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七州城址~舞木廃寺塔址~寺部城址

2014-04-03 20:33:04 | 城 -東海
1月18日


豊田市    勝手神社




              
                      

              金谷城址
                勝手神社の敷地内。
                孫を遊ばせていた若いおじいさんに聞いてわかった。 なんと小さな碑なのだ。

          金谷城址  挙母城跡3か所うちの一つ。   延慶年間に高橋荘の地頭中条景長により築城。
             1561年、織田氏に攻められて落城。



    挙母城  桜城 二の丸隅櫓の櫓台         元城町1-50
              
             お昼を食べたところで場所を聞いた。 わかりにくかった~桜城址。

      
     

    桜城は、江戸時代の始め武蔵国から移った三宅氏によって築城が始められた。

    1604年陣屋を構え、内外に桜の木をたくさん植えた。
         


    桜城の大改築に着手したのは1749年上野国から移った内藤政苗である。    

 

         
   



七州城は挙母城の別称。下町にあった挙母城(桜城)が度重なる水害を受けたことから
天明5年(1785)挙母藩内藤家2代目城主、内藤学文が水害の心配のない樹木台、童子山に城を移築した。
 標高65mの台地で、山上からは三河を始め、信濃・美濃・尾張・伊勢・伊賀・近江の7ケ国が眺望できたことから
七州台の名がある。


   七州城 隅櫓         小坂本町8-22

    
         




    

            
敷地内にある豊田市美術館の池が少し凍っていた



             
            茶室  童子苑
           城には抹茶なのだ。



           

         
           寺部領主 渡辺半蔵家の居城内にあった書院と茶席が復元されている。


        舞木廃寺塔跡へ


 ここが入口???
                        こんなとこにあるの? 

                      
                  ずんずん歩くと見えてきた。

           
             内径54cmのリング状の溝を彫って柱座とし    これが そうなのか!!!! 

                        これは原位置のまま。伽藍配置は不明。

   
          

                                      
標高約90mの丘陵上にあり、東西に篭川流域を見下ろす眺望の地にある


             心礎周辺から平瓦、複弁六葉の蓮華文軒丸瓦、瓦塔、須恵器の破片が出土している。
             これらの遺物から奈良時代の寺院跡と考えられている。





            

               寺部城址
           
               矢作川左岸の台地上にある。
               鈴木重時が築城し、1566年に織田氏の家臣佐久間信盛に攻められ落城。

      
     

                     城内に 又日亭があったんだ。


 




            隨應院  寺部町4-31    
        落ち着いた佇まい。
    

     

                  


         


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