「本日も読書」

読書と映画の感想。ジャンル無関係、コミック多いけどたまに活字も。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

2012年07月07日 | book
どこから書けばいいのか。
難しい。

森達也さんの文体は好きだ。
正直だ。わからないことを分からないという。
本書の出発点もそこからだし。
自分の迷いや矛盾、弱さもさらけ出す。

似たような文体で、小田嶋隆さんがいる。
オダジマさんのコラムもむちゃくちゃ好きだ。

だけど森はテーマが重い。
オダジマさんは世評の話をする。
あるいはスポーツの話をする。
時々九条の問題とかにつっこんでくるが、
オダジマさんは基本身近な、あるいは俗っぽいワイドショーとかの
話題の近くにいる。
そこからグサリとくる。

森はグサリとはこない。
重いテーマだがグサリとはこない。
切れ味は鋭くない。
ゆっくりと積み重ねてくる。

森さんは死刑反対という意識を持っている。
しかし死刑のことがわからない、という。
だから彼は死刑について調べ、インタビューを続けていく。

死刑反対論者、死刑反対・死刑賛成のようで実際は「わからない」、あるいは「反対という立場だけど賛成かも」「賛成という立場だけど反対かも」という人、そして死刑は必要だという人々。

そのなかには弁護士(死刑反対も賛成も)、死刑囚、死刑囚であったが娑婆に戻れた人、元検察、現役の刑務官、元刑務官、遺族、教誨師、亀井静香や保坂展人という政治家がいる。

森さんはこの取材の過程で自分が死刑賛成に転向してもいい、と
語っている。

その過程で明かされる死刑制度の不透明さ、慣習の横行。
そして自身もメディアの一員であることを自覚しながらマスメディアの問題点。
死刑を知らないのに死刑賛成を気安く語るこの国の人々。

私は死刑賛成派だ。
本書を読む前から気安く考えていたわけではない、と思っている。
それなりに自分では深く考えてそういう立場になっている。
ただそれが論理的ではない部分も多々あることは自分でも感じている。

本書を読んでも私は死刑賛成派だ。
おそらくこの本を読んで死刑賛成8割の日本で、割合が変わることは無い。
そのことを森さん自身が取材の最後に書いている。
これを読んでも皆さんの考え方は変わらないだろうと。

それでも森さんは最後に自分は死刑に反対だと。
オウムの死刑囚の岡崎を救いたいと。
人が人を殺すのはやめるべきだと。
たとえそれが殺人犯であれ。

そして最後まで矛盾を述べている。
すべての人に願いがある、と。
森さんの願いは死刑囚を救いたい、だけどすべての人の願いには「死刑を望む願い」もある。すべての人の願いを叶えることはできない。それでも森さんは書く。すべての人に願いがあるんだと。

ぐらっと揺らいでいる部分がある。

冤罪の人が死刑にされるくだりだ。
人を殺してもいない人を、死刑にしてしまう可能性。
そしておそらく、私たちのこの国の死刑制度は、無実の人々を死刑で殺してきた。
ほぼ確実にそうだ。

何人かはわからない。
だけど絶対人間は間違えるのだ。
全面的に私は、この点を死刑反対派の人に賛成する。

そうだ無実の人を殺してしまう可能性のあるずさんな制度だ。
死刑制度はそういう制度だ。

だったら無実の人は100%死刑にならないシステムだったら
どうだろうか?

それなら死刑制度を認めるか?
私は認める。
森さんは認めない。

それでも私はぐらぐらと揺れ続ける。
現実に死刑制度で無実の人が死刑にならないシステムを作れる日など来ない。
それがわかっているから。

それでも死刑賛成なのは、死んだ人が口をきけないからだ。
私のなかで冤罪の人が死刑になることと、同じ重みをもって「殺された人の権利」が
並ぶ。

だけど、殺された人の権利が侵されたからといって、
「無実の人を死刑にしていい」わけが無い。

だから私はぐらぐら揺れる。
それでも私はいま死刑賛成派だ。
かろうじて、だが。

私はこの本を読んでもまだ死刑へのリアリティが足りないから死刑賛成派で
いられるのかもしれない。

私は自分が無実の罪で死刑になる、そんな冤罪がかけられるとは全く思っていない。
だからリアリティが足りない。

おそらく多くの人がそうだ。

だが、痴漢の冤罪はリアリティをもてる人は多いのではないか。
そしておそらく痴漢の冤罪を無くすために、今の痴漢で逮捕されるこの国の制度に
疑問をもっている人、反対している人は死刑反対派よりも多い。
絶対に多い。確実に。

朝夕のすさまじい人ゴミの中の電車。
あれを経験した人は、とくに男性は「痴漢冤罪のリアリティ」を感じられる。

だが死刑冤罪のリアリティは無い。
少なくとも私には一切無い。

この国で死刑反対派が賛成派を上回るときがくるだろうか?

私は一つのケースを考えている。

殺人で逮捕された人がいる。
彼は終始一貫として自分は無実である、と主張していく。
しかしついに死刑判決が下され、それでも最後まで無実を訴え、
そして死刑が執行される。

直後、真犯人が名乗り出る。
自ら罪を犯した明確な証拠、たとえば殺している様子を撮影した動画とかと
一緒に。

ここまで明確に「間違った死刑」が行われたとき、
私は、死刑賛成派は、死刑を執行した国はどうすべきなのだろうか。

このとき死刑反対派は大きなうねりとなるかもしれない。

だが、そうはならないかもしれない。
皆が黙り、それをタブーとして、自分たちの間違いを認めることなく、
あるいは反省しているからもう触れるな、と。

そして忘れていこうとするかもしれない。

いや、おそらくそうなる。ほぼ確実に。
そういう国だ。

私はいま死刑反対派に論理的に完全に負け、転向しようとしている。

それは森さんの人を救いたいという願いでも何でもない。
人は人を殺してはいけない、ということでもない。

人を殺した人の中に、むごたらしく、生き地獄を味わいながら死んでいってほしい人がいる。

それでも無実の人が死刑になる、というこの一点のみで、
私はぐらぐらとしている。

いやもうハッキリ書く、ブログにまとめながら思う。
無実の人が死刑になる可能性があるのなら、死刑制度は停止すべきだ。

廃止とは書けない。
だがこれは実質廃止だというのはわかる。

私は死刑賛成派だ。
無実の人を死刑にしないで済む死刑制度があるのなら、
私は賛成する。

だが現行制度では無実の人を死刑にする。
無実の人を死刑にしてまで、死刑制度を運用していく理由が私には見出せない。

どんなに悪魔のような殺人鬼がいても、彼を死刑にしたくても、
彼を死刑にするために、他の無実の人を死刑にしていい理由が見出せない。

いや、答えはある。
戦争と同じだ。

テロリストを、あるいは敵の戦闘員を殺すために、どれだけ無実の人を、戦闘に関係ない人を殺しただろう。

私は戦争を認めている。
侵略戦争を認める気はないが、自衛の戦争は絶対に必要だと思う。
しかしその「侵略戦争と防衛戦争」の区分けがきわめて難しく、さらには
混同されることも知っている。自衛の名のもとに侵略が行われることを知っている。

もし戦争を認められるなら、死刑制度も認められるのだ。
凶悪犯を殺すために、少数の無実の人が巻き込まれるのは致し方なし、と。

そう考えられるのはリアリティが無いからだ。

自分が戦争に巻き込まれ、誤爆で死ぬと思っていないからだ。
自分が無実で逮捕され、死刑判決を受けると思っていないからだ。

もし、自分がそのように立場になるとわかったら。
私は戦争に反対し、死刑に反対するだろう、と。

だが現実の私はそうは書いても、リアリティをいまだに感じていないのだ。

だから私は死刑に賛成である、と。

ここで切る。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
クリエーター情報なし
朝日出版社

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
事実認識に何ら問題がない場合 (クレーマー&クレーマー)
2012-09-13 21:15:55
私も死刑存置派です。死刑は必要だと思います。かけがえのない人命を身勝手な動機で奪っておいて「命だけは助けてください」はないと思います。取り返しのつかないことをした者には取り返しのつかない死刑という刑罰があっていいと思います。

冤罪の問題は確かにありますが、事実認識において何ら問題にならないケース(加害者が認めている …)においては何ら問題はないはずです。

返信する
遅過ぎてごめんよぅ (秋山からす)
2012-10-15 08:55:16
遅くなりましたが、たしかに事実認識において、というのは分かるんですが、たぶんね、その事実認識すらも「本当に?」というケースがあるから怖いのかなと。

そのものすげー可能性として超低い出来事が起きてしまった場合に「運が悪かったですね」で終わらせてしまっていいのか、という。

そこでリアリティを感じてないから、私は死刑に賛成できるんだと思うんですよねぇ。

いまこう書いていても、そういう運の悪いケースが自分にも、自分の周りにも起きると思っていないから、死刑の停止、などと書いても実際にそういう運動に関わらない。

この私の日記は死刑について真剣に考えている人への侮辱だな。だめだこの日記。思考実験というか机上の空論をただ書いているだけだ、これは。

だけど削除はしない。
なにかにつながるかもしれん。
返信する
運の悪いケース (クレーマー&クレーマー)
2013-04-06 11:52:10
お久しぶりです。
返信頂いていたことに今日まで気付きませんでした。ありがとうございました。

>だめだこの日記。思考実験というか机上の空論をただ書いているだけだ、これは。

そんなことはないと思います。試行錯誤の連続でいいと思います。書く(記録する)ことに意味があります。

⇒ 説得力に欠ける死刑廃止論 4 (森 達也氏の死刑廃止論)
返信する

コメントを投稿