鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

去年の買い納めは

2022年01月06日 | 兎糞録

 去年も結構本買いましたが、まだまだほしい、読みたい本があります。もうこの年で読めないだろうって、まあ、そうかもしれませんが、それはよそへ置いといて。CDだって残りの一生聴かないで終わるのもあるんでしょうけれど、その辺は皆さん同じだと思います。
最後に買ったのは、久しぶりに松本清張。

 歴史小説は基本読まないのですが、これは別。何度目かの西海道談綺です。しかし読み始めたら何か違和感が。そう、時々「連絡」と言う言葉が出てくるのです。例えば奉行の覚書に「連絡させること」と書いてあるとか、他にも何度か出てきます。江戸時代、「連絡」と言う言葉はありません。それは昭和になってからできた言葉だからです。

 歴史小説でひどいのになると、

 一年は三百六十幾日もあるのだから、とか、年の暮れ十二月も三十一日となったとか、旧暦は三百六十幾日ありませんし、月は二十九か三十日までです。
 時代劇なんかもっとひどいもので、
 「とんでもねえ、お奉行様、あっしにはアリバイがありやすぜ」とか「ご隠居、あすこの宿はサービスがいいって噂ですぜ」などというものまで。もっとも、時代劇には何時代、というものは無くて、時代劇時代というものがあるだけなのだそうです。誰か時代劇に出演していたことがある人が書いていました。

 江戸時代の事なら三田村鳶魚がおもしろいですよ。引用が書いていないのは惜しまれますけれど。

 最近の方のものは、明治に対する時代感覚に関してもおかしいです。今だって、ちょっと昔のことはそんなのあるの、なんて思われることがいっぱいありますね。例えば、女の人は定年が四十、然もそれ以前でも結婚すると辞めなければならない、なんて社則にあったのですから。それを差別だ、とか言ってもダメ、今の感覚で過去を断罪してはいけません。

 話を脱線ついでに、本の並べ方は(図書館では)左から右、上から下ですが、ご自宅ではお好きなように。本を離れて、印鑑、署名となるとどうでしょうか。賞状、額を飾るときは、

 これは右が上位になります。格上の額は右に。よく稟議書などで上場会社でも社長が最後に左端に押印するようになっているものがありますけれど、あれは間違い。日本の文書としては最下位のものが左端に記名、押印することになります。そんなのどうでもいいという人も大勢いるとは思いますけどネ。

 

 


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