浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

“大した話ではない”ある少女の非業の死

2004年11月23日 | Weblog
 これは大した話ではありません、恐らく。というのは、事件が起きた時も日本の新聞では目立たない扱いでしたから。そして、22日に主犯が起訴されたとの記事も、各新聞社のインターネット版を見ましたが、どこにも出ていません。だから、「大した話」ではないのでしょう。
 でも、私には確信があります。この記事が皆さんに広く読まれるべきであると。日本の新聞も、このニュースが欧米のマスコミで大きく扱われれば、「後追い」するでしょう。

 今回、この原稿を書くにあたって、あえて主なニュース源を、イスラエルの新聞「ハーレッツ」に求めました。それは、とかく私がパレスチナ寄りと見られ、中には偏向しているという声があるからです。
 
 この悲劇は10月5日の朝7時ごろ起きました。パレスチナ自治区のガザ南部に住む13歳の少女、イマーム・アル・ハマスさんは学校に向かっていました。学校は、イスラエル軍の侵略・占領によってしばしば休校になります。だから、学校好きの彼女は、家族の話では、学校がある日はとても嬉しそうに早く出かけたと言います。その日もイマームは友達を待てずに一人で出かけました。

 結果的にはそれが裏目に出たのかもしれません。イマームは一人で学校に向かい、軍監視所に近付いていました。しかし、監視所から100メートル位になったところで、監視所の兵隊の目に止まった彼女の姿は、爆弾を仕掛けに来た「テロリスト」に見えたのです(筆者注:100メートルの距離であれば、兵士の持っている優秀な双眼鏡では、数メートル先のように人間が見えます)。兵士達は直ちに発砲する者、監視所を飛び出して土嚢に身を伏せて“敵の攻撃”に備える者と手際よく分かれ、戦闘態勢に入りました。

 無防備の少女です。百戦錬磨のイスラエルヘイにとっては、射的場の標的と変わりありません。イマームはその場で銃弾に倒れました。倒れたイマームに近付いたR大尉が不可解な行動に出ました。R大尉は地面に向かって銃を乱射したのです。事件直後、R大尉は軍に対し、少女に近付ところで、約300メートル前方から武装したパレスチナ人達が攻撃してきたので武装グループに銃撃を思い止まらせるために地面に向けて発砲したと報告しています。私に言わせれば、イスラエル兵が「敵」の攻撃を受けて警告の発砲をすることなどありえません。即刻、撃ち返します。
 
 イスラエル軍の当初の発表もR大尉の証言に沿ったものでした。ところが、良心の呵責からでしょう。現場にいた兵士から内部告発があったのです。その一部始終は、軍備え付けのヴィデオ・カメラがとらえていました。ヴィデオに映し出されたR大尉と兵士達が取った行動は、証言とは大きく食い違っていました。地面に倒れたイマームに近付いた指揮官のR大尉は、虫の息の彼女に弾倉が空になるまで自動小銃を乱射し続けたのです。そして、監視所に向かいながら弾を込めると、また振り返り、イマームに引き金を引いています。

 ヴィデオ・テープは昨夜、イスラエルの「チャネル2」で放映されました。それによると、R大尉だけでなく他の兵士達も、「10歳くらいの少女だ」という声が上がっているにもかかわらず、彼女に向かって撃ち続けています。病院関係者の話では、15発の銃弾が少女の身体に撃ち込まれていたとのことです。

 しかし、これだけのことをやっておきながら、R大尉は殺人罪には問われません。その理由を、起訴状は、彼女の命を奪った銃痕が彼の放ったものか、他の兵士が放ったものか特定できないから、としています。そして、彼が問われた罪は「違法な武器の取り扱い」だとのことです。パレスチナの人たちにとっては、なんとも切なく、やり場のない怒りを感じるイマームの死です。イスラエル軍の事後処理です。こんな目に遭わされているパレスチナの若者達に、誰が「平和の尊さ」を説けますか。基本的人権も守られていないパレスチナ人達に対して、一方的に「イスラエル人の存在を認めろ」というのが理不尽なことを世界は知るべきです。彼らの「自爆攻撃」に走る行動を責める前に、パレスチナ人の人権を軸にした和平への枠組みを彼らに提示するのが順序ではないでしょうか。自分達の住む土地を奪われ、人権を蹂躙され続けてきたのがパレスチナ人であることを世界は今一度再認識すべきです。
 


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