鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和四十年代の町の中心

2023年11月24日 | 兎糞録

 この画像はおそらく昭和四十年代中ころ。昭和五十一年の酒田大火でこの辺りは跡形もなくなります。酒田大火の後は日中歩く人もまれなゴーストタウンとなり、そんな状態は今も続いています。

 左に見える洋菓子・喫茶小松の変わった形をした看板。記憶にあります。この奥にパーラー小松という店があり、酒田で初めてピザを出しました。ピザといっても一枚が手のひらにのるほどの小さいもの。なるほどピザとはこういうものかと食した記憶があります。

 その隣に見えるのは「ぜんにもん」と書いてありますが化粧品店。記憶では資生堂だと思っていたのですが見ればカネボウとMAX FACTOR。変わった生出だなあと思っていましたがそれが善右衛門小路(ぜんにもんこうじ)から来ていたとは最近知りました。

 この奥に続くのは大工町、桶屋町、鍛冶町。歴史的に意味ある名前です。現在はそれぞれ中町一丁目、同じく中町一丁目、二番町などと味もそっけもない効率のみ考えられた名前に変えられてしまいました。我々は逆になんとか町一丁目などといわれると頭に浮かんできません。内匠町、筑後町などといったほうがピンときます。

 金沢では一部旧町名を復活させています。わが町の人は古いものを壊して跡形もなくして新しければいい、という人ばかり。古いものを守ることのできないところに未来はありません。

 絵葉書といえば定番の鳥海山。右に見えるアンテナは当時の電電公社、NTTも東北電力も今は建物はあれども受付窓口も何もありません。かつてはNTTなんて立派な社員住宅も新築したのに、できてわずか数年で撤去。世の中よくなっているんだか悪くなっているんだか。決して良くなっているようには思えませんけどね。


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