浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

遺体の埋葬地を巡る論争

2004年11月11日 | Weblog
 西岸地区のラマッラにある議長府の敷地内で10日、工事用作業車がイスラエル軍の攻撃によって破壊された建物などを壊し、地ならしを始めました。アラファト議長を埋葬する墓地の建設のためです。
 アラファト議長の遺体の埋葬については、病状が急変してパリに飛んだ時から内外で様々な議論や憶測が飛び交いました。最初は、イスラーム教の聖地であるエルサレムに埋めるとするパレスチナ側に対して、ユダヤ教の聖地でもあるイスラエルにとっては、それは許されぬこと、とイスラエル政府は猛反発。「彼が生まれたガザに埋めればいい」と突き放しました。ご存知の方もいるかもしれませんが、アラファト議長は、自分はエルサレムで生まれた、としてきましたが、イスラエル国内では「アラファトの生まれたのはガザ」との考え方が定着しています。
 イスラエルとパレスチナ自治政府が、エジプトの仲介で落ちついたのは、まずはエジプトのカイロで葬儀を行ない、その後、ラマッラに遺体を移送するという折衷案です。
 ここ5年で求心力を急激に失ったとはいえ「パレスチナ革命の父」の死です。パレスチナ全土で多くの人が彼の遺体を出迎えることでしょう。

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