わずか7キロの道程だとたかをくくっていた。
南の山を越えた旧海東村(現宇城市小川町)に在る御歳102歳の伯母(父の姉)に会いたくなったのは、50年前の冬の日を思い出したからだ。
二つ年上の従兄弟逸夫兄とは大の仲良しだった。小学校にあがると、僕は毎年のように、夏休み、冬休みは伯母の家で過ごした。隣に住む徳永力夫くんは僕と同級で、いつも逸夫兄にくっついていたので、僕のうちにも逸夫兄と一緒に泊まりにきたりした。小学4年生の冬休み以来、力夫君には会っていなかった。
午後の3時半、僕は本当に軽い散歩のつもりで、父には夕飯前には帰ると告げ、セーターに皮パン、編み上げ靴を履き、ジャケット代わりにロングコートを羽織り、首にマフラーを巻いて、家を出た。山道はきれいに舗装され、冬の風も心地よかった。村境の峠を越えると、道は、龍の背中のように曲がりくねった急坂になった。くだりは軽快に思えるが、気をつけないと膝を痛める。夏に3333段の石段を登ったことを思い出した。
4時10分、蕨野という村落を通った。かすかに記憶に残っている。水がきれいな村だった。その次が舞鴫(もうしぎ)、子供のころは森鴫だと思っていたことを思い出しながら、伯母の家が在る畑中に向かった。少し不安になった。記憶では1時間足らずで到着するはずだったのだ。道行く人に尋ねた。
「畑中はまだまだずうっと下ですよ、2キロはあります」
誠実そうな青年は直立で答えたが、その目は笑っていなかった。僕は改めて自分の服装を見直した。何処の誰かもわからぬ、全身黒づくめで無精ひげの初老の男だ。礼を言って早々に立ち去った。
5時、畑中は記憶の村ではなかった。呆然と立ちすくんでいると、初老のご婦人が通りかかった。
「ここに、T家がありませんでしたか?」
「ひとつ、道向こうですよ。でも、今は誰も住んでおられませんよ」
僕は路地をひとつ間違えていた。
「隣の、力夫さんの家がありませんね?」
「もう何十年も前に引っ越されましたよ」
「僕は、小市野から来た…」
「あらまあ、山を越えて?もうすぐ日がくれますよ」
この時も、僕は帰り道は1時間でいけるだろうと、簡単に考えていた。ところが、そうはいかなかった。伯母にも会えず、力夫くんにも会えないで引き返す足取りは、来るときの数倍も重かった。西空を振り返ると、太陽は遠くにかすむ八代海に沈もうとしていた。足早に歩けば6時には家に着く。そう思って歩幅を広げた。
舞鴫の村落での判断ミスが、今にして思えば、恐怖の帰り道の始まりだった。舗装された県道より、村中を抜ける旧道のほうが近道に思えたのだ。バイパスとは元々迂回路を意味するのだと、勝手に決め付けて。ところが、記憶の糸を手繰り寄せていると思ったのは、錯覚だった。
気付いたときには完全に山道に迷い込んでいた。蕨野を何時通過したのかさえ記憶にない。僕は、ずっと逸夫兄のことばかり考えていた。今日は、逸夫兄の仏前に線香を上げるつもりだった。102歳の伯母に会い、隣の力夫くんに会い、逸夫兄の死因を尋ねるつもりだったのだ。
とっくに6時が過ぎ、眉月が高くなった。あの月明かりでは山道は歩けない。真上に上がる前に、あの月を背中にして東へ登るのだ。そうすれば必ず村境の峠に出る。自信はあった。ところが、急ごうとした時、右足の付け根に激痛が走った。しまった、無理に歩幅を広げたので、肉離れを起こしたのかも知れない、と、僕は何か杖になりそうなものを探した。幸いにも、誰かが切って束ねた竹があった。1本抜き出して、背丈に折り、右足を支えた。歩き易くなったが、首筋に汗が噴出した。咽が渇いた。旧道は途切れ途切れに現れ、更に1時間が過ぎた。父が心配しているだろうと手にした携帯電話も圏外では仕方がなかった。
10年前、僕の一族は未曾有の災いに見舞われた。父方も母方も、経済的なダメージばかりでなく、事故死や病死が相次いだ。逸夫兄は建設業で成功していたにも拘らず、52歳の働き盛りで不可解な死を遂げていた。僕はそのころ、毎夜飲む珈琲に睡眠薬を入れられてガタガタで、逸夫兄の死因を解明するどころか、病院送りにされる寸前だった。しかし、今なら、少しは頭もすっきりして、力夫くんや伯母上から何かを訊き出せると思っていたのに。右足がしびれてきた。肉離れではなかった。筋肉痛だ。水が欲しい、と、思ったとき、せせらぎが聞こえた。峠は近い。
僕はすべるように沢に降りた。せせらぎは、白石野川の源流だった。跪いて、流れに口をつけて水を飲んだ。噴き出した汗が冷気のために肌にべったりと血のようにまとわりついた。膝から背中にザワザワと蠍が這うような悪寒が走った。
「死のう」「死のうよ」子供の声が聞こえた。このまま流れに首を突っ込んだら楽に死ねるかも知れない。ぼんやりとそう思った僕の背中で「走れ!」誰かが怒鳴った。
僕は全力で沢を駆け上がった。こんな余力はなかったはずなのに、50年前の身軽さだった。さっきまでの疲労感は嘘のように消え去っていた。峠の県道に出ると僕は空を見上げた。眉月が優しく揺れていた。「バカたれが」懐かしい逸夫兄の声に間違いなかった。電話が鳴った。父の声が聞こえた。
「伯母さんはいなかったよ。すぐ帰る」
龍真「年の瀬に面白い体験をしたな」
朝倉「恐怖は体験した者にしかわからないから」
龍真「それは良かった」
朝倉「父も呆けたかな、伯母があの家に住んでいないことは知っていた」
龍真「あわて者の君だ、訊く前に飛び出したんだろう?」
朝倉「そうかも知れない。よし、明日は1時間で往復する」
龍真「ほんとにバカだね」
朝倉「トレーニングです」
南の山を越えた旧海東村(現宇城市小川町)に在る御歳102歳の伯母(父の姉)に会いたくなったのは、50年前の冬の日を思い出したからだ。
二つ年上の従兄弟逸夫兄とは大の仲良しだった。小学校にあがると、僕は毎年のように、夏休み、冬休みは伯母の家で過ごした。隣に住む徳永力夫くんは僕と同級で、いつも逸夫兄にくっついていたので、僕のうちにも逸夫兄と一緒に泊まりにきたりした。小学4年生の冬休み以来、力夫君には会っていなかった。
午後の3時半、僕は本当に軽い散歩のつもりで、父には夕飯前には帰ると告げ、セーターに皮パン、編み上げ靴を履き、ジャケット代わりにロングコートを羽織り、首にマフラーを巻いて、家を出た。山道はきれいに舗装され、冬の風も心地よかった。村境の峠を越えると、道は、龍の背中のように曲がりくねった急坂になった。くだりは軽快に思えるが、気をつけないと膝を痛める。夏に3333段の石段を登ったことを思い出した。
4時10分、蕨野という村落を通った。かすかに記憶に残っている。水がきれいな村だった。その次が舞鴫(もうしぎ)、子供のころは森鴫だと思っていたことを思い出しながら、伯母の家が在る畑中に向かった。少し不安になった。記憶では1時間足らずで到着するはずだったのだ。道行く人に尋ねた。
「畑中はまだまだずうっと下ですよ、2キロはあります」
誠実そうな青年は直立で答えたが、その目は笑っていなかった。僕は改めて自分の服装を見直した。何処の誰かもわからぬ、全身黒づくめで無精ひげの初老の男だ。礼を言って早々に立ち去った。
5時、畑中は記憶の村ではなかった。呆然と立ちすくんでいると、初老のご婦人が通りかかった。
「ここに、T家がありませんでしたか?」
「ひとつ、道向こうですよ。でも、今は誰も住んでおられませんよ」
僕は路地をひとつ間違えていた。
「隣の、力夫さんの家がありませんね?」
「もう何十年も前に引っ越されましたよ」
「僕は、小市野から来た…」
「あらまあ、山を越えて?もうすぐ日がくれますよ」
この時も、僕は帰り道は1時間でいけるだろうと、簡単に考えていた。ところが、そうはいかなかった。伯母にも会えず、力夫くんにも会えないで引き返す足取りは、来るときの数倍も重かった。西空を振り返ると、太陽は遠くにかすむ八代海に沈もうとしていた。足早に歩けば6時には家に着く。そう思って歩幅を広げた。
舞鴫の村落での判断ミスが、今にして思えば、恐怖の帰り道の始まりだった。舗装された県道より、村中を抜ける旧道のほうが近道に思えたのだ。バイパスとは元々迂回路を意味するのだと、勝手に決め付けて。ところが、記憶の糸を手繰り寄せていると思ったのは、錯覚だった。
気付いたときには完全に山道に迷い込んでいた。蕨野を何時通過したのかさえ記憶にない。僕は、ずっと逸夫兄のことばかり考えていた。今日は、逸夫兄の仏前に線香を上げるつもりだった。102歳の伯母に会い、隣の力夫くんに会い、逸夫兄の死因を尋ねるつもりだったのだ。
とっくに6時が過ぎ、眉月が高くなった。あの月明かりでは山道は歩けない。真上に上がる前に、あの月を背中にして東へ登るのだ。そうすれば必ず村境の峠に出る。自信はあった。ところが、急ごうとした時、右足の付け根に激痛が走った。しまった、無理に歩幅を広げたので、肉離れを起こしたのかも知れない、と、僕は何か杖になりそうなものを探した。幸いにも、誰かが切って束ねた竹があった。1本抜き出して、背丈に折り、右足を支えた。歩き易くなったが、首筋に汗が噴出した。咽が渇いた。旧道は途切れ途切れに現れ、更に1時間が過ぎた。父が心配しているだろうと手にした携帯電話も圏外では仕方がなかった。
10年前、僕の一族は未曾有の災いに見舞われた。父方も母方も、経済的なダメージばかりでなく、事故死や病死が相次いだ。逸夫兄は建設業で成功していたにも拘らず、52歳の働き盛りで不可解な死を遂げていた。僕はそのころ、毎夜飲む珈琲に睡眠薬を入れられてガタガタで、逸夫兄の死因を解明するどころか、病院送りにされる寸前だった。しかし、今なら、少しは頭もすっきりして、力夫くんや伯母上から何かを訊き出せると思っていたのに。右足がしびれてきた。肉離れではなかった。筋肉痛だ。水が欲しい、と、思ったとき、せせらぎが聞こえた。峠は近い。
僕はすべるように沢に降りた。せせらぎは、白石野川の源流だった。跪いて、流れに口をつけて水を飲んだ。噴き出した汗が冷気のために肌にべったりと血のようにまとわりついた。膝から背中にザワザワと蠍が這うような悪寒が走った。
「死のう」「死のうよ」子供の声が聞こえた。このまま流れに首を突っ込んだら楽に死ねるかも知れない。ぼんやりとそう思った僕の背中で「走れ!」誰かが怒鳴った。
僕は全力で沢を駆け上がった。こんな余力はなかったはずなのに、50年前の身軽さだった。さっきまでの疲労感は嘘のように消え去っていた。峠の県道に出ると僕は空を見上げた。眉月が優しく揺れていた。「バカたれが」懐かしい逸夫兄の声に間違いなかった。電話が鳴った。父の声が聞こえた。
「伯母さんはいなかったよ。すぐ帰る」
龍真「年の瀬に面白い体験をしたな」
朝倉「恐怖は体験した者にしかわからないから」
龍真「それは良かった」
朝倉「父も呆けたかな、伯母があの家に住んでいないことは知っていた」
龍真「あわて者の君だ、訊く前に飛び出したんだろう?」
朝倉「そうかも知れない。よし、明日は1時間で往復する」
龍真「ほんとにバカだね」
朝倉「トレーニングです」