陶芸工房 朝

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レオニー・ギルモア

2013年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

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(梅雨があけて、今朝、山百合の花が咲いていました。いよいよ夏の到来です。)

 イサムノグチの抽象的な石の作品が好きで、そんな興味もあって庭園美術館にも行ったのですが、その後、ドウス昌代の「宿命の越境者」や松井久子監督の「レオニー」という作品を見るに及んで、イサムノグチという人間の孤独と苦悩と哀しみと歓喜のバックグラウンドを垣間見たような気になりましたので、ひとこと。

*レオニー・ギルモアというのは、イサムノグチの母親の名前です。アメリカ人として、アメリカの大学を卒業し、ソルボンヌにも留学したインテリ女性です。1904年(明治時代)、仕事のパートナーとして日本人の詩人ヨネ(野口米次郎)とニュウヨークで知り会います。仕事を共にした彼女は、その後、ヨネの子どもを妊娠します。が、第一次大戦が勃発し、それを理由にヨネは彼女を置いて日本に帰ってしまいます。(鴎外の舞姫と同じですネ)。

*混血の子を持つ未婚の母となった彼女は、アメリカで一人で子どもを育て始めるのですが、ヨネからの誘いもあって、幼い子どもを連れて日本に渡ります。しかし、ヨネには日本人の妻がいたのです。フェミニズムの洗礼を受けたプライドの高いインテリ女性が、その後、どのように反応し、その後の人生をどのように生き抜くか、(現代の私たちなら十分に理解できることなのですが)、その苦難に満ちた半生は、日本の近代女性史の一頁を見るようです。

* 日本で、混血の子どもを育てながら、教師として暮らすレオニーの過酷な異国での暮らしに加えて、さらに彼女は、もう一人の混血の子どもを生むのです。勿論ヨネの子どもではない誰にもあかさない父親の子どもです。屈折した彼女の精神世界の投影のような、すざまじい女の世界です。そんなレオニーの日本での暮らしの中で、ラフカデオファーンの妻せつとの交流だけが、暖かく描かれていて作者のレオニーへの思い入れを感じます。

*この母親と、野口米次郎という詩人の間に生まれたイサムノグチは、そのまま1900年代のアメリカと日本、さらには、世界を敵にまわして戦う日本、そして戦後のアメリカナイズされた日本、を丸ごと飲み込みながら、頑固で純粋な芸術を生み出していきます。