鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

初めてのジャズ喫茶

2020年01月29日 | Jazz
 先輩に連れられて初めて行ったジャズ喫茶がビルの四階にあるというのに雰囲気はアンダーグラウンド。入り口ドアの前にはビール箱が積み上げられ、今なら消防査察入ればすぐアウト。場所は池袋、たぶん今はない埼玉銀行そばのビルの四階。
 名前はジャズ・キッス。四階まではもちろん歩きです。なんとも妖しいマッチ箱。これよりもはるかに猥褻なデザインのマッチ箱もありました。

 ドアを開ければその瞬間、大音量のジャズが外に勢いよく暴れ出してきます。その瞬間にジャズ喫茶を体感しました。その時の印象は田舎出の十代の小僧には強烈でした。
 今でも自分の部屋でジャズを鳴らし、一旦外に出た後戸を開けてジャズが飛び出してくると当時のジャズ喫茶が甦ります。もっとも、部屋が変わって洋室から和室に追い出されたのでその感覚も半減してしまいましたが。

 ジャズ・キッスの店内は薄暗く、テーブルにつけば長髪、陰毛髭のお兄さんがオーダーをとりにきます。何が鳴っていたかは全く記憶にありません。ただ、暗く綺麗とは言えないせまいゴチャゴチャした店内と前回紹介した分厚いコーヒカップと不味いコーヒー、これでもかという音量で鳴るジャズ、これが東京最初のジャズ喫茶でした。


 ジャズ・キッスには姉妹店が池袋駅西口、池袋演芸場の近くだったと思いますがジャズ・ベッドという店でした。こちらも雰囲気は同じようなものでした。

 アヴァンギャルドなサックス奏者、阿部薫のライブ・アット・ジャズ・ベッドというこの店で行われたライブのアルバムも発売されたことがあります。
 この両店のオーナーは同じ方で、その後事件に巻き込まれ殺されてしまったという事です。ジャズ・キッスの事を調べたことがあり、その中の記事で見たことがあります。あまりにも店のイメージに重なり、驚いた覚えがあります。

 ところで、その頃先輩たちの話すのを聞いているとジャズメンの名前を言う時のイントネーション、誠に奇態なものでした。皆さん、Miles,Evans どう発音されますか?
 その先輩たちは、平坦なイントネーションでこれらの名前を言うのです。ライブアルバムでのアナウンスを聴けば、ルス デイビス、ビル バンス、とアクセントは頭にあります。しかしながら、その東京人たちは(生まれも育ちも東京の人、でも江戸っ子ではありません。)平坦なイントネーションで発音するのです。どちらかといえばマイス、エバンといった風に。そういうのが都会なのかとは思いましたが、これだけはどうしてもなじめませんでした。



 余談ながら、池袋といえば、隣の目白の駅スタンドでカレーを食べたのが初めての東京カレーデビュー。この時の驚きは icanplaythepiano さん の記事に投稿させていただきましたが、
 「東京へ出て初めて外でカレーを食べたのが目白の駅スタンドの立ち食いカレー。ご飯の上にルーをかけるのを見ていると、ご飯を素通りして皿へスーッとしみ込んでゆくのでした。目の前に出されたカレーのなかをスプーンで探しても具らしきものは無し。ご飯に辛い水をかけて食っているような気がしたことを何十年たった今も鮮明に覚えています。」 といったものです。

(これから具を取り去ったカレーを想像してください。)

 豚カツも東京で初めて食べたのは何故か目白の駅を出て道路を渡った今の三井住友銀行目白支店のそばの食堂。これまた肉が薄くてびっくり‼️紙カツの走りでしょうか。こんな薄いトンカツ、見たことも食ったこともないという代物でした。有名なキッチン南海のカリっと揚がったカレーによく合う薄めの豚カツよりも薄いカツでした。
(この豚カツは厚みがありそうです。)

 ついでに、東京ラーメンの初体験はその前年、高校時代東京へ遊びに行ったときに入った銀座のラーメン屋。出されたコップの水は白く濁り、出てきたラーメンは地元で食べるラーメンと異なり、麺に縮れもなく、具材はピンクの鳴門に海苔と法蓮草、申し訳程度にこれでもかと言うくらい薄く小さく切られた焼豚のようなもの、スープは醤油の色がついたぬるくて冷ます必要のないものでした。

 池袋の駅地下街だったでしょうか。立ち食いやらカウンターだけの飲食店がたくさん並んでいるコーナーがありました。懐の寂しい時はそこで食事を済ませましたが、そこで初めて食べたコロッケうどん、今までそんなもの食べたこともなかったのですが、目の前にある品書に興味を惹かれて注文したのですが、これは美味しかったですね。
 ジャズ喫茶のコーヒーってそのころ一杯いくらっだったでしょう。当時地元の喫茶店でブレンドが百円位、ストレートコーヒーでそれより少し高め、そうすると百五十円から百八十円位だったでしょうか。それに、上に書いたいろんな食べ物の値段も全く記憶にありません。昔のジャズ喫茶に関してはいろいろと書かれたものがありますが、その料金について書かれたものはないようです。記録しておけば時代の資料となったでしょう。

 短くまとめるつもりが今日も長くなってしまいました。次回は高円寺に戻ってみましょう。

 マッチの画像は猫仙人さんから引用させていただきました。

2 コメント

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Unknown (yshimatennjinn)
2020-01-29 19:07:20
コーヒー代、少し時代が違うかもしれませんが、78年頃の日記を見てみるとでFANKYで380円とあります。ちなみにラーメン300円。基本昼食代は300円以下だったような。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-01-29 19:17:48
そうしてみると、72年ころはコーヒー代300円位はしたのかもしれませんね。70年代末、外食は500円くらいだったと思いますので今のコンビニ弁当とたいして変わらないです。
記録付けておけばよかったです。ちなみにトリス370円?、サントリーレッド500円、ホワイト750円、角瓶1,450円。それより高いのは買えませんでした。
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