鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

雪の鳥海

2022年03月23日 | 鳥海山

 これはちょっと珍しい絵葉書です。発行は國幣中社大物忌神社社務所となっています。しかも三枚とも冬山です。この葉書の発行は、大正七年から昭和七年の間。

 籠山からの写真は大変珍しいです。雨が降っても溜まらないので籠山といいます。

 奥左肩に見えるのは笙ヶ岳。火口壁を見下ろしています。

 虫穴の側に立って撮影しているのでしょうか。虫穴岩と記された古い記録は一枚たりと存在しません。(ここに書いてあるのは虫穴岩・壁ではありません。虫穴・岩壁と読みます。)
 正しく虫穴と書きましょう。歴史ある呼称なのですから。

 ところで、この葉書写真の撮影の時期はいったいいつなのでしょうか。葉書作成の年代は表面から判定できますが。


 雪期鳥海山への登山記録は畠中善弥さんの調べによれば、

一. 昭和四年冬 佐藤六郎、矢島より登頂(早大在学中)

一. 昭和六年二月二十日
  東海林、坂田、矢島口より登頂

一. 昭和十一年二月七日
  斎藤清吉、渡辺喜助、畠中善弥の三氏吹浦口より登頂

一. 昭和七年三月二十四日
  慶応義塾山岳部員二名 仲鉢、伊藤、鳥海の三名をポーターとして蕨岡ロより登頂

一. 昭和十三年三月二十一日
  上田哲雄、同しのぶ外七名、吹浦ロより登頂、雪期女性登頂のトップ

一. 昭和二十二年四月二十六日
  仙台空艇隊ガィヤー中尉、中村美雄、畠中善弥、吹浦ロから登頂、外人として雪 期初登頂

一. 昭和十二年二月二十一日
  斎藤清吉、渡部喜助の二人、吹浦ロより七高山を経て矢島にスキー下山


 となっています。(畠中善弥「影鳥海」より)とすればこれらの絵葉書の写真はいつ誰によって撮影されたものでしょうか。大物忌神社にも記録は残っていないでしょうし、素人の問合せにこたえてくれるようなところではないでしょうから。疑問のままにしておきましょう。畠中源治郎さん存命ならばなんとか聞くことが出来たでしょうけれど。あのおじいちゃんとは仲良くしていただいていましたから。

 昭和の初めに雪期鳥海山新参頂上を窺うものは多かったといいますが、何れも荒天に阻まれて未遂に終わっているそうです。上に掲げたものが登頂の達成者だそうです。が尚、元旦の新山登頂は1955年、齋藤清吉氏等によります。

 齋藤清吉「鳥海山登行 山男のひとりごと」より

 斎藤清吉、畠中善弥、佐藤康(敬称略)の方々の書いたものには必ず遭難の記録が出てきます。中でも雪山での遭難の記録は悲惨です。これらもそのうち紹介しましょう。今だっていくら装備がよくたって冬山は優しくはなっていません。

 

 


コメントを投稿