石如(1743-1805)
生家は貧しく幼児から薪を採り、百姓をし、餅を売り歩いたと言う。
書刻で生計を立てていたが、
その天稟をして名家に招かれ、食客を転々とし、
その間に、石鼓文から始まる篆書、更に漢隷を深く学び、
遂には是を会得完成し、中国書道の巨星として名を残す事になる。
包世臣に伝授した書の極意とも言うべき言葉が残っている。
「疏なるところは馬をも走らすべし。密なるところは風邪をも透さしめず。
常に白を計りてもって墨に当てつれば、奇趣すなわち出ず。」
奇にてらわず真正面から正統な書に対した強い意志と重厚な性格、
積み重なれられた見識をもってしてたどり着いた境地であろう。
四体帖(1792)
55歳の作。
篆、隷、楷、草、四体で書かれているが、
篆、隷が最も優れていると言われている。
生家は貧しく幼児から薪を採り、百姓をし、餅を売り歩いたと言う。
書刻で生計を立てていたが、
その天稟をして名家に招かれ、食客を転々とし、
その間に、石鼓文から始まる篆書、更に漢隷を深く学び、
遂には是を会得完成し、中国書道の巨星として名を残す事になる。
包世臣に伝授した書の極意とも言うべき言葉が残っている。
「疏なるところは馬をも走らすべし。密なるところは風邪をも透さしめず。
常に白を計りてもって墨に当てつれば、奇趣すなわち出ず。」
奇にてらわず真正面から正統な書に対した強い意志と重厚な性格、
積み重なれられた見識をもってしてたどり着いた境地であろう。
四体帖(1792)
55歳の作。
篆、隷、楷、草、四体で書かれているが、
篆、隷が最も優れていると言われている。