書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

由比正雪・書状

2009-03-31 08:03:59 | Weblog
由比正雪(?-1651)
慶安の乱の首謀者。
駿河由比町に正雪の生家と言われる紺屋が残っている。
私淑した大原雪斎から雪を、また、楠正成から正を取り、正雪と称した。
楠木流の軍学者として一時は三千人の門下を集めたと言う。
丸橋忠弥等と倒幕を企てたが事前に漏れ自刃した。
覇気に富んだ闊達な書風はあたかも正雪の生き様を示す如くである。

新書興アル事ニ候へ共今程ハ

徳川家光・書状

2009-03-29 08:48:04 | Weblog
徳川家光(1604-1651)
職制、兵制、参勤交代などの制度を整備し、徳川幕府の権勢を確たるものにした。
遠州に茶を探幽に絵を学ぶなど風流にも通じた。
個性的な人間味溢れる書風である。

大御所様弥御快気目出度奉

鶴亀の庭園

2009-03-27 08:46:13 | Weblog
たまたま、昨日訪れた南禅寺・金地院で遠州作の庭園「鶴亀の庭」と茶席「八窓席」を鑑賞した。
遠州作とされる庭園は数多く残されているが、
遠州作との資料に裏打ちされている庭園は此処のみとの事である。

小堀遠州・書状

2009-03-27 08:20:52 | Weblog
茶道と作庭に長じる。
遠江守の名の大名でもある。
名古屋城本丸、大阪城本丸仮御殿など多数の作事奉行を務めた。
古田織部、千利休と並び三大茶人とも呼ばれる。

書は、一見してそれと判る熱烈な定家の信奉者である。

夜前とつかに一泊

宮本武蔵・書状

2009-03-25 19:19:49 | Weblog
宮本武蔵(1584-1645)
剣豪として余りにも有名である。
若くして諸国を遍歴し兵法の道を極めた。
五輪書を残す。
晩年は、熊本細川氏の客分として仕える。
水墨画、特に禽鳥図を得意とした。

被思召付尊礼忝次第ニ奉存候

細川忠興・短冊

2009-03-23 08:06:16 | Weblog
細川忠興(1563-1645)
信長、秀吉、家康と歴任し大いに武名を馳せる。
一方、父幽斎譲りの学芸面での才を発揮した。
利休三哲に挙げられる茶人でもある。
光秀の娘ガラシャを妻にしながらよく家名を守るなど、
思慮の深い人物であったことを物語る。

小姓どものうちより