西行(1118-1190)
これは数少ない西行の真蹟の一つ。
内容は、高野山が、
造営の為に課せられた木材の免除を清盛に申し入れて聞き入れられた事を報告している。
清盛と西行は同年であり、かって同じ北面の武士であった。
この時期、清盛は太政大臣の職にあったが、
お互いに旧友として接していたのであろう。
奥州に藤原秀衡を訪ねる途中に頼朝とも会っている、
面白い男だ。
保元・平治の乱、平家、奥州藤原の滅亡・・・・
彼の生存中にいろいろな出来事が有り世の流れが変わった。
西行は漂泊の歌人として名高く、勅撰集だけでも252首の歌を残す。
俗名佐藤義清、北面の武士であったが23歳にて突然出家する。
出家の理由は明らかではないが、
一説には、親友の突然死に無常を感じたとか、また、
待賢門院璋子への恋着とも言われる。
・・いにしへをこふる涙の色に似て袂にちるは紅葉なりけり・・
他、恋歌を多く作っているが、待賢門院璋子を偲んだ歌が多いと言う。
淡々と物語るように流れる筆致に深い趣を示す。