浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

大統領府襲撃事件続報

2005年04月02日 | Weblog
 昨日お伝えした15人の武装グループによる「大統領府襲撃事件」の詳細が判明したので、既報情報の訂正を含めてお伝えします。
 15名の武装ゲリラ達は、大統領府の中に住んでいた「アル・アクサ殉教者旅団」のメンバーで、外部から大統領府に銃撃を加えたのではありませんでした。大統領府(英語では、President's office、アラビア語ではムカータと呼ばれる)は、広大な敷地にいくつもの建物が立ち並んでいます。そこには、アラファト時代からですが、多くの武装兵たちが寝起きを共にしています。今回行動を起こしたグループもその数百名いる兵士達の一部でした。
 イスラエルは2002年には大統領府を戦車隊で包囲、容赦ない攻撃を加えました。建物に立てこもったアラファト議長は徹底抗戦、一時は「討死」「拘束」の誤報も流れるほど緊迫した状態になりました。それだけに、「同じ釜の飯を食った」兵士達の連帯感は強く、アラファト氏への忠誠心も他に類を見ないものでした。
 兵士の一部はイスラエルから指名手配をされて身柄の拘束をパレスチナ側に要求されています。今回問題を起こしたグループの内6名もイスラエルの「テロリスト一覧リスト」に名を連ねていました。これまではある種のパレスチナ自治政府の庇護の下にあった彼らも、和平路線を推し進めたいアッバース体制にとっては邪魔な存在でしかなくなりました。しかしながら、だからといって、6名をイスラエル側に引き渡せば、大混乱が起きてしまいます。そこで、彼らに大統領府からの退去を命じたのです。
 それに怒った6名と同志が暴れ周り、敷地から排除される際、大統領府内で銃を乱射(といっても、空中に向けての威嚇射撃)したというわけです。彼らの怒りはそれだけでは収まらず、ラマッラの商店街に行って何軒かの店を襲撃しました。
 今のところ、15名が治安部隊や警察に拘束されたとの情報はありませんが、これまでに混乱を招いたとして、数名の治安関係者幹部が辞任に追い込まれました。辞任については、表面上は幹部が責任を取って自ら辞表を提出したとなっていますが、アッバース氏の怒りを静めようと自治政府が首を切ったというのが真相のようです。
 今回の“暴走”は、これに留まることはないでしょう。大統領府内にいる戦闘員は忠誠心の塊のような連中ですから、仲間が「冷たく切られた」となると、今後の展開次第ではアッバース体制への自らの姿勢を変えることも考えられます。もう少し違った対応が考えられたのに、アッバース氏も拙い手法を取ったものです。

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