鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

70年代のジャズ喫茶

2020年01月29日 | Jazz
 そのころ、ジャズ喫茶といえば、沸かし直しのコーヒー。ただ、黒いだけ、美味しいとは言えない飲み物。
 スタッキングカップという積み重ねできる白無地の重いコーヒーカップ。取っ手が変わった格好をしています。飲み口も分厚いですね、あちこちのお店で使っていたので安かったのでしょう。
 今も、昭和レトロで販売しているサイトがありました。昭和30年代から40年代にかけて作られたもののようです。「昭和レトロ陶器店からっちゃ 」というWEBサイトのお店で販売していました。

 70年代によく行ったジャズ喫茶について記録しておきます。そのころカメラを持ってジャズ喫茶の写真を撮る人など稀ですから、頼りになるのはそのお店のマッチ箱です。以前はかなりの数持っていたのですが、当時喫煙者だったため長押の上に飾っていたものが煙草のヤニで見る影もなくなりすべて処分してしまいました。
 ここに掲載するマッチ箱の画像はほとんど「ジャズ喫茶のマッチ」という猫仙人さんのサイトから了解をいただいて掲載させていただきました。
 猫仙人さんのサイトURLは
 https://www.neko-net.com/jazz/ 
 興味のある方はご一読のほどよろしくお願いします。

 前置きが長くなりましたが、初めは阿佐ヶ谷から行ってみましょう。
 東京へ出たのは、なんといっても本音はジャズを聴きたいため。最初は豊島園に住んだのですが、なんの予備知識もなく、ただ安いというだけで、下見に行った街の雰囲気も気に入ったために中央線、阿佐ヶ谷に住まいを定めました。住まいといったって怪しい住人だらけのおんぼろアパートでしたが。後年再訪した時はこじゃれた何とかマンションなるものに変わっていました。今ではgoogle mapで住所さえ入力すれば外観もわかるんですね。
 いやいや、話が長い。

 駅から下宿への帰り道そのジャズ喫茶はありました。一度ヤフオクでそのお店のマッチが出品されていました。
 毘沙門というジャズ喫茶です。中はうす暗い、閉所恐怖症になるような店で、店内には大きな開口部のある白い仕切り壁があったと思います。
 当時酒など飲める身分ではなかったので、そこに置かれているバーボンウイスキーは一度飲んでみたいと思って眺めていました。
 バーボン・デラックス、もう日本では終売のようです。それほど高い酒ではなかったようですが、終売となった今、結構高値で取引されているようです。

 この毘沙門の店内風景で一番記憶に残っているのは、当時の流行りの超髪にジーンズの若い学生風の二人、明らかに相当酔っ払っているのが店に入ってきて、持参の茶色い紙袋からこそこそとウイスキーを出してコップに注ぎながら飲んでいる姿です。その場面だけが強烈に記憶に残っています。
 何がターンテーブルにのせられたかといえば、あまり記憶にないのですが、前衛レーベルBYGのもの、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEOC )やアーチー・シェップ、サニー・マレイ などが多かったような気がします。

 AEOC、「苦悩の人々」、高校時代にラジオから流れてくるのを聴いて釘付けになりました。

 左がpeople in sorrow(邦題:苦悩の人々)すでに廃盤のようです。右はブリジット・フォンテーヌとAEOCの共演 comme à la radio(邦題:ラヂオの用に)、こちらのタイトル曲は沖 至グループでもいい演奏を聴くことが出来ます。

 夕方銭湯に行くと、毘沙門のマスターとよく一緒になり挨拶を交わしたものでした。
 70年代のジャズ喫茶の話はまだ続きます。

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