前書もそうであるが、残された佐里の書状には、
言い訳、詫びの内容のものが多い。
官吏で有りながら政治音痴、粗忽で世間知らず、
そんな人物像を浮かび上がらせる。
それにしても見事な草体、奔放自在を極め、
かつ、意図的とは思えない卓越したバランス感覚、
天分であろう。
動静恐鬱之甚異於在都之日者也
藤原佐里(944-998)
小野道風、藤原行成とともに三蹟の一人。
署名の官職から佐里23歳から26歳の間の作と知れる。
この若さでかかる筆跡を示しているのは、流石、三蹟の名に恥じない。
「桜」字などに見る如く、流麗で活き活きと躍動している。
若々しい青年の面影をも感じる。
現存する懐紙としては最古の物で、史料価値も高い。
(「懐紙」とは漢詩、和歌などを一定の書式に則って書写したものを言う。)
水紅桜光
粘葉装の冊子本の断簡である。
見開きの左右に色の違う鳥の子紙を使い、2頁に渡って歌一首を散らしている。
継紙とは種類や色の違う紙を、切継、重継、破継などの技法を使い、糊で継ぎ合せて色や形の変化の美しさを求めた、書写の料紙である。西本願寺本三十六人集がその代表である。
荘厳、枯淡の境地が覗える。
おほぞらのつきのひかりしさむければかげみし水ぞまづこほりけり