幕末、戊辰戦争で敗れた会津藩の人々が
その後懲罰的な意味で、青森・下北半島や岩手県北部の
斗南藩へと移された。
当時の人々の手記などからその足跡を明らかにする本。
ほとんど資金も無い状態で移され、家もなく、作物を育てるのも難しく、
寒さの厳しさは尋常でない見知らぬ土地に移った彼らは、
飢えて死に、病気で死に、悲惨な状態へとなっていく。
懲罰的な意味だけでなく、薩長の権力争いのために、物事は進まず、
藩の幹部たちは知恵を絞って、コネを利用して窮状を訴える。
一方でもう自分自身で何とかせねば生きていくこともできない、と
明治の生き方に合わせて変えていく。
賊軍となった人々の姿は哀れだが、その一方でなんでここまで
誇り高いのだろう、とも思う。とっくに何もかも諦めて理性が崩壊し、
新政府への反乱が起きてもおかしくはない。
というか実際に幹部たちはそういう動きをしていたわけだけども。
しかし最終的には政府を内側から変えよう、と。
あるいは教育に力を入れていこう、牧場を発展させよう、と。
もちろん冒頭には家族3人が一度に死んだ墓を見るくだりがあったりと、
悲惨このうえない。
敗戦後の城下、薩長に占領された会津はなにもかも変わり、
遺体すら埋葬を許されない。
腐敗した遺体がそこらじゅうにあるままで、
密偵たちが大量に入り込んでいる。
新政府の偉人たちの下で働く人々は酷使され
横暴な姿は何が維新の志士か、と思うだろう。
なぜ会津の人たちがずっと、現代に至っても長州を憎んでいるのか、というのは
分かりすぎるほど分かる。
斗南藩自体、藩だったのが県になって吸収されて、
一体自分たちはどうなってしまうのか、と。
せっかく見知らぬ土地でも長い時間をかけて
良い土地にしていこうと幹部たちは計画も考えていたのに。
一方でその悲惨な境遇をバネにしたり、新政府のなかにも心ある人はいた
ことも語られる。
とくに大久保利通が斗南で牧場を見るくだりは、いろいろ思うことがある。
薩摩の西郷と大久保は袂を分けた。
それがまた新政府から薩摩の要人が抜けて、会津の優秀な人が政府に
入るキッカケとなる。
この西南戦争では会津の人々が今度は逆に復讐のために出向くわけで。
会津の人々の運命が複雑に交差しているのを、丁寧に描き出している。
きっと西の人たちが読めばまた反感を抱くこともあるだろう。
また現地の人々に教育を施すという上から目線が気に障る人もいるだろう。
旧幕臣に対しては、「新政府に入ったのに助けてくれる人なんていない」と。
完全に冷ややかだ。
実際、本書を読んでいるとかつての幕府の要人たちが何かした、というのを
一切見ることができない。
助けてくれたのはむしろ新政府の心ある人々、であり、
あるいは借金生活をしている自分たちの力なのだ。
藩主だった松平容保なんて病弱で頼りない人なんだ、と。
それが私の好きな磯田先生をはじめ客観的にそういう評価だろう。
実は本書でも、この容保は決して頼りがいのある殿様ではなかった、と
書いている。
だけど、と。
その藩主は愛されていると。
移住でキツイ生活になっても藩主への敬愛はまったく失われなかったと。
名君ではなかった、とハッキリ書いている。
だが寡黙で思いやりのあるこの殿様が好きだったんだ、と。
そのせいで京都守護職なんていう損な役回りをやらされ、
長州の恨みを一身に受けることになったんだとしても、
それでも反論しない。
その後懲罰的な意味で、青森・下北半島や岩手県北部の
斗南藩へと移された。
当時の人々の手記などからその足跡を明らかにする本。
ほとんど資金も無い状態で移され、家もなく、作物を育てるのも難しく、
寒さの厳しさは尋常でない見知らぬ土地に移った彼らは、
飢えて死に、病気で死に、悲惨な状態へとなっていく。
懲罰的な意味だけでなく、薩長の権力争いのために、物事は進まず、
藩の幹部たちは知恵を絞って、コネを利用して窮状を訴える。
一方でもう自分自身で何とかせねば生きていくこともできない、と
明治の生き方に合わせて変えていく。
賊軍となった人々の姿は哀れだが、その一方でなんでここまで
誇り高いのだろう、とも思う。とっくに何もかも諦めて理性が崩壊し、
新政府への反乱が起きてもおかしくはない。
というか実際に幹部たちはそういう動きをしていたわけだけども。
しかし最終的には政府を内側から変えよう、と。
あるいは教育に力を入れていこう、牧場を発展させよう、と。
もちろん冒頭には家族3人が一度に死んだ墓を見るくだりがあったりと、
悲惨このうえない。
敗戦後の城下、薩長に占領された会津はなにもかも変わり、
遺体すら埋葬を許されない。
腐敗した遺体がそこらじゅうにあるままで、
密偵たちが大量に入り込んでいる。
新政府の偉人たちの下で働く人々は酷使され
横暴な姿は何が維新の志士か、と思うだろう。
なぜ会津の人たちがずっと、現代に至っても長州を憎んでいるのか、というのは
分かりすぎるほど分かる。
斗南藩自体、藩だったのが県になって吸収されて、
一体自分たちはどうなってしまうのか、と。
せっかく見知らぬ土地でも長い時間をかけて
良い土地にしていこうと幹部たちは計画も考えていたのに。
一方でその悲惨な境遇をバネにしたり、新政府のなかにも心ある人はいた
ことも語られる。
とくに大久保利通が斗南で牧場を見るくだりは、いろいろ思うことがある。
薩摩の西郷と大久保は袂を分けた。
それがまた新政府から薩摩の要人が抜けて、会津の優秀な人が政府に
入るキッカケとなる。
この西南戦争では会津の人々が今度は逆に復讐のために出向くわけで。
会津の人々の運命が複雑に交差しているのを、丁寧に描き出している。
きっと西の人たちが読めばまた反感を抱くこともあるだろう。
また現地の人々に教育を施すという上から目線が気に障る人もいるだろう。
旧幕臣に対しては、「新政府に入ったのに助けてくれる人なんていない」と。
完全に冷ややかだ。
実際、本書を読んでいるとかつての幕府の要人たちが何かした、というのを
一切見ることができない。
助けてくれたのはむしろ新政府の心ある人々、であり、
あるいは借金生活をしている自分たちの力なのだ。
藩主だった松平容保なんて病弱で頼りない人なんだ、と。
それが私の好きな磯田先生をはじめ客観的にそういう評価だろう。
実は本書でも、この容保は決して頼りがいのある殿様ではなかった、と
書いている。
だけど、と。
その藩主は愛されていると。
移住でキツイ生活になっても藩主への敬愛はまったく失われなかったと。
名君ではなかった、とハッキリ書いている。
だが寡黙で思いやりのあるこの殿様が好きだったんだ、と。
そのせいで京都守護職なんていう損な役回りをやらされ、
長州の恨みを一身に受けることになったんだとしても、
それでも反論しない。
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