鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の死亡事故

2021年08月31日 | 鳥海山

 鳥海山での死亡事故は決して少なくありません。登山中の体調不良、行方不明の捜索打ち切り=生存していないですね、今ではWEB上で二行程度新聞でもどこから入山してどこで、というくらいの記事は見ることが出来ます。2020年でも鳥海山での死亡事故は発生しています。ヒヤリハットだったらどれほどあったことでしょう。

 あれは何年前だったでしょうか。秋分の日、山頂からの帰り御浜についたときはもう薄暗くなっていました。友人は山の帰りが遅くなると父親から「山は何時までやってんなだ。」と言われたそうですが、そういわれてしまうような遅い時間でした。

 御浜の小屋で一服しようと小屋の前を見ると担架が置いてあり、何やらくるまれた人型のようなものが。小屋の中では救助の方たちらしき人が一休みしています。この時遭難者を発見したSさんから以前コメントの中で状況を教えていただいたことがありますので改めて紹介させていただきます。それは鍋森の話から始まったのですが、


2度目に鍋森へ登ろうとした30年近く前の9月、鍋森東面のガレ場で遭難者に遭遇してしまい(死後1か月半)、それ以来鍋森には近づいていません。


遭難者は山やではなく横浜の旅行者でした。発見したのは秋分の日その日はすぐ下山して遊佐署に届け、翌日回収にあたる数名の警察官を道案内して再び現場へ。シートで包んで担架に乗せた遺体は重くて、全員で交代しながら鉾立まで運びました。身元はすぐ分かりました。30代の男性、家族から捜索願いが出されていたのです。象潟駅のロッカーに荷物があったそうです。彼の足取りは想像するしかありませんが、8月旅先で見た鳥海山の勇姿に魅かれ登山を決めバスでブルーラインを。鳥海湖から見た千畳が原が美しかったからでしょうか、千畳が原に下りてしまいガスに巻かれて道迷いしたと思われます。平成5年は記録的な冷夏でおそらく夜雨に打たれて凍死したのでしょう。まことに気の毒なことでした。担架で下ろす際、登山者で賑わう御浜で休憩し、担架を無造作に登山道近くに置いていましたから、ayasiiojisannが見たおロクは、ひょっとしてその時のものでしょうか?


 9月の山の寒さ、寂しさが身に染みてきます。自分は大丈夫だ、なんてみんな思って登っているんでしょうけど事故は起こるまでは無事故です。

 次回以降、鳥海山での死亡事故が詳細に残されている事例紹介します。


2 コメント

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Unknown (ひろの元気村男)
2021-08-31 18:48:56
記事の紹介ありがとうございます。ただ私が警察官の人たちとと一緒に遭難者を回収して、帰路御浜に立ち寄ったのはまだ日が高い昼過ぎだったと思います。担架は小屋の前ではなくて鳥海湖を見下ろせる小屋の脇で、天気が良かったので休憩時は全員外に居ました。
数年後、遭難者の遺族が息子が亡くなった山の現場を一目見たいというので、案内したことがありました。高齢者の母親は山歩きに慣れていなくて、結局予定していた御浜までは行けず、帰りの電車の時間もありましたので、残念ながら賽の河原で引き返しました。「ありがとうございました。ここで十分です」と鍋森の方角に一心不乱に手を合わせていました。
私事で恐縮なのですが、若くして山で亡くした弟がいます。鳥海山が大好きだった弟の遺髪を笙ヶ岳に埋めてあります。平成5年の秋分の日も親父と笙ヶ岳に登っていました。なぜそこから鍋森を目指したか?「あそこに遭難者がいるから、見つけてあげて」と弟が私たちに指示したように思えてなりません。
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Unknown (ayasiiojisann)
2021-08-31 19:52:01
貴重なコメントありがとうございます。
私が実見したのは記憶違いかそれとも別の遭難死者だったのでしょうか。その日見たのが遺体だったことは警察から聞きましたのでまちがいありません。みんなが気軽に登る鳥海山が実は死者をも簡単に出すところだということをまさに実感した日でした。 
又他の遭難死の事例も紹介する予定です。山は楽しい、綺麗ばかりの所ではない、危険もたくさんあるということを少しでもわかっていただければと思い記事にしてみました。
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