渦巻き

どこかいった記録など

岩村城

2015-04-04 21:18:37 | 城-山城
3月22日  晴れ   暖かい


岐阜県恵那市岩村町


とうとう ユニクロのウルトラライトダウンを脱ぐ日がやってきた
今まで ありがとう
ちょい ウォーキングには最適~~   暑くなったら 脱ぎ気が楽だし 軽いし、、、

今日は 5年前娘がほしいというので買った ピンクのウインドブレーカーを上着とした
せっかく買ったのに あまりにピンクがきついので 一度も着ていないと記憶する まあ 安いものだけど  しかし !!(゜ロ゜屮)屮

 
ズボンは ノースフェイスだったけど 今日はジーンズにした 



気持ちがいい道


草刈りがしてあって 美しい農村風景

駅から 3.3km  茅の宿  とみだ

五平餅 ¥150

土蔵の中に雛人形




とみだから 3.6km 岩村城太鼓櫓



岩村城 登城口


しんどい 坂道が続く


 ぜ~ぜ~  は~は~  






岩村城は 高取城、松山城と並ぶ日本三大山城の1つに数えられる









ここから岩村城下町へ 





金谷城跡~うだつのあがる町~篠脇城跡

2013-10-08 22:26:01 | 城-山城
9月23日  晴れ


天文初年(1531~)、土岐氏に代わって美濃を支配した斎藤道三は、現在の金山城址に「掻上げの城」を築き、これが金山城の始まりとされる。天文6年(1537)以降は土岐氏が支配したが、永禄8年、織田信長の東濃攻略の結果、城は森可成(もり よしなり)に与えられた。可成は金山城と改称し石塁造りの城としての改修を行った。これ以後およそ35年に渡って氏の支配下となった。慶長5年(1600)、森氏が国替えで転封となると、犬山城主石川光吉の持城となった。光吉は金山城を破却・解体して建物から石垣石に至るまで犬山に運び、犬山城の資材としたと伝えられる。     

  
   蘭丸ふる里の森公園は
 バーべキュー場や子どもが遊べるアスレチックもあり
          家族連れで楽しめそうな場となっている。

    この日も、じいさんとばあさんが二人の孫を遊ばせていた。
    母親と思しき方は、下段のバーベキュー場に腰掛てスマホに見入っていた。
    のんびりした休日の雰囲気だった。


       木々や草もきちんと刈られて気持ちよく整備された公園。

    きっと、森蘭丸さんも喜んでいるよ。


   

  標高約277メートルの古城山の山頂に築かれ、天守台を山頂に配置し、
  本丸を中心に二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配され、
  天守台北東側に東腰曲輪と称する一郭がある。

      
         
      急な勾配もなく、これはヤバイぞという恐れを抱かせる道でない。
          ゆっくり歩いて登れる。

    
      散歩しているご夫婦に会った。

        

   
   頂上に携帯の椅子持ってきて、ぼや~んとしているおじさんが一人、、、。



    
        頂上からの眺め。  木曽川が眼下に。  






      
        お昼は、お蕎麦をいただきました。



   美濃市うだつの上がる町並み




     

  「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のこと。


       
       海鼠壁
         四角い平瓦(ひらがわら)を張り、その目地(めじ)に
         漆喰(しっくい)をかまぼこ形に盛り上げて塗った壁。土蔵などの外壁に用いる。


          
               旧今井家住宅。
  



        
          あかりアート館。
        和紙のことは、よく知らないけどすごい加工が出来るんだ。

美濃和紙は
繊細できめ細やかな風合いを持ち、美しく丈夫な和紙として愛されています。さらに、天然の食物繊維を織り込んだ和紙は、木材パルプやインクなどの薬品を使用した洋紙のように100年で黄ばんでしまう事はなく、何世紀もの間保存する事ができます。日本の代表的な和紙として、越前和紙・土佐和紙と共に、「日本三大和紙」と呼ばれています





     
         明建神社。   神迎え杉。
          宿ってます。

   



    東家代々の守護神妙見大菩薩を13世紀に下総国から勧請したと伝えられる明建神社。その横参道にあたる神迎え杉と神帰り杉にはさまれた約250mの桜並木は篠脇城付の馬場跡といわれ、岐阜の水と緑の環境百選に選定されている。両側に立ち並ぶ大小100本余りの山桜の見頃は毎年4月中旬。また、近年この桜並木の下には、秋彼岸花が燃えるように咲き出るようになった。

      
 

     神の杉 横参道の 彼岸花~



    

      水はどこからくるのかな~。気持ちよく流れてるよ~。


     
   
郡上市大和地域の歴史は、中世の領主として約340年間にわたり郡上を統治した東氏(とうし)の拠点でした。東氏一族は、もとは下総の豪族・千葉氏一族の出身で石橋山の合戦で破れた源頼朝を助け、東国御家人の重鎮となった父、千葉氏に始まります。東氏は藤原定家に和歌を学び将軍実朝の側近となって、和歌の家柄としての東家の基礎をつくりました。その三代目・東氏が戦功として加領され根拠地を下総から美濃山田荘(現大和町)へ移したといわれております。中でも第九代東常縁は古今和歌集の秘伝を連歌師宗祇に授けて「古今伝授の祖」と言われています。特に牧地域には国名勝・東氏館跡庭園や県史蹟・篠脇城、県重要無形文化財「明建神社の七日祭り」など、東氏に縁の文化財が多く残っています





   篠脇城。





栗巣川の左岸にある全山樹木におおわれている美しい山が、標高570mの志ノ脇山(しのわきやま)で、この山頂に「篠脇城跡」がある。


鎌倉時代、下総国(しもうさのくに)の名門として聞こえた千葉氏の一族である東胤行(たねゆき)は、承久の乱(1221)の戦功によって、本領香取郡東ノ庄(とうのしょう)33郷のほかに、美濃国山田ノ庄(現在の大和町、白鳥町・八幡町の一部)を加領され、阿千葉(あちば)(現在大和町剣地内)に居城を構えて領内の統治に当たった。これが、郡上東氏の始まりである。  阿千葉には、3代約90年間在城したが、鎌倉末期第4代氏村(うじむら)の時、さらに規模の大きいこの篠脇山城へ移った。その後、天文10年(1541)八幡赤谷山城(あかだにさんじょう)へ移るまでここで山田ノ庄を治めた。
 


   
天文9年(1540)越前の朝倉勢が篠脇城へ来襲した時、城主常慶(つねよし)はこの独特の縦堀を利用し、寡勢(かぜい)を以てよく敵の大軍を迎撃し敗退させたのである。




   篠脇城を福井の一乗谷の朝倉氏が攻めてきたんだ。
   何しに来たんだろうね~。
   山城見学? 
   シノワキったら 縦堀すごいらしいよ、へえ~。
   見る価値ありでしょ?
      行ってみようぜ! イエ~イ!         
  


       
   入り口にストックが何本か置いてある。旦那は両手に持った。
  
    

       

    まず、いのししよけをよけて入山。
    まずまずのけもの道。草ぼうぼうで蛇が出てもいいだろうと思わせる。

    いのししが出るか蛇が出るか。


          



   



   

      
   ストック役立つわ~、という登り。   




    

     これが有名な縦堀?  


   山頂に約1000㎡の本丸跡、約1500㎡の二の丸跡、約1000㎡の腰くるわ跡があり、この3段3500㎡の城郭(じょうかく)を囲んで放射線状に30本余の縦堀(たてぼり)が掘られている。この縦堀は、その形が臼の目のようになっているので、通称「臼の目堀」といわれている。
   




  


    
     古井戸跡?なんかあったかな~。いのししと蛇に気を取られていた。




   
       頂上に着きました。 蛇もいのししも出なくてよかった。


       
          どうですかこの草ぼうぼう、もうちょっと涼しくなってからおいでなさいよ、、、か?


    

   
   木々が生い茂り、眺望はかなわず。けっこうがっかりしていた旦那。
   てっぺん付近の木を少しでいいのよ、切ってほしい。岐阜県殿。
  きっと東氏も思っているのでは、、。





  
   途中、わずかに見晴らしがいいところがあり。
   結構、のぼったよね。  標高どれくらい?


   「570メートルということです」


  


大給城址~梟が城址~丸根城跡~古瀬間城址

2013-09-16 09:42:52 | 城-山城
9月7日

 曇 ときどき 雨。

 大給(おぎゅう)城址  標高204m

    松平親忠の次男乗元が大給松平の祖となって六代まで続いたが
    1590年徳川家康の関東移封にしたがって上野国(群馬県)移り
     大給城は廃城となった。



 
 山城~
 戦国時代の城の多くは険阻な山の上に築かれた山城だった。
 山城の多くは土造りだった。
 少ない工事で築城でき、高い防御効果が得られる。
 狭い曲輪が多く、城の構造は複雑だった。
 
 地形の厳しさから平時の生活には向いていなかった。


 縄張り」 城の設計図。堀や塁、櫓の配置など。
 「曲輪」  城内の区画。
   縄張りの基本となるのは曲輪の配置。
 「石垣」  石を用いた石塁。防御施設。 
 「虎口」  城の出入り口・・・門
 「土塁」  堀を掘って土を固めたもの。防御施設。
       戦国の城の大半が土塁。直下の敵に槍が届く高さで作られていた。
       武器が槍から鉄砲に移行するとより高い塁が作られた。
 「堀」   山城ではほとんど空堀。防御施設。
    要所に柵、塀、櫓などを建てる。
  

 

  この看板わかる人にはわかるのかな、、、。
  


   
           ここから登る。


   


   
         手水舎

    
      松平乗元の墓
 


     
      小さい虫が顔の周りによって来てうっとうしい。
      虫がすごすぎる。手で追い払いながらでないと撮れない。


     

虫が顔の周りにブンブン、デジカメのレンズに留まるわで
     じっとしていられない。振り払いながら撮影。
                              レンズに虫。


     目にも留まろうとする!
     なんで顔の周りにくるんだろう?

    

       虫除けスプレーを持ってくるべきだった。
       昔の人は、この虫をどうしてたのかな~?      
        

       
       虫の大群をよけるため まさかのトレイルラン。

        



   頂上。


                

      
         

        
         虫が寄ってくるため、落ち着くことなく走って下山開始。


      
      梟が城址。 豊田市 鍋田町。 標高250m。



  
     やっぱり虫、、、いる。

  
   通り道~~~春には桜がきれいかな。


     
      いきなり巨石が、、、。

      


      
           ホ~ホ~ホ~
            おや?いつもの鳴き方ではないな、とか?          
     
    
       すてきな展望台。階段は登りにくい。

    
    

   
     曇っていて見晴らしはよくなかった。

   
     ブンブン虫は寄ってきます。

 

   
    丸根城跡。  豊田市野見町。矢作川東岸。>


      

   
    標高54m。
    ブンブン虫、、、い、いない。ようやく歩いて見られそう。


    
    
  松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族。  

       
    両側に枯れたあじさいがたくさん。時期ならきっときれいなんだろうね。
    
   
     じっとしていたら蚊に刺された。 
     蚊はもちろん、蛇もでそうだよ。    
 
   



   
  古瀬間城址。  豊田市志賀町。 標高101m。


    狭い道に入っていくので ちょっと心配になったところに出現。
       

  
  


   
     浄願寺 山門~

   
  



   
      古瀬間城、この門の奥でございます。

   



    


  


  
   
     見張り櫓に上ったところ雨が、、、。急いでベランダの洗濯物をとりこんでいるお宅が見えました。


   
  


   
      小督局の墓。
      「平家物語」にも登場する悲劇の女性、、。なぜここに墓が?

    

   
      松平宗忠の墓。
 



     この日は、とにかく虫のせいでよく走った。
       疲れたのでよく眠れた。




岩村城址~

2013-08-31 18:52:48 | 城-山城
8月31日

金毘羅神社    岐阜県恵那市山岡町原字大西682番
              
                       主祭神   大物主神(おおものぬしのかみ)
                             崇徳天皇(すとくてんのう)

           
            すごい石段がある。                 

            仁王像?            


            手水舎


               

立派なしめ縄



                   しめ縄~
神を祭る神聖な場所を他の場所と 区別するために張る縄。
また、新年の祝いなどのために家の入り口に張って悪気が家内に入らないようにしたもの。
左捻(よ)りのわらに適当な間隔を置いて紙四手(かみしで)などを下げる。

                
                


        恵那市岩村町~ 
              大円寺 棚田
          棚田とは、山や丘などの斜面に階段状につくられた小さな田んぼを言う。
          地域によっては「千枚田(せんまいだ)」「谷津田(やつだ)」とも呼ばれている。
          一般的には、傾斜度が20分の1(水平距離を20メートル進んで1メートル高くなる傾斜)
            以上の田んぼを表す。

                  
          
                      
                                  
      緑がとてもきれいだ~。この日は、ダムでも見かけたが、雑草を刈る日だったのか蒸し暑い中、
地元の人たちが草刈りをしていた。
こうやって人が手を入れてるから美しいんだ。

                     
稲穂も見事に実っている。

                    
                
スカイツリーには行ったことないけど。

                                    
             標高634mからの景色

                       
垂松瀑(すいしょうばく)(かつて 不動様を祀ることで不動滝とも云う)                         
                   
              滝の音が涼やか。                    

               岩村ダム

          

            


              
  恵那市岩村町富田
この一 帯は窪地・湿地で、ハナノキの自生に適している。
杉・桧と竹林の中で競って育ったためか、その径90cmの大木は、
地上6mまでまったく枝がなく、樹高約 30mに及び、他に抜きんでている。

                  
 大圓寺(だいえんじ、大円寺)は、美濃国遠山荘の地頭であった遠山氏の菩提寺で、
 南北朝時代の建武2年(1335年)から戦国時代の末期の
 元亀3年(1572年)まで美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)に存在した臨済宗妙心寺派の大寺院。
 武田信玄の家臣の秋山信友が岩村城の遠山氏を攻撃した際に
大圓寺を焼討ちしたため消失した。
 寺跡は恵那市指定史跡となっている               
 大円寺跡
             
東濃三大名刹の一つと言われ、約15haもの広大な敷地と常時100名を越す修行僧が居た
大圓寺の建物群は、武田勢に焼かれて、貴重な文化財や記録もろとも全て消失し、歴史の幕を下ろした。
同時期に大圓寺のみならず周辺地域の寺院も武田勢により焼き払われて消失している。




 長益神社(ちょうえきじんじゃ)         岐阜県恵那市岩村町富田

        主祭神    長益大神(ちょうえきおおかみ)
             
  
   ちょっとした鬱蒼。なんだか蛇が出そうなので上まで行かなかった。


           マンホール蓋のデザインは町章と稲穂とわらじ、傘、水田ということです。

岩村城址。

        

           村城は、大和の高取城(奈良県)備中の
松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城。
        城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、
        高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、
        霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれている。



     

              (財)日本城郭協会が認定する「日本百名城」に選定された山城。
            (岐阜県内では岐阜城と岩村城跡の2ヶ所のみが選定)。
            本丸周辺の石垣は“東洋のマチュピチュ”と呼んでも相応しいほど、
            遺跡をもイメージさせる壮大なつくりである。 

     山城と山麓の居館からなる中世の構成。     天守はなく、追手の三十櫓で代用。



       
マチュピチュは行ったことないけど。
                                                    

 
         
        










現在見られる石垣造りの近世城郭は、徳川譜代の
松平家乗の整備によるもの、ということだ。


   
     
       
 岩村城は小高い山の頂にありながら、他の山城に比べて圧倒的に多い17箇所もの井戸があった。



 
        帰り道に寄った。  
        
 

          
ひっそりとしたキャンプ場。夏休みも終わりか。