師匠の不思議な日常

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できる できない

2012年05月25日 | 天意の実践

ここのブログを読まれている方たちは、

多くの本を読んでいたりして、学びを深めている中で、

ネットで調べものをして、ここへたどり着いた、などと聞く。

また、逆もあり。

なんとなくここに気づき、それから、多くの本やネットの情報へ

進み、学びを深めるひともいる。

きっかけはどうであれ、自分に気をくばるのはとても、大事なことだ。

そして、この世界はつながりあって、かずかずの事毎を起こしている

ことに気がつくと、もっと、世界は広がり、問題はあなたの世界では

起こらなくなる。

問題ではなく、ただのできごと。

過去においても、未来であろうと、それをどう定義するかで、

見えている世界は大きく変わる。

問題ととらえれば、その解決に躍起になり、ささいなことに

一喜一憂して感情に振り回される。

だが、それは、できごと。

ただ、起きたこと、起こったこと。

と、とらえれば、そのできごとを処理する、または、処理した。

だけに終わらせられる。

闇雲にーとは、よく言ったもので、わからないものとして、

扱えば、道を誤る。

わかる範囲内で、整理して見つめる。

物事を冷静に見つめ、善悪や気分で判断をしないことだ。

何かが起こった時、

「これは問題だ。」と思い続けていては、疲れるばかりだ。

そうではなく、

「さて、これは、どう処理したものか。」

と思う。

処理方法にのみ集中する。

そして、できる、できないではなく、本質においては、

やりたいか、やりたくないかでしかすぎないことに

気がつく。

結局、ひとは、そうやって、好きなことをしているのだ。

いやいや、そんなことはない、とお思いかもしれないが、

やれそうなことが、好きなことでもあるということだ。

やれるから、好き。

そのように、世界は思う。

あなたというひとを包括した世界では。だ。

そう思って、あなたの世界では物事が起きているのだ。

幸運がおきることのシステムを説明できるほど、ひとは

理屈を極めているわけではないが、幸運がおこることがある、

という認識はできている。

ならば、

幸運がおこる世界を認識して、

実はやれることがまだ、ある自分の世界をきづけば、

世界はもっと、輝く。


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