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書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

篆書  秦始皇刻石(BC219)

2006-05-09 10:22:48 | Weblog
紀元前219年、
諸国を巡視した始皇帝は自分の功績を石に刻ませ、
泰山の他全国6ケ所の山に建てさせた。
これが石碑の起源と言われる「秦始皇刻石」であり、
標準書体の小篆で刻石した。
泰山刻石、琅邪台刻石のごく一部が残存している。

篆書 秦公?(き)銘文

2006-05-08 11:04:14 | Weblog

秦代に作られた珍しい青銅器がある。
食器の一つであるが銘文が名高い。
内容は秦国臣民の団結を促すものだが、
用いられている文字は自由奔放、
伸び伸びとしているが何処かに風格を感じる。
この食器の文字で画期的なのは、
もしかしたら、この文字を描いた方法が印刷の起源かも知れないのだ。
書かれた文字の12種の文字は同じ文字が二度使われているが、
その文字は大きさから字画から全く同じ文字なのだ。
即ち、現代の活字の様なものを用いたと推測されるのだ。

石鼓文

2006-05-06 12:39:02 | Weblog

全国統一するより以前の秦の遺物とされる石鼓、
太鼓の形状の石に銘文が刻まれている。
石に刻み込まれた文字としては最古とされている。
後に流行する石碑の起源である。
石鼓は唐代に発見され、
当時から古字を刻んだ貴重なものとして評価されていた。
唐から秦をかえりみれば約1000年、
我々が唐をかえりみるのとそう変わらない。

篆書  越王勾践剣銘

2006-05-04 15:11:47 | Weblog

便宜上、甲骨文、金文と素材面での分類したが、
甲骨文、金文も字体そのものは篆書体である。

もしかしたら、
あの西施が眺めたかもしれない勾践の剣に刻まれた銘、
当時の技と美の限りを尽くした逸品だ。
墓の中で発見された時、鮮やかな光を発していたと言う。
銘文は華やかな鳥文で書かれ、
当時の絢爛豪華な王宮での暮らし振りが伝わってくる。


篆書 侯馬盟書臨

2006-05-03 14:44:05 | Weblog
西周王朝滅亡が紀元前771年、
始皇帝が全国統一したのが紀元前221年、
周王朝の支配力が弱まるこの500有余年を春秋戦国時代と呼ぶ。
乱立した諸侯が競い合い当初200有余の大小国も次第に淘汰され、
七大国が覇を争う戦国時代に突入する。
各国は他国を凌いで主導権を勝ち取るべく自国を強化に凌ぎを削る、
政治的、社会的に如何に新政策を打ち出すかに心血を注ぐのである。
謂わば自由競争の時代であった。
諸侯間の同盟、裏切り、内紛は日常茶飯事で有ったであろう。
国家間、或いは国内の家臣との間で結ばれた同盟の証となった盟書が残っている。
先の尖った石、玉などに筆を用い朱で書かれているものが多い。
朱は元来、血であったとも言われる、所謂、血書なのだろう。


金文 礎王墓出土鼎臨書

2006-05-02 16:27:28 | Weblog

この時代になると、文字を書き記す素材は、
従来の甲骨、青銅器から、石、玉、布等に多様化し、
磨崖碑や石碑、絹地に書かれた帛書などとして次の時代に展開してゆく。
かくして、
神への問い掛けとして作られてきた文字が、
人と人との情報伝達の道具としての一般化してゆくのである。