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浅野隆雄 この青空をいつまでも

社民党北海道の浅野隆雄のブログです。明日を担う子どもたちに、明るく平和な社会を残す為の活動や思いを書いていきます。

 働く人の暮らしと平和の問題

2010年08月10日 | Weblog
 財政・台所事情が大変に厳しいからと、人件費のカットへと走るのは世の常ですが、国家公務員も大幅な2年連続の賃金引き下げ(ボーナスの0,2カ月ほか)へと言う動きです。
 「民間並み」と称して大幅に切り下げられた公務員人件費は、今でも民間相場から見て高いとの声も。「民間準拠」にどこまで合わせていくのか、大手の好景気と格段に違いすぎる地方の地場中小の苦しみも、公務員ですらあれだけ下がったから、となりかねないと危惧するものです。
 
 国会議員とも言えども例外ではなく、特権の廃止や定数削減へという動きは加速しています。バーゲンやたたき売りのように削減の数字に大ナタが振るわれ「○○人」いや「○○○人」ともなりかねない事態です。民意の反映それ事態が危ぶまれる非常事態なのですが。
 
 仮に家庭であれば、「苦しいからみんなで我慢しよう」、「何と何を切り詰めよう」と当然話し合われるはずですが、その際に子どもは、小さいながらも「なぜ苦しいの?」「お父さんのせいなの?」「どうして?」としつこく理由を聞くはずです。

 国も地方も台所事情が苦しいという。でもなぜこんなになったの?どこに原因があるの?誰のせいなの?という話はあまり聞こえません。無駄や無理やムラが大きくあったはずですが、そこの責任追及論は出て来ません。
 かっての当事者すら、逆に政権への責任に全力傾注しているのですから、これほど楽な対応はないと思うのは、私の言い過ぎでしょうか?



 政府は今日の閣議で、「日韓併合100年に当たって」の首相談話を決定しました。アジア諸国への植民地支配と侵略を謝罪した1995年の「村山首相談話」の踏襲と、「痛切な反省と心からのおわび」の表明し、そして未来志向の日韓関係構築に取り組む姿勢等を強調しています。
 日韓併合100年の節目に、首相談話の形で謝罪の意思を明確にすることで、菅内閣のアジア重視の姿勢と、日韓関係の進展につなげたい考えのようですが、はたしてどうなのでしょうか。
 この中身に反対する方々も多いとのことですが、そもそも現在の軍事力、米国との同盟関係など、本当に未来志向で進むのであれば、もっと政治として変化なり行動で示すことが先にあるはずです。熱いヒロシマ、ナガサキの直後だけに、そのことにこだわり真摯に向き合い信頼と友好平和への確かな政権であるべきと思うのです。



 地域まわりも本当に汗が滴り落ちる毎日です。
 夜は札幌地域労組の「労働者の権利講座」10周年行事に出る予定です。働く人の流した汗が報われる日々を念じて前へ進みたいと思います。

 交通事情変化による社会問題。

2010年08月09日 | Weblog
8日付け北海道新聞1面は、「高速無料化で日勝峠敬遠 車が来ない 日高困惑」の記事に目が止まりました。
 
6月下旬からの高速道路一部無料化で、車輛が激減した日高町を取り上げた記事でした。かって、高速道路開通前は、国道274号線の夕張市紅葉山(JR新夕張駅のある地区)、日高町は交通渋滞地区で、5月GW、8月旧盆時期、年末年始時には大変込み合いました。今では、高速無料化でコンビニエンスストアがかって道内系列店1位の売り上げを誇りましたが、いまその面影はありません。

しかし、石狩札幌圏と十勝釧根を結ぶ道路は、1991年の石勝樹海ロード開通前は、旧穂別町市街地(現在はむかわ町)が、また苫小牧東ICから鵡川町(現むかわ町)、門別町、平取町、日高町経由が大方でしたから、通過地域が大渋滞でした。

交通の流れが変わる事による地域経済の激変は、高速道路開通による長万部町のドライブイン街の衰退にとどまらず、バイパス路線による市街地近郊の交通路開通による各市街地の衰退など、多くの地域で影響が噴出しています。

市街地から国道が外れることによる交通事故や騒音・排気ガスの影響は減少しましたが、自販機や商店街の売り上げ減はジワリと大きく地域に響いています。
いま交通が込み合っている占冠村も、道東道占冠ICと夕張ICがつながれば、同じような事態になるとも想定されるわけです。

便利さと拠点間直行の交通の展開に伴う、一方での過疎化の加速化は大きな社会問題です。確かに交通時間の短縮と物流観光の増は目を見張るものがあります。また国道日勝峠のように冬の事故の多さによるいのちの問題は死活問題で高速道路開通による事故の激減は極めて効果的です。

しかし、高速道路・自動車道と併行併走する国道地域の寂れは、「政権の政策が悪いのか、その変化に対応できない私たちが悪いのだろうか」という日高町地元の方の声のみに放置される問題ではないはずです。
道の駅が交通事情の檄変により、道の駅ではなり得なくなってきている社会問題もまた放置されるべきではないと思うのですが。



7日土曜日は午前中事務所、午後は地元のまつりなどに。しかし午後夕方からのものすごいゲリラ豪雨(?)には本当にまいりました。
8日日曜日は晴れて何とかでしたが、逆に蒸し出して暑さと湿気で大変でした。
9日月曜日は、朝から、支持者からの「前国会議員との懇談希望」や、『福島みずほ党首への手紙』、ある匿名の方からの「O市内における案件」への取り次ぎなど、忙しく対応をしました。
世間的には、6日から15日はお盆の時期に入り、休みとかお出かけお参りなどへと人が多く動いているようですが、この界隈はまだまだそうも言っていられない状態です。

 6日、札幌は32度を超える暑さでした。

2010年08月07日 | Weblog
 本当に熱い暑い一日でした。 


 党の方も熱い事態が続いているようです。5日の党臨時常任幹事会では、参院選挙の責任を巡る対立が続き、次回19日の常任幹事会に再度の協議とのこと。
 「責任論なくして党の発展はない」という党首らへの一部の方の辞任要求はおさまらないようで、困った事態、非常に深刻です。
 地方からの意見反映を急ぐことにしたいと思います。

 

 この日、福島県佐藤雄平知事は「今後とも県民の安全安心の確保を最優先に」と、東京電力福島第一原発3号機のプルサーマル計画=キーマーク=受け入れを表明したのことです。計画凍結から8年のプルサーマルが動き出すことになります。10月には営業運転が始まる見込みとのことです。がっかり、非常に大きな憤りを覚えます。

 再度、昨日も全文引用しました、広島の「平和宣言」を一部抜粋して再掲します。
 あらためて噛みしめ、そのために行動したいたいと心から思います。


核兵器のない世界を実現するために必要なのは、 被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、 「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核 兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
(中略)最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」 と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

 8月6日です。

2010年08月06日 | Weblog
 今日は、8月6日・広島原爆の日です。

 札幌市内では、早朝から大通公園にて核廃絶を願うダイ・イン札幌集会が開かれました。

 広島では原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が営まれました。私も、核廃絶への熱い願いを込めながら地域まわりをしました。




  平 和 宣 言

「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こが あな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復 興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器 廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000 を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが 確認されました。
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事 務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。
また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民 代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、 今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、 被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、 「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核 兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。
最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(さ さ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」 と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言 します。
2010年(平成22年)8月6日
                    広島市長 秋 葉 忠 利