書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

百人一首 在原業平朝臣

2010-05-31 09:13:46 | Weblog
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは

在原業平(825~880)
平城天皇の孫、在原行平の弟。六歌仙・三十六歌仙のひとり。
絶世の美男で数多くの女性と恋遍歴を重ねたと言う。
「伊勢物語」の主人公のモデルとされるが、
将来は天皇の后と約されている藤原高子との恋、
そして、伊勢大神に仕える神聖な女性の象徴ともされる伊勢斎宮との恋、
おおらかな時代とは言え、これらの禁忌の恋には大胆さだけとは言えない背景を感じる。
薬子の変による平城天皇の失脚に因する葛藤もあったのだろうか。
この歌は二条后(藤原高子)に招かれた際に作ったとされる。

百人一首 中納言行平

2010-05-30 09:13:50 | Weblog
立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

中納言行平(818~893)
在原行平、平城天皇の孫で在原業平の兄。
和歌の世界では業平と並び称されるが、
政治家としては業平よりも有能で高い位に登っている。
掛詞を二つ使った如何にも技巧的な歌だが、
別れを歌ったにしては何処かサラッとした感じを受ける。

百人一首 光孝天皇

2010-05-29 09:24:09 | Weblog
君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

雪の中、奥様?のために野菜を摘むような優しい質素好みの帝であったようだ。
政治には関心が浅く、政務の殆どを藤原基経に任せた。
基経は後に日本初の関白となり藤原家の権力を確固なるものとした。

百人一首 僧正遍昭

2010-05-26 09:34:19 | Weblog
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ

まだ幕を引かないで、もう一寸見ていたい、アンコール! アンコール!

小野小町との逸話が残っている。
「石の上で寝るのは寒すぎるので、一枚服を貸して欲しい」
と小町に言われて、
「世を背く苔の衣はただ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん」
と応えた、仲々風流なお坊さんだ。

百人一首 小野小町

2010-05-24 08:59:35 | Weblog
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

一説によるとこの歌は、
在原業平に思いを寄せていた小町が、業平が全く興味を示してくれないのを嘆いた歌、だとか。
私の友人の小野さんは小野妹子の血筋の人だが小町も一族かもしれない。
それにしても、小町の墓と呼ばれるものは津々浦々に有るようだ。

百人一首 阿倍仲麻呂

2010-05-22 09:24:06 | Weblog
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

吉備真備と一緒に遣唐使として唐に渡ったが、
帰国の際し安倍仲麿は唐の要職に付いており帰国できなかった。
その後、三十猶予年後、仲麻呂は帰国の機会を得たが乗船の難破で帰国を果たせなかった。
結局、仲麻呂は帰国を叶えられることなく当地で生涯を終えた。
陝西省西安市にある興慶宮公園の記念碑と江蘇省鎮江にある北固山の歌碑に阿部麻呂作の詩が残されている。
翹首望東天
神馳奈良邊
三笠山頂上
思又皎月圓
表記の和歌を漢詩に詠んだものだと伝わっているが、和歌が先か漢詩が先かは判らない。