観音森から猿穴を経由しての登山道がありました。この案内での説明によれば、

「このコ—スは途中観音森や猿穴等の勝地もあり、飲料水も豊富であるが、これぞという特徴のないせいか現在は登る人の少 い登山道である。 観音森は特徴のあるドーム型のおだやかな山容をなしており 登山道は観音森の裾を右寄りに登る。途中二道のわかれ道は右 が旧噴火口猿穴へ至るもの、左が登山道である。まもなく小さ い流れを越えたのち登りとなり、水場のあるところで川袋から の登路と合する。しばらく登って雪溪になり 草原にでれば用水路が原の中央を貫いており、これに沿って登ると象潟ロと合う。このあたり幕営の適地である。」
(もちろん現在鳥海国定公園内は幕営禁止です。)

 

昭和42年の「あきた」という雑誌にも小砂川口は紹介されています。


〔小砂川口〕

 小砂川駅下車、すぐ国道を南へ七百メートルほど歩くと左側に登山口がある。
 なだらかな山容をみせる観音森の裾を右寄りに登る。途中旧噴火口猿穴への道を右に分けて左の登山道をいくとまもなく小さい流れを越えて急坂となる。
 なおも登ると雪渓になり、草原にでれば用水路が中央を貫いており、これに沿って登ってゆけば象潟口に合流することになる。


 用水路は賽の河原の小砂川堰の事でしょう。先日も用水路を訪ね歩く山歩きをしましたが昔の人の仕事は大したものです。それらの用水路を開鑿することによって今の田畑があるのですから。

 

 


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