開幕間近という事で、今季のJ1クラブの陣容を確認してみる(遅過ぎ)と、興味深い事象が。
前年J2で昇格を決めた磐田・京都が加わった事で、感慨深いと思わせる構成が出来上がり。
それは上記2クラブの他、湘南・柏・セレッソ・福岡・神戸・札幌の8クラブで形成され。(?)
「J2発足以前にJリーグに新規参入したクラブが、揃ってJ1に顔を揃える」という、初の快挙が達成された年となりました。
現在のような、下部リーグのクラブ数が膨らみ、狭き門となりつつある上位カテゴリに喰い込まんとする構図。
そこに至るまでの歴史も当然ある訳で、最も判り易いものとして、下部リーグ自体が無かった時代もあったものです。
つまりJリーグ発足(1993年)~2部制に移行(1999年)の間。
下部リーグこそ無かったこの時代ですが、拡張路線に基づいて毎年のようにJFLから参入。
1994年=湘南・磐田
1995年=柏・セレッソ
1996年=京都・福岡
1997年=神戸
1998年=札幌
こう書くと、「下から上がって来るクラブは枚挙にいとまが無い」と書きたくなり、実際にその意思を見せるクラブは多く。
しかし初期は、昇格を目指すというよりは、オリジナル10から漏れたクラブが率先してJリーグ入りを決めており。
まあもちろんJFLのリーグを勝ち抜くという形にはなっていたものの、出遅れたクラブがその流れに乗る事は難しかったと思われます。(今でこそ王者の座を射止めている川崎も、Jリーグ準会員となったのは1997年)
そんな状況故、福岡・神戸・札幌のように「他のアマチュアクラブをそのまま持って来る」という手法を採って目的を達成する行為が目立ち。
当然、上がりたくてもクラブのポテンシャル(成績・経済面など)が追い付かずに上がれないという状況も数多あった事でしょう。
この下からの勢いは、Jリーグ側の予想を上回るものだったらしく、前倒しで2部制の導入が決められたそうで。
J2というクッションが出来た事で参入の条件も緩やかなものとなり、以降Jクラブが増えていく事となるのですが、それはまた別の話。
この時代は同時に暗い影も到来しており、経営難という形で顕在化。
特に1998年に起きた、横浜フリューゲルス消滅という事象が最もたるものだったでしょう。
当然他のクラブもその荒波に呑まれる事となり、今から思えば良く1クラブで済んだものだと思わされます。
ここで、上記8クラブのJリーグ参入後の歩みを簡潔に。
<磐田>
暗雲に屈する姿勢は全く見せず、黄金時代を築き上げる。鹿島と覇を争いタイトルを分け合うその姿は伝説となりつつあるが、最も成功したといえる。
<湘南(当時は平塚)>
参入1年目でタイトル獲得(天皇杯)と幸先良かったものの、親会社(フジタ)の撤退で一気に窮地に。その転落ぶりは主力選手は半年の間に全員去り、練習場・クラブハウスを失うなど凄まじく、1999年に降格してから10年間もJ2で過ごす羽目に。雌伏の時という表現がピッタリと当て嵌まる。
<セレッソ>
経営面では親会社が安定していた(実際の程は不明)おかげか特に破綻は見せず。ただし成績的には安定せず、2001年・2006年と2度J2降格を経験。いずれも優勝争いしたシーズンの翌年に降格するという、ある意味喜劇的な経歴。
<柏>
経営面では(以下略)、サッカー的にもニカノール・西野朗といった名監督の下覇権を争う。しかし西野氏解任(2001年途中)以降ズルズルと低迷し、2005年にJ2降格。「監督が去った後は草一本……」と言いたくなる事象は、現在ネルシーニョ監督にすがるその姿に繋がっているのかも。
<京都>
経営面では(以下略)。しかしサッカー的には迷走感甚だしく、初期は「日本代表再生工場」と揶揄される程有名選手の搔き集めに終始。2000年の初降格以降それは陰りを見せるも、ベース作りを怠ったツケは付いて回り以降エレベーターのように昇格~降格を繰り返し、4度目の降格(2010年)以降前年までJ2暮らしを続ける。
<福岡>
参入当初から低迷、例の「博多の森の悲劇」に代表される紙一重での残留劇でJ1にしがみつくも、それが終わると「5年に1度」のジンクスの幕開け。そして経営的には最も苦戦し、湘南のような「一気に叩き落される」感が無いのが逆に仇となった感があり。ジワジワと首を絞められ(といっても詳細は半ば自業自得感が)経営危機に陥ったのが2013~2014年と、未だ記憶に新しいといった感じ。
<神戸>
チーム設立していきなり経営面で躓き(ダイエーの撤退)、親会社不在の状態に。以降楽天に買収されるまで低空飛行を余儀なくされる……と思いきや、初の降格(2005年)はその後に起こっているというねじれぶりが可笑しくもある。それまでギリギリでJ1に残留してきたその姿は「貧しさが辛抱を生み、豊かさが転落を生む」というべきか。
<札幌>
福岡とは対照的にJ1参入決定戦で降格、2部制後は8クラブで唯一のJ2スタートを余儀なくされる。それが焦りを呼んだか、J1復帰のための短絡的思考に陥り、昇格(2001年)→降格(2002年)の果てにどん底に。以降長期的計画で再起を図るも、経営面での本格的な再建は野々村芳和氏の社長就任(2013年)まで待つ事となる。
こうして見ると、ほぼ破綻無く時を過ごした磐田が奇跡的に思えるぐらいで、悪戦苦闘を強いられている所が目立ち。
その磐田も近年J2生活が長くなっているものの、それまで安定してきた反動とも見て取れます。
柏はじめ他のクラブが逆に安定見を増してきただけに。
当然J1の座を守る力も劣り、降格の頻度も顕著。
磐田=2度
湘南=4度
セレッソ=3度
柏=3度
京都=4度
福岡=4度
神戸=2度
札幌=4度
合計26度で、これまでの全56度の降格の半数近くを占める事となっています。
2部制となったのち、前述の通り札幌がJ2スタートとなり、翌年から湘南の10年に及ぶJ2生活が始まり。
その影響で、8クラブがJ1の場に揃う事はままならなくなってしまいました。
しかし札幌が2017年から、湘南が2018年からJ1の座を守り。
福岡が「5年に1度」の呪いを打ち破ったという所に、京都が12年ぶりにJ1復帰と、雌伏の時を強いられてきたクラブが舞い戻ってきた今季。
偶然なのか否かは不明ですが、揃いも揃ってJ1に顔を出す事となった8クラブ。
果たして全クラブJ1残留を成し遂げる事が出来るか、それとも降格数をさらに重ねてしまうのか。
密かに注目したいと思っています。