鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

開高健とル・ポトフ

2022年01月03日 | 兎糞録

 

 年末の地方版新聞記事を見ていたらシェフ太田政宏さんが亡くなったとの記事がありました。ル・ポトフ(フランス料理店)の初代のシェフですね。ル・ポトフは以前の仕事の関係でしょっちゅう出入りし、利用もしていましたのでオーナー、支配人、シェフ、調理場の方々皆さん顔見知り。太田シェフはいつも奥さんと御一緒で街歩きしていました。ある日太田シェフとあるお店で出会ったとき聞いてみました。
 「開高健が酒田に来た時の事覚えていますか?」
 「ああ、あの料理、俺がつくったんだよ。」
 そのあと、どんな話をしたかは覚えていませんがその会話だけははっきりと覚えています。


 開高健が酒田へ鱸釣にきて惨敗したときの話です。開高は「完本 私の釣魚大全」の中で、「ぶらぶらと歩きだしかけた瞬間、おびただしい疲労と嫌悪がこみあげてきて、よろめきそうになった。魚釣りなんか二度とごめんだ。玩物喪志もいいところだ。竿もリールも人にくれてやる。いや。竿はへし折り、リールは川にたたきこんでやるんだ。くそくらえ。」と書いたくらいですからその時の鱸釣は相当に面白くなかったことでしょう。
 そんな開高が連れてこられたのが当時はまだデパートの五階にあり、うっかりするとデパート食堂と間違えられてしまうフランス料理店ル・ポトフ。当時は作業服姿のオヤジが爪楊枝くわえて入ってきて「かつ丼!」などと注文することもありました。お店の方は申し訳なさそうに「すみません、当店ではお出ししていないのですが」とお断りしていたようです。

 ちょっと長いですが岡田芳郎「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(いや、この書のタイトルも十分長すぎる)から引用させていただきます。


 開高を先導して清水屋デパートの五階に上っていくと、彼は妙な顔をしている。まさかデパートの食堂へ連れてこられるとは思わなかつたのである。果たして開高は、それまでにも増して不機嫌そうな顔つきで席に着いた。
 支配人の久一が青いグラスの小瓶を手に、滑らかな足取りで近づいてきた。
「これは、私の実家でつくつている初孫という酒です。アペリティフにお飲みください」
 久一は透明な液体をグラッパグラスに静かに注ぐ。グラスの外側がたちまち白く曇る。
フランス料に日本酒とは。開高は怪訝そうな顔でグラスの冷酒をー ロ啜った。とたちまち深山の湧水にも似た清冽な流れがロの中に広がつていく。
 かつてサントリ—社員だつた頃、開高は和食に合う酒としてウイスキ—の水割りを プロモ—ションしていた。これはその逆だな。
 開高は唸った。
 本物の酒だ。無垢にして 豊穣、香り高くかつ味に切れがある。すかさず、前菜の 「うずらの網焼き」が開高の前に置かれた。
 ル ポットフーの夜の、はじまりである。
 食事中、佐藤は幾度も開高をまじまじと見やった。こんなに食べることこ真剣な男に、初めて出会ったからである。グラスを重ねるごとに、寡黙だった開高の舌は渭ら かになっていったが、彼が話より料理に心奪われているのは明らかだった。
 「トマト入り牛せんまいのグラタン」のあと、酒はワイン、プーイィ・フュイッセの 白に変わる。「がさ海老のマリニエール」「真ソイのポワレ」と続き、ワインはボルドーの赤になる。メインディッシュの「アントレコート・マルシャン・ド・ヴァン (最高級牛ロースステーキ酒商人風ソース) 」の皿が目の前に置かれると、開高は会話を中断してじっと皿の一品を見つめ、挑むかのようにナイフとフォークを握りしめるや、肉厚のステーキを切り分けてロの中に放り込んでいく。
 そして、ソースの最後の一滴までパンにつけて拭き取るようにして食べた開高は これぞ最高のフランス料理だと納得せざるを得なかった。
 デザートの「チョコレートのムース」をロに含むと、目尻が延びて目が一本の線のように扭くなり、ふう、とため息を漏らす。体中に卷かれた紐が一度にほどけて いくようだ。コ—ヒーを飲み終えた開高は、昼間とは別人のような幸せそうな顔つきになっていた。ル・ポトフーを出て、暗くなった酒田の町を歩きながら、開高は佐藤に言った。
 「今日は生まれて初めての体験をしました」


 がさ海老はシャコの事ではなく日本海で水揚げされる海老で甘エビよりも一段美味しい海老です。スーパーで見つけたら即買いです。ただし日本海に面していながら新鮮な魚介類はほとんど地元には出回りません。割烹店は特別なルートから仕入れします。これは有名割烹店の経営者の方から聞いた話。いいものは名のある漁港に持っていき○○漁港水揚げのブランドで出荷されるのだそうです。小学校に入る以前、漁師の家に間借りしていましたので魚介類の鮮度はその幼いころ覚えたのが基準となっています。酒田港の魚市場なんか臭くて入れません。きっと排水設備も悪いのではないかと、以前魚市場に勤めていた方が言っていました。何年前だか築地の地下鉄駅を降りた時、新鮮な魚市場の香りがしたのには驚きました。かつての酒田港の香りと同じです。談志の芝浜にもありますね、「魚が生臭えから嫌いだなんて、いい魚食ったことがねえからいうんだ。魚が生臭えのはろくなもんじゃねえって証拠なんだ。」
 築地の市場も豊洲へ移転してしまいましたが築地場外へはまた行きたいものです。

                        ガサエビの素揚げ盛り


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