書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

龍蔵寺碑(586)

2006-06-30 06:32:28 | Weblog

北方の厳しさは既に影を潜めてはいるものの、
北方の気風の残る骨格と整斉さの中に、
おだやかな叙情味すら覚え、
南方独特のしなやかな転折や波法がみられる。
後年、南北の書風を融合した新しい様式と称され、
やがて来る初唐の
虞世南、欧陽洵、猪遂良へと脈々と連なり
楷書の完成をみるのである

智永・真草千字文

2006-06-29 06:38:21 | Weblog

智永は当時の時の人であったのだろう。
彼の書を求めて日参する人の多さで居間の敷居の消耗が激しく、
鉄板で補ったと言う逸話が残っている。
「鉄門限」と言われる。
少年時代の虞世南は智永に書を習ったと言う話も有る。
奈良時代に我が国に伝来した真草千字文は残された唯一の真蹟本と言われ、
国宝に指定されている。



張猛龍碑

2006-06-27 08:21:10 | Weblog

私が最初に臨書を習ったのがこの張猛龍碑だ。
力強さに魅されてどうしても肩に力が入ってしまうのだ。
右肩上がりの方筆で強いがおおらかな払い、
特に左払いに特徴がある。
文字の構成は緊密を極める。
鄭道昭の書と共に北魏の代表作とされる

鄭道昭・雲峯山右闕題字

2006-06-25 06:05:59 | Weblog

鄭道昭は、
国子祭酒(現代の国立大学の学長格のあたる)等を歴任の後、
光州の刺使(州の長官)となった当時、
山東省にある天柱山・雲峯山・太基山・百峯山などを巡り歩き、
多くの摩崖を書き、刻させた。
余程の山好きだったらしい。
武者小路実篤がこの字を好んだと言う。

鄭道昭・鄭羲下碑

2006-06-24 07:59:14 | Weblog

如何にも北方の気風を思わせる書だ。
私の大好きな書、幾度臨書したか数え切れない。
書いていて、右肩の曲がり具合に不思議な心地よさを感じる。
のびやかでゆったりとし、温かみのある線質は、
気宇雄大な気分にしてくれるのだ。

牛けつ造像記

2006-06-22 09:04:40 | Weblog

夭折した息子牛けつの冥福を祈って母尉遅氏が奉納した。
何か物語がありそうな造像記だ。
書はあくまでも冷静厳粛に客観的に事実を伝えようとしている。
字形の整いに冷酷さえ感じる。
北魏方形の先駆ともされる。