書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

寂厳・一行書

2009-04-30 08:43:51 | Weblog
寂厳(1702-1771)
江戸時代中期の真言宗の僧。
梵語の研鑽の努めた学僧である。
良寛、明月、慈雲と共に近世の4大書僧と呼ばれ、
学僧としてよりも書家として有名である。

白雲嶺頭梅

白隠彗鶴

2009-04-27 08:51:09 | Weblog
白隠彗鶴
(1685-1768)
臨済宗中興の祖、江戸中期の禅僧。
静岡東部原に生まれる。
多くの仏典を講じ、自著も多い。
正宗国師のし号がある。
終生庶民の中にあり中央と間を置いた。
白隠終篤の地、沼津市原の松蔭寺。


如何是見聞覚知主

徳川吉宗

2009-04-26 08:59:10 | Weblog
徳川吉宗(1684-1751)

江戸幕府八代将軍。
江戸時代中興の名君と謳われる。
享保の改革で幕府の支配体制を建て直した。
禁制のキリスト教以外の洋書輸入を許可したことが以降の諸学の発展に繋がっている。


忠孝館

大岡忠相・詠草

2009-04-25 09:20:56 | Weblog
大岡忠相・詠草
(1677-1751)

吉宗に抜擢され幕府の重責を担った。
世に言う大岡政談のの多くは中国などに伝わる故事によるものが多い。
とは言え、享保の改革の中心人物で有った事は間違いない。
律儀な筆運びが彼の誠実さを示している。

幾千世を重てもなを


紀伊国屋文左衛門

2009-04-23 09:09:03 | Weblog
紀伊国屋文左衛門
(1669?-1734?)
元禄期の豪商。
みかん伝説、上野寛永寺根本中堂造営、など逸話が多く残る。
其角と交友があり俳句も嗜んだ。
後に十文銭の鋳造に失敗し家運が衰えたと言う。

茶のみちはたどるも広し武蔵野の


荻生徂徠

2009-04-22 08:36:37 | Weblog
荻生徂徠
(1666-1728)
儒者。
柳沢吉保の側近として活躍するが吉保失脚に伴い野に下る。
赤穂浪士に対し私義切腹論を主張した事でも知られる。
後に吉宗の信任を得てその諮問にあずかった。
私塾を開き、徂徠派を形成した。
私塾の隣りに住んだ宝井其角の「梅が香や隣りは荻生惣右衛門」の句が残っている。
豪胆な性格で多くの門弟を育てた。
唐様の書は自由奔放を極め趣き深い。

花香欲酔人

新井白石

2009-04-21 12:44:02 | Weblog
新井白石
(1957-1725)
江戸時代中期の儒学者であり政治家でもある。
その学識は、歴史・地理・社会経済・言語・民俗・考古の広きに渡る。
新田の一族と伝えられる。
甲府の徳川綱豊に仕え綱豊が将軍家宣に成るに及んで、
家宣、家継に二代に渡り幕政の改革に尽力した。
所謂、正徳の冶である。
吉宗の代に政治的に失脚し、余生を諸学に専念した。
「折焚く芝の記」他多くの著述がある。
実直な性格が書に現れている。

何堪今夜景不似青年晴