鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

1971年の山形県庄内地方を舞台とした映画

2020年01月14日 | 兎糞録
 このころ、ボンネットバスは無くなっていたようですが、バスガイド、車掌さんは乗って乗客の切符をもいでいました。それにしてもバスのこの塗色、知っている人にとっては懐かしいものでしょう。
 うちの子供は何でワンマンバスというのか不思議だったと言っていましたがこれを見て納得しました。運転手さんと車掌さん二人で運航していたのに対し、運転手さん一人ですべてやるからワンマンなのですね。決して、ワンマン経営なのではありません。
 中学校を出ると即バスガイドになる女の子も多かったようです。そうそう、当時上野駅では改札員さんが切符を切っていました。乗降客の無いときは片手で切符鋏をカチャカチャやっていました。改札員さんというのはいつごろまでいたのでしょうか。いつのまにか地方の駅まで自動改札です。乗車券、特急券など何枚同時に入れても瞬時に処理するのですから70年代の頭では考えられません。
 (注:山手線に自動改札機が本格的に導入されたのは、1990年のようです。 )
 湯野浜~鶴岡間には庄内交通の電車が走っていました。一時人面魚で有名になった善宝寺にあった善宝寺駅跡は善宝寺鉄道記念館 となっていましたが20年以上前に閉館となりました。もちろんこの映画の撮影時は現役で電車が走っていました。
 酒田港日和山公園の四阿(あずまや )です。今は形が違いますがこの四阿に懐かしさを覚える人も多いでしょう。高い建物は見受けられません。「おくりびと」で有名になったNKエージェントとして登場する建物はこのすぐ近くです。(いつまでも「おくりびと」、「おしん」を飯のタネにしようとしているのだからその情けないことは言うまでもありません。毎度言いますが。)
 ※切妻造り の建物が真屋(まや)、それに対する四阿(あずまや )です。詳しくは検索してみてください。

 日和山公園から見た最上川です。手前が新井田川、その向こうが最上川です。手前中央に見えるものは方角石というものです。現在は周りを加工してあります。写真右手方向がすぐに日本海です。二つの川に挟まれた狭い土地を右手にずっと行くと赤い灯台があります。今は奥に見える場所にも住宅がいっぱい建っています。
 岸壁にはトランスファークレーンがありました。子供のころは動いていました。小学校に入る前はここが遊び場でした。ここで遊んでいて蜂の大群に襲われ、友達のお母さんに弟切草を漬け込んだものを塗ってもらいました。鳥海山で岩弟切を見るとこの時のことがフラッシュバック、というのですかね、突然思い出されます。
 手前にあるのは船を係留するためのボラードという鉄の塊です。
 最上川の向こうに落ちる夕日。さて、この女優さんは誰でしょう。男は誰でもいい。
 これは鶴岡駅です。
 日本海に沿って走る列車夜行寝台鳥海もこういったタイプの列車でした。
 夜行寝台鳥海の普通席内部はちょうどこんな様子でした。

 さてこの映画はいったい何でしょう。冒頭、鼠ヶ関の祭りの場面で始まりますが鼠ヶ関生まれの知人はこの映画の撮影を見に行ったそうです。


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