あたぴぃのらくがきちょう Online

わりと徒然なるあたぴぃの日記。細かい情報ブログは目指してません、ご了承くださいませ。

いのちの歌

2009-12-01 20:07:14 | こころの健康
今日のカウンセリングの席上。哲学というか宗教というか微妙な話。

人と人とのコミュニケーション。僕がすごく苦手とする分野です。
よくある形としては、僕が周りの人のパターンに押されがちになって、
気がついたら僕が望まないことが起きて憂鬱に…という。

それは昔の記憶。周囲の人に反抗するとイジメられるから無抵抗無感情。
だいたいそういう部分にルーツをたどれるように思います。

小学生時代にさかのぼるんですけどね。小学 6 年の秋だったかな。
意識して「無感情」という結論を出したわけではないけれど、
無意識レベルでそんな結論を出したらしく、それ以来の性格です。
周囲の人に対して反抗した、怒った、という記憶が非常に少ないです。

それを聴いていたカウンセラーの先生が話したこととしては、
周囲の人に対して感情を表に出すことは悪いことではない、
むしろお互いにとってプラスになることすらある、という話で。
これから、忘れていた感情を取り戻すためのワークが始まるのかな。
今日は時間の都合でそういう話まで到達しなかったのですが。

それと同時に、周囲の人全てを気に入る必要はない、との話もあって。
合わないと思った人を嫌いになっても構わないよという話だったのですが。

なにか、違和感を覚えました。

「そんなに簡単に人を嫌いになっていいものなの?」

そんな心の声が聞こえたような気がして。

さらに続けて。

「理由もなく人をキライになってはいけない」

それが、心の声の主張だった、ように思います。

しばらくお付き合いさせていただいて、どうしても信条が食い違う、
一緒にいることで自分に負担が掛かってしまう、ということであれば、
その場合は、相手を嫌いになってしまうことはやむを得ない、と。
ただ、初対面の第一印象とかで相手のことを嫌いになるのは、
それは何か、望ましいことではないのかな…という感じでしょうか。

奇跡が重なって生まれてきた「いのち」。その繋がりもまた奇跡。
そんな奇跡の出会いは、できる限り大事にしていたいと想います。

だから、僕にとって人を嫌いになる、繋がりを切るのは最終手段。
できるだけ多くの「いのち」と繋がっていられたらいいなぁ、と。

…そして、話の前半と後半をつないでいくと。

自分も、相手も、奇跡の結晶として生まれてきた「いのち」。
自分も相手も大切にしつつ、お互いにとって良い繋がりを作りたい、と。
自分と相手、どちらにとってもプラスになるコミュニケーション、
そういうものも間違いなくある、というのがカウンセラーの先生の教え。

そんな良い関係を築いていくことができる自分になるために。
自分も相手も大切にできる自分になるために、ワークショップは続きます。


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