師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

これからの時代を生きる 実践者の智慧

2009年08月18日 | 天意の実践

『師匠のふつーの日常』に少し書いたが、師匠も、私もかつては

色々な講演を聞きに行ったり、占いに風水、ひとからの紹介に

店頭で平積みされる本たちの、あらゆる「成功法則」とよばれるもの

のやり方に挑戦したりしたが、どれもうまくいったものはなかった。

今は神さまとのご縁をいただいたことで、神さまから、

うまくいくこと以上に大切なことを教えていただいた

と思う。

神さまの存在を知ってから、師匠とともに体験したことの数々は、

人間の理屈では、とても解明できない事象ばかり。

それを目の当たりにして、つくづく人間の、地球人の小ささを感じた。

そして、過去の生きた自分を知ったり、霊能者と呼ばれるひとたち

に未来を見てもらっても、わかりえない、大切なこと。

誰でもが到達できる、本当はどの本も言おうとしていた魂の真実。

それは、

こころをからっぽにすることの方がはるかに、格段に感じ得る

ことが多い

ということだ。

木々にふれ、花々にこころを寄せ、空行く鳥に、海や河に群れ泳ぐ魚

たちを見入り、自分を、自分の卑小さを、自分の存在を忘れる体感の

方が、はるかに尊い体感だ。

自然もまた、、神の存在と同じ。畏れ敬う存在。

もちろん、これも今までいろいろなことをやってみて体験したからこそ、

わかりえたのだし、感じられて、ここまで来れたのだと思う。

体験したからこそ、シンプルなこころの在り様に気がつくことが

できたのだ。

だから、やったことに無駄なものはひとつもない。

こころが空っぽになり、落ち着いたおだやかさを手に入れると、

不思議と呼吸は深く、ゆっくりとした時間がからだに訪れる。

上がるでもなく、下がるでもなく、平安の中に自分を置くことができる。

瞑想などとカタチや方法に囚われず、魂の声を聞いていれば、

それはやってくる。

当たり前なことなのだが、普通に丁寧にカラダを取り扱おう。

自分を大事にする実践こそが、 『宇宙の法則』であり、

その法則に添った生き方なのだ。

実践者としての生き方こそ、神の思し召しに添うものなのだ。

今までも、これからも、お伝えできる方たちへ届けていく。

届けられたひとたちがまた、誰かへ、この贈り物(ギフト)を

届けるだろう。

これも、私たち実践者の生き方のなかのひとつだ。

      

追記

加筆、修正しました。

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