マイリトルガーデン

庭の植物や日々の出来事を気ままに

マウスオンアルバム3(九州の旅)

2006年11月03日 | 旅行
九州旅行 10月31日~11月3日
(エースJTB個人型プラン)
1日目・・・福岡空港→日田豆田町→湯布院観光→興禅院→湯布院・庄屋の館泊 。 2日目・・・阿蘇山は有害ガスの為中止、草千里→熊本城→フェリーで島原→雲仙宮崎旅館泊。 3日目・・・雲仙地獄散策→仁田峠観光→長崎市内観光→ハウステンボスジェイアール全日空ホテル泊。 4日目・・・ハウステンボスで遊ぶ→長崎空港。
お天気にも恵まれ紅葉と温泉三昧の旅を楽しんできました。
<日田・豆田町・薫長酒造資料館・杉玉>
<広瀬資料館・天保時代のお雛様>
<興禅院・金剛力士像>
<興禅院・青の洞門を彫り上げた禅海和尚と妻お由美の像>
<湯布院・金鱗湖と由布岳>
<>
<由布岳>
<阿蘇草千里・乗馬用馬>
<熊本城>
<妙見岳・普賢岳・平成新山・>
<グラバー園から長崎港を望む>
<ハウステンボス・風車><ハウステンボス・別荘><ハウステンボス・ジェイアール全日空ホテル><仁田峠・ミヤマキリシマ(ウンゼンツツジ)>

日田・豆田町
江戸時代には、幕府直轄の天領地として、日田代官所が置かれた城下町「九州の小京都と言われ、今でも県内最古の商家や蔵屋敷が立ち並んでいる。
薫長酒造資料館
銘酒「薫長」の醸造元であるクンチョウ酒造の江戸時代の酒蔵を利用した酒の資料館。
廣瀬資料館
九州の天領地の中心であった日田で、幕府御用達の掛屋(公金を取り扱う金融機関)、その廣瀬家の屋敷の一部を公開し天保時代の豪華な雛人形や掛屋時代の文書を展示。
湯布院
昭和30年に由布院町と湯平村が合併、湯平の「湯」をとって、湯布院町となった。それ以来、元の由布院町である盆地周辺をさすときは「由布院」、町全体を指す時は「湯布院」と使い分けるケースが多い。
金鱗湖
湯布院のシンボル的な存在、湖に温泉が流れ込み、湖全体の温度が高いため、気温が下がる秋から冬の朝には霧が発生し、湖全体が幻想的な風景になる。由布岳(標高1584m.豊後富士と呼ばれる)の下にある池、という意味から「岳ん下ん池」と呼ばれていた。湖面より魚が飛び跳ねるのが見え、魚の鱗が夕日に映え金色に輝いて見えたことから、呼び名となった。
熊本城
大阪城・名古屋城と並ぶ三大名城の一つ。7年の歳月をかけて加藤清正が築城。1877年に城の殆どを消失、現在の天守閣は、1960年に再建。内部に細川氏伝来の武具や西南戦争で使われた銃を展示している。
雲仙岳
普賢岳、妙見岳、平成2年の噴火後にできた平成新山などの一帯にそびえる山々の総称(八つの山)
雲仙地獄
江戸時代三代将軍徳川家光からキリシタン弾圧の厳命を受けた藩主松倉重政(島原藩主)〔島原の乱を平定・一揆軍の首領天草四郎他皆殺し〕は雲仙地獄で迫害を開始した。1627年2月内堀作右衛門パウロ他15名、5月に峰助太夫ヨアキム他11人、翌年に中島ミカエルら2人が殉教した。弾圧は1632年まで続いた。お糸、清七、血の池などの名称が付けられている。「君の名は」の舞台となった。
グラバー園
外国人居留地であった敷地に、幕末から明治にかけて建てられた9棟の洋館を改修、移築したのがグラバー園。旧グラバー邸は貿易商トーマス・グラバーが接客用に建てた屋敷。木造の洋館としては日本最古、重要文化財。歌劇「蝶々夫人」の舞台。キリンビールの創始者。
大浦天主堂
正式名称は日本26聖殉教者天主堂、1864年プチジャン神父の時に完成。地元ではフランス寺と呼ばれている。キリシタン禁止令により、処刑された26聖人に捧げられている。現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会で、洋風建築としては唯一国宝に指定されている。礼拝堂には100年以上前にフランスで作られたステンドグラスがある。
ハウステンボスは祝日なのに、TDLと違って入園者が少なく、並ぶ事がほとんどなかった。