兵隊3部作のあとに、戦後に書かれた作品だったはず。
火野さんが体験したインパール作戦をベースにしているのだが、
兵隊3部作や革命前後で、火野さんは正直だ、と書いたが、
この作品については、明らかにウソだと思うんですよw
いや、体験から描いているだろうし、
そもそも兵隊3部作や革命前後もウソは混ざっているそうなんです。
というか登場人物の名前も全部ウソですからね。
そりゃそうなんですが。
だけど、この作品は上記と違って、とにかく軍部の愚かしさ、戦争の愚かさを描いて、それがあからさまなんです。
そりゃあこれは戦時中に書けないでしょうけど。
だけどそれ以前にその「あからさま」な感じが、モロに出ていて、明らかに何か違うわけ。
作中は、とにかく飢餓と病気です。
みんなボロボロ。
そこに無責任に敵の戦車を破壊する命令が下って、
密林を進みながら、幽鬼となった死に掛けの兵隊、死んだ兵隊を見ながら
最前線を超えて敵の駐屯地へ向かう。
途中、現地の女性をレイプして殺す話もある。
インド独立のためにインド人も加わっているんだが、彼らが裏切るのではないか、と疑いがあったり。
最後は猛反撃を受けて、あるものは逃げ延びるも、戦局にはなんの影響もなく、あるものは底なし沼に飲まれて死に、あるものは自爆して死に、捕虜になって生き延びる。
私は、この作品は火野さんが反省の一環として、自分の戦争責任への謝罪、贖罪のために描いたんではないか、と思うんだけど、だからこそ違和感があって、おそらく火野さんもそれを感じていたんではないかと。
つまりこれで反省も何もできなかった。
むしろ火野さんはこれは違う、と感じていたんではないかと。
だってウソだから。
火野さんは従軍作家だけど、インパール作戦でどの程度地獄をみたのか?
本当に地獄を見たのか?
この作中のように最前線で地獄を見ていたのか?
地獄があったのは事実ですよ。それは生き残った兵隊だった人たちが証言しているし、研究もなされている。
だけど火野さんは見たのか?
もし社会評論社編集部が言うように「革命前後」が遺書的な本なのであれば、
この「密林と兵隊」と「革命前後」の明確な違いは、つまり「見なかったこと」を描くか、描かないか、という点ではないだろうか。
そして結局、火野さんは正直に書くしかなかった。
つまり見て無いものは描けない。
それが「革命前後」だった。
火野さんはそれに絶望というか失望したのかもしれない。
だって、結局反省できない、戦争責任を負えないってことを理解してしまったから。
火野さんは反省したいんです、責任を償いたいんです。それで「密林と兵隊」を書いた。だけどそれは嘘だと、自分で気付いてしまった。。。
今なら「それでいいんだ!」と力強く言う人々もいますよ。
「戦争責任なんて無い!」と。
「戦争は所詮勝敗でしかない」と。
「勝てば官軍なんだ」と。
だけど火野さんはそれを受け入れられなかった。
だけどウソもつけなかった。
「革命前後」でインパール作戦のことがほとんど触れられないことを考えると(日中戦争については折に触れている。その作品で有名になったとか)、私は「革命前後」って本当に火野さんが「結局正直に描くしかない」と、そんな結論にしかたどりつけなかった、悲しい作品と言えるかもしれない。
もちろん、火野さんにとっては悲しい作品だったかもしれないが、今の私たちにとっては、その正直さ、軽妙さが、まさに名作なんですが。。。。。
火野さんが体験したインパール作戦をベースにしているのだが、
兵隊3部作や革命前後で、火野さんは正直だ、と書いたが、
この作品については、明らかにウソだと思うんですよw
いや、体験から描いているだろうし、
そもそも兵隊3部作や革命前後もウソは混ざっているそうなんです。
というか登場人物の名前も全部ウソですからね。
そりゃそうなんですが。
だけど、この作品は上記と違って、とにかく軍部の愚かしさ、戦争の愚かさを描いて、それがあからさまなんです。
そりゃあこれは戦時中に書けないでしょうけど。
だけどそれ以前にその「あからさま」な感じが、モロに出ていて、明らかに何か違うわけ。
作中は、とにかく飢餓と病気です。
みんなボロボロ。
そこに無責任に敵の戦車を破壊する命令が下って、
密林を進みながら、幽鬼となった死に掛けの兵隊、死んだ兵隊を見ながら
最前線を超えて敵の駐屯地へ向かう。
途中、現地の女性をレイプして殺す話もある。
インド独立のためにインド人も加わっているんだが、彼らが裏切るのではないか、と疑いがあったり。
最後は猛反撃を受けて、あるものは逃げ延びるも、戦局にはなんの影響もなく、あるものは底なし沼に飲まれて死に、あるものは自爆して死に、捕虜になって生き延びる。
私は、この作品は火野さんが反省の一環として、自分の戦争責任への謝罪、贖罪のために描いたんではないか、と思うんだけど、だからこそ違和感があって、おそらく火野さんもそれを感じていたんではないかと。
つまりこれで反省も何もできなかった。
むしろ火野さんはこれは違う、と感じていたんではないかと。
だってウソだから。
火野さんは従軍作家だけど、インパール作戦でどの程度地獄をみたのか?
本当に地獄を見たのか?
この作中のように最前線で地獄を見ていたのか?
地獄があったのは事実ですよ。それは生き残った兵隊だった人たちが証言しているし、研究もなされている。
だけど火野さんは見たのか?
もし社会評論社編集部が言うように「革命前後」が遺書的な本なのであれば、
この「密林と兵隊」と「革命前後」の明確な違いは、つまり「見なかったこと」を描くか、描かないか、という点ではないだろうか。
そして結局、火野さんは正直に書くしかなかった。
つまり見て無いものは描けない。
それが「革命前後」だった。
火野さんはそれに絶望というか失望したのかもしれない。
だって、結局反省できない、戦争責任を負えないってことを理解してしまったから。
火野さんは反省したいんです、責任を償いたいんです。それで「密林と兵隊」を書いた。だけどそれは嘘だと、自分で気付いてしまった。。。
今なら「それでいいんだ!」と力強く言う人々もいますよ。
「戦争責任なんて無い!」と。
「戦争は所詮勝敗でしかない」と。
「勝てば官軍なんだ」と。
だけど火野さんはそれを受け入れられなかった。
だけどウソもつけなかった。
「革命前後」でインパール作戦のことがほとんど触れられないことを考えると(日中戦争については折に触れている。その作品で有名になったとか)、私は「革命前後」って本当に火野さんが「結局正直に描くしかない」と、そんな結論にしかたどりつけなかった、悲しい作品と言えるかもしれない。
もちろん、火野さんにとっては悲しい作品だったかもしれないが、今の私たちにとっては、その正直さ、軽妙さが、まさに名作なんですが。。。。。
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