書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

渡辺崋山

2009-05-31 09:53:03 | Weblog
渡辺崋山(1793-1841)
田原藩の家老であったが画人としての方が名高い。
極貧の中で絵画の勉学を重ね、
谷文晁に其の才覚を高く評価されてから世に名を認められた。
遠近法を取り入れた山水画など近代絵画の先駆者的役割を発揮した。
藩の海防を担当するする事などから、西洋事情にも詳しく、
高野長英などとも親交があった。
後に幕府批判のかどで獄につながれる、所謂、蛮社の獄である。
被害が藩主に及ぶ事を恐れて自害する。


自穆稜?此荒陬
雪月花晨無杞

谷文晁

2009-05-30 10:00:16 | Weblog
谷文晁(1763-1840)
江戸後期の文人画家。
狩野派、南宗画、西洋画、土佐派、など様々な画法を学び独自の画法を習得した。
松平定信に厚遇され、江戸画壇の重鎮として名を成した。

丹青不知老将至富貴
折我如浮雲

仙崖

2009-05-28 09:24:31 | Weblog
仙崖(1751-1837)
臨済宗の禅僧。
庶民の中に庶民と生きた。
金俳主義に対し痛烈に時勢を風刺し、
過酷な圧迫に耐え禅の境地を判り易く書画に託し諸子に説いた。
軽妙洒脱でヒューマニズムに富む禅画を多く残している。

紫衣を拒み黒衣で通したと言う気概を感じる書だ。

庭前柏樹子

大塩平八郎

2009-05-27 09:19:08 | Weblog
大塩平八郎(1793-1837)
江戸末期の儒学者。
与力として役人の腐敗、豪商の奸智を厳しく取り締まり名を成した。
天保の飢饉時に窮民救済すべく蜂起を企てたが事前に発覚し自殺した。

毅然とした性格を示す書だ、精力が漲っている。

張身不啻河婦天下男児多亦

巻菱湖

2009-05-26 08:14:51 | Weblog
巻菱湖(1777-1843)
江戸時代末期の代表的な書人。
市川米庵、貫名海屋と共に幕末の三筆と謳われる。
趙子昂、董其昌などの書を多く臨摸して確立した書法を唐様と呼ばれた。
彼の書は文字学が基盤になっており来歴の正しい書家として後世へ多大の影響を齎した。
米庵が上流社会の門人が多かったのに対し、菱湖の門人は庶民が中心であった。


男児更老気如虹
短鬢何嫌以断蓬

頼山陽・大字

2009-05-25 08:27:40 | Weblog
頼山陽(1780-1832)
江戸時代後期の儒者・詩人。
幼児時から文武両道に精進し、12歳にして「立志伝」を著した。
若くして蘇東坡を耽読し詩文において其の天分を現した。
その著書「日本外史」は代表的な歴史書として位置付けられ、
幕末の尊皇攘夷派の多くの影響を与えた。

月色