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2020・3・27、天地の公道
[かくれたる善]
善ということばも、悪と裏表です。
今の世の中では、道徳的な意味合いで語られることばでもあります。
しかし、神の世界から見れば、『運命的判断』は、『善か偽善か』です。
それにより、『自ずと幸せの道は、あるいは健康の道』はあきらかです。
夫婦親子、家族間はもとより、すべての人とのつながりが、一見平和で円満、仲睦まじい日常生活に見え、誰が見ても聞いても、幸せそうな日暮らしです。これは善そのものです。
そこに不可解な事情が生まれてくるのです。それは人間の口と心とは別であり、人間の行為行動と心とは別もの。そこに、『偽善の出入りの余地があるのが、人間のよわさです。
つまり、❶不平不満、❷憎悪の念、❸懊悩の念、❹憂愁の念、❺悲哀の念、
この五悪のとりこになりながら、上手に行為行動で善を演じているといえましょう。
そもそも、神の評価される善いこと、『運命を開くきっかけの善』とは『かくれたるもの』です。
それは『思いやりを深くする』『親しみの心を失わず、敵を作らない、持たない』『心柔らかにして、寄り付きやすく』
たとえいかなることがあろうと、
『らしさの処より』一歩も離れず
『嬉しく、共に楽しい生活に努力を傾ける』
そこに『かくれたる善』があるのです。
やります!
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