鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

山と高原地図 鳥海山・月山 2022版の誤表記

2022年06月26日 | 鳥海山

 以前昭文社に指摘した「虫穴岩」の表記は正しく「虫穴」になっています。その上の方に「破方」、しかしこの呼び名はありません。

 昭文社 山と高原地図 鳥海山・月山 2018年版

昭文社 山と高原地図 鳥海山・月山 2022年版

 しかも「破方」と書いて「やぶれかた」と仮名が振ってあります。「破方」も「やぶれかた」も間違いです。どこからそんな表記と読み方を引っ張ってきたのでしょうか。江戸時代以来古絵図ではずっと「破方口」です。近年では1997年秋田のなんば書房出版の齋藤重一著「鳥海山」でも何度も「破方口」として出てきます。又、佐藤康「鳥海山日記」1981秋田書房、昭和28年8月14日の項にも遭難場所として「七高山破方口」との表記があります。「破方」という呼び名はありません。読み方は「破方口」あるいは「八方口」とも書かれたように「はほうぐち」と呼ぶのが正解です。登山記録にもこの地図を信用して「破方」に出たと書いている方もいるようです。

 斎藤重一さんの「鳥海山」「北面をのぼる」の項には何度も破方口が登場します。


七三年六月二十四日、鉾立から北面に入った。

七五三掛から千蛇谷に入り、すぐに左から垂れる熔岩の小尾根にとりついて、荒神岳を巻くようにして北面に出る。

破方口まで、雪渓を登るが、上はすっかり雪が消えて一面のガレ場になっている。浮き石に注意しながら、十三時に新山頂上に達する。

 

一九七二年九月二十二日、

破方口わきには十一時四十五分、そのまま新山に直登して、十二時、頂上。

 

一九六六年五月十七日

破方口の真下は、十一時。ピッケルが雪に刺さらないくらい堅く凍結した斜面もでる。

六月一日

十一時、ガレ場下部の岩場に着く。オレンジ、バナナなど口に入れる。此処から、急斜面となり、堅く氷結した雪があらわれて神経を使う。十二時四十分、破方口に出、七高山頂上のたくさんの登山者の目にさらされる。


 「破方」とは一度も出てきません。「破方口」は太田宣賢「鳥海山登山案内記」にも記載がありますが「ははうぐち」とルビが振ってあります。蕨岡修験の僧坊の当主が書いたものですから表記も読みも間違いないです。「やぶれかた」ではありません。


 また蕨岡口「駒止」から「かくれ山分岐」へのルートは「刈り払いされて歩けるようになった」との記載がありますが、刈払いされてから20年近くなり不用意に立ち入った場合「水呑」より先道迷いの恐れがあります。この道は実線ではなく破線で表記し、「刈り払いされて歩けるようになった」という記述は削除すべきです。


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