書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

書の歴史を臨書する(完)

2007-03-15 08:50:25 | Weblog
無謀にも、
中国の古代の古文から清代に至る名書を臨書して来た。
原書とは全く形も意も異なったもの、
余りの粗雑さに眼を覆いたくなるもの、
意外に上手く書けたぞ、と、ほくそ笑んだもの、
長い間、書に携わってきて始めて目にしたもの、
それが、ときめきを感じるものであったり、
いろいろ、いろいろである。
不思議なもので、次第次第に、
書に対する親愛の情が湧いてきた。
その時代時代の雄叫び、凱歌、情熱、鬱憤、
そして、喜怒哀楽、親子親族への情愛、憎しみ、
男女の情愛、憎しみ、
間近に接したような気がする。


暫くお休みして、次は日本の名書の臨書に入る。
時折、未練を持ちながら書き残した中国の書も書き添えてみようと思う。
(「書の歴史を臨書する」は2006年初より拙ホームページに原書とその臨書を掲載したものであり、その後、平行して臨書のみを本プログに掲載した)



羅振玉・臨?伯彜銘

2007-03-14 09:01:51 | Weblog

羅振玉(1866-1940)
清朝に仕え、民国革命の際に日本へ亡命した。
満州国成立に伴い、宣統帝を補佐したが、
直ぐに辞任し学問研究に余生を送る。
木簡、金石文、金文、墓碑等の広く非凡な業績を上げたが、
特に甲骨文に於ける研究業績は賞賛に値する。

臨?伯彜銘
原器拓本を忠実に模している。

庚有為・贈犬養木堂

2007-03-12 07:45:10 | Weblog

庚有為(1858-1927)
政治的な学術団体を組織し、
一時は光緒帝の厚遇されたが戊戍政変で日本へ亡命した。
孫文らと意見を異にして清朝擁護に動き、反動派として処される。
若年から独自の書法を研究し、
独特の力強い書法を作り上げた。

呉昌碩・臨庚羆ユウ銘

2007-03-10 06:55:28 | Weblog

呉昌碩(1844-1927)
17歳の折、太平天国の乱で多くの肉親、許婚を失うという辛苦にあった。
幼時から篆刻を好み、清朝末の篆刻の第一人者と言われた。
その後書画に傾注し、特に石鼓文を精力的に習い、
篆法の極意を会得したとされる。
彼の書風は日本人に好まれ、当時の国際舞台に名を成した。

臨庚羆ユウ銘
現物以上に迫力に富むと言われている。
犬童木堂養が旧蔵した。


楊守敬  程本立・題山水少画

2007-03-08 08:58:32 | Weblog

楊守敬(1839--1915)
極めて日本に馴染みの深い人物である。
1880年来日し4年間滞在した。
その間、書家として待遇され、巌谷一六や日下部鳴鶴等に大きな感化を与えた。
元来、地理学の権威であり、金石学他諸学に造詣が深く、
多大の著述を残している。

程本立・題山水少画
楊守敬は自作の詩も多くあるが、好んで他人の詩を書いたと言う。
如何にも詩の内容にマッチした書だ。


呉大徴・七言対聯

2007-03-07 09:20:11 | Weblog

呉大徴(1835-1902)
若くして金石拓本を好み、説文解字に没頭した。
篆文、金石に関する膨大な著述がある。
子弟教育、難民救済にも乗り出している。

七言対聯
金文に若干時代の下がった篆書の書法が混じっている。

周銅龍節(遺文古 唐王魚符拓墨新)