鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

ずっと昔の文書より

2022年03月26日 | 兎糞録

 これはいつの時代の事でしょう。


正月十七日申の刻、別所小三郎は、三歳の孩子膝の上に置き、涕を推して差し殺し、又、女房を引き寄せ、同じ枕に害しけり。別所彦進も、同じ如く、女房を指し殺す。屍算を乱す有様、目も当てられず。其の後、別所兄弟手に手を取りて広縁に出て、左右に直り、各を呼び出だし、此の度の籠城、兵粮事尽きて、牛馬を食し、虎口を堅め、籠城相届く志、前代未聞の働き、芳恩申すに足らず、併せて、我等相果て、諸士を相助け、身の悦び、これに過ぐベからずとて、小三郎腹を切り、三宅肥前入道介錯し、入道云く 此の先、御高恩に預かる人、多しといへども、御伴申さんと云ふ人なし。某者愁に家の年寄に生まれながら、更に出頭に及ばず、述懐は身に余るといへども、御伴申すなり。三宅肥前入道が働きを見よやとて、腹十文字に切りて、臓をくり出し、死にたり。さて、彦進こし方、召使に候輩を呼び双ベ、太刀、刀・脇指・衣装、形見にとらせ、兄の小三郎が腹を切りたる脇指を取り持ち、又、彦進も丈夫に腹を切る。小三郎年廿六、彦進歳廿五、惜しむべしゝ。爰に希代の名誉ある山城が女房は、畠山総州の娘なり。自害の覚悟を致し、男子二人、女子一人左右に並べ置き、心づよくも一々に差し殺し、主も喉頸搔き切り、枕を並べて死にたりけり。前代未聞の働き、哀れなる題目なり。其の後、城中の者ども助け出だされ、其の内に小姓一人、短冊を持ちて出づる。是れを取りて見られければ、辞世の歌なり。

(※特別ルビは振りませんが目で追えばわかると思います。)


これを読んで三名の方がコメントしました。

弁護士崩れ「なぜもっと早く降伏しなかったのだろう。そうすれば多くの人が救われたのに。」

総理崩れ「外交努力が足りなかったのだ。話せばわかるのに。trust me!」

現役政治屋「挑発したから攻め込まれたのだ、挑発した方が悪い。」

 引用文書は「信長公記しんちょうこうき 巻十三」より。

 


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