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師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

白虹

2011年05月15日 | 天意の実践

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夕日にかかる日暈(ひがさ)。別名白虹(はっこう)

これも雲と太陽の光の共演で見られる。

さほど雨は降らなかった当地だが、水分を含んだ雲が

通り過ぎていく。

太陽が二つ見える『幻日』。

太陽に赤い柱が見える『太陽柱』。

古代中国では、幻日、白虹は、凶兆とされていたそうだが、

実際、それが、現代に起きているこれらのものと同じものなのかは、

真偽は不明。

どう読み解くかは、それぞれだ。

それに意味を見出すもよし、驚嘆するもよし。

なにかを感じていただければ、それもまたよし。

ことばにすれば、限定がかかる。

あなたの感覚が大事なのだ。

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おくれてのお参り

2011年05月14日 | 天意の実践

先日、五月のお参りにうかがった。

小雨の降る宇佐八幡。祓い清められて、空気はここちよかった。

しかし、本殿に近づくにつれて、重いものをかんじた。

そして、師匠は楠木さんから映像をいただいた。

「龍体の日本列島が観えます。

龍体である以上(戻った)、

海岸線には欠損があちこちに観られます。」

まだ、大祓は続いている。

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符号としての大祓詞

2011年05月13日 | 天意の実践

ホツマを読むと、かつて、昔、この日本で起きたことが垣間見える。

大倭日高見国は、今の岩手県、宮城県、福島県の辺り。(諸説有り。)

人心が乱れ、国が荒れた時、大祓の作法により、

さまざまな神たちが、国の澱みを祓え去った。

その祓えの力は、自然に備わっている力とも言える。

それを伝説だ、まがいものだと簡単に片付けてしまってもよいものかー。

ところで、ここで、本棚からひとつかみ。(笑)

タイトルは『失われた文明 一万二千年前の世界』

A・ゴルボスキー 著 中山一郎 訳

昭和47年に第一刷が出され、手元のものは、昭和54年の18刷版

世界各地に残る大洪水の話は、伝説などではなく、実際におきたもの

ではないのか。という検証がなされている本だ。

今の文明をもたらしているさまざまなものは、発見、発明された時、

人は彼らをあざけり笑い、時に迫害した。

けれども、彼らをして、理論はなりたっても、現実には不可能と

思われた事が、今では、現実となっていることを知らなければ

ならない。

彼は最期に乞うまとめている。

「これは、思索の動機付けとして、役立つものと信じている。

否、信じたい。

 中略

わたしたちの意識はこのような知識を受け入れられるよう準備

されなければならない。

未来がもたらす新しいこと。意外なことを受け入れる心構えを

常に準備しておくことが、絶対に必要なのである。」

知識や、智慧。おこりうるさまざまな事象。

今回の災害にしてもだ。

それらすべてを、ひとは知りえているわけではない。

だからこそ、おこることも、謙虚に受け止め、

起こったことに対して、なんら批判することもない。

厳密に検証を積み重ねていけば、

一見、ありえないとみえることが

おこりうることの認識を深める必要を感じている。

そうして、今一度、大祓詞を読んで、祓の力を

感じていただければ幸いである。

     

『ふつーの日常』に掲載したものを転載、加筆修正しました。

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智慧であり、根本原理として

2011年05月12日 | 天意の実践

以前にも言ったが

あなたはあなたである

あなた以外のものにはなれない

あなたにはあなたでいるという役目があり、

あなたの役割と言うものがある

そのために、必要なすべてが、準備されている

あなた以外になる必要もない

あなた自身だけが、あなたの方向を決める

あなたを導く

あなただけの時があり、あなただけの場所がある

あなたは、あなたとして、輝く

    

震災の後、無力感や罪悪感にさいなまれるひとが

いると聞く。

だが、それは、無用だ。

人間は、自分のできることを選んで生きている。

だから、無力感や罪悪感を選んでいることに

まず、気づくことだ

そして、自分がいる今の場所にエネルギーを

そそごう。

自分の周囲にエネルギーをそそごう。

自分でいることの意義は、限りなく大きい。

その役目は、他者とは比べられないのだ。

常におだやかな微笑みを宿していれば、

周囲はそれだけで、癒される。

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イノチが目に見えるとき

2011年05月08日 | 天意の実践

大分県内では、時折、バナナの木を見かける話は、

以前にも書いたが、今年の冬は寒くて

(いつもとは少し違った感じではあったが。)

目にする木はどれも枯れて朽ちているようではあった。

いつまでも、寒い日が続き、そして、未だに雨はお湿り程度。

けれども、少しでも暖かくなって来ると、

彼らは目が覚めるような緑の葉をおい茂らせてきた。

そして、柞原さまへ行きたいとの師匠のリクエストで、

行ってきた。

目的は、いつもの杉さんとのおしゃべりではなく、

このバナナさんたち。

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緑の葉は、今年の新芽からのもの。

そして、

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真ん中の黒くみえている部分が花芽。

これがバナナの実になるはずだが、気候的には、

難しいようで、いくら温暖化が叫ばれても、今の大分では、

大きくならない。

まあ、これが大きく育ったら、近くの高崎山のサルの格好の

ごはんとなることだろう。(笑)

ほかにもバナナの木を見かけるのだが、どこも交通量の多いところ

だったりして、写真が撮れないので、柞原さまの参道わきのバナナ

の木を撮影した。

今年は、山々を見ていると、木々が枯れているのが目につく。

特に、竹林の枯れ方が少し多いように見える。

古神道のS先生は植物にも詳しいので、先日、この話をしてみると、

花が咲いていなかったかを聞かれたが、そうあちこちで、花が咲くとは

考えづらい。

地震などの関係で、地下では移動が起きているだろう。

地熱など、考えられる要素はある。

雨自体が少ないので、川の水位が下がっているのは、判断が

難しい。井戸水の水位の変化を読む、というのも、地震発生の

メカニズムとして、あるのだが、この情報も、今のところは

はいっていない。

だが、今に集中し、今すべきことに集中することが、

今を生きているわたしたちが、少なからずはできることだ。

枯れたように見えていたこのバナナの木も、また、新たなイノチの

時を刻み始めているのだ。

自分も、自分の時を生きよう。

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