鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

再度破方ロについて

2021年11月24日 | 鳥海山

 橋本賢助「鳥海登山案内・改訂版」やっとデジタル化完了しました。以前、最初の版をデジタル化したときは気がつかなかったことが結構ありました。前の版でも破方口についてははっきり書いてあったのに見落としていました。


中央火口丘の新山と荒神ケ嶽とをとり卷いて、東から西南に走る七五山連嶺は、新火山の外輪山である。山中第二の高點である七高山を始め、中嶋峰、行者嶽、伏拜嶽、文珠嶽等は皆此の外輪山を形成する山々で、七高山の峭壁と新山の東脚とが接續してゐる結果、火口原が二分される。その東北に下るのが破方ロで、西北に降下したのが仙者谷である。

新山は享和元年の噴出にかゝるので一名享和嶽。未だ少壯な火山の特性を遺憾なく發揮して居る。全山悉く暗灰色の輝石安山岩で、特に本山では新山熔岩として區別することが出來る。その頂上に直徑凡そ百二十米、深さ大凡八米程の噴火口然たるものがあつて、その底のまん中に殘つた一大熔岩塊が當山第一の高點である。

元來新山の成立は、ドーム式の塊狀火山であるから噴火口を欠くのであるが、冷却の途中、頂上に十二の龜裂が出來、中心だけを殘して周圍の熔岩が低下したものである。今見る切通しは實にこの時生じた龜裂の一で、頂上の穴はこうして出來た陷落口、最高點が中心だつたものである。

兎に角新山熔岩の不流動性であつた事だけは、流出狀態を見れば直ちに合點が行く事である。到る所板狀に割けた即ち板狀節理の壘々たる岩山である。切通しの西北方に風吹穴と云ふのがある。大方熔岩の固結する際、內部に宿つて居た水蒸氣が突發して出來たもので、富士の人穴で見る樣な熔岩トンネルではないらしい。

新山の西に續いて荒神ヶ嶽がある。其の東半部が新山の山脚で埋められてゐて山勢相似てゐてもこちらは有史以前の噴火だけ、全山總ベて綠草の包む所であるから、色に依つて歷然新山と分界する事が出來る。

 荒神ケ嶽の北麓、白雪川の上流イワマタの頭に、玉池と云ふ小爆裂ロがある。直徑凡そ十米の略々圓形の池で、硫黃を含んだ水を 湛えてゐる。


 この新山について書いてあるところは面白いころです。いろんな案内には書いていない内容です。いや、書いてあってもこれほど興味深くはない、この短い文章で甚だ明瞭にわかります。

 今でいう千蛇谷と対になるのが破方口ですね。こちらはルートもないので忘れられてしまったのでしょう。しかし、名前がある所を見るとかつては登路もあったのかもしれません。斎藤重一さんは道なき道を登っていたようですし。

 此の本の中に大物忌神社の祭礼や宝物等色々出てきますが、すべて太田宜賢「鳥海山登山案内記」に書いてあることです。参考にしたというより丸写しです。しかし、なぜか学者先生をはじめとする発表には太田宜賢「鳥海山登山案内記」に言及するものはなく、すべて橋本賢助「鳥海登山案内」による、としてあります。而も記述は不正確です。これは原本を読まないで書いたものであると思われます。発表するなら原本を読まないといけませんね。


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