ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

井ノ頭通りを往く 吉祥寺から和田堀給水所 

2021年02月07日 | TOKIOの道と川
(これまでの話)村山貯水池から一直線の多摩湖自転車歩行者道を境浄水場まで行ったらその道はいつの間にか井ノ頭に変わっていて一直線は更に続いているのだった。

吉祥寺は知人のライブを見にちょいちょい来ているのですが、考えて見るとライブハウスと井の頭公園に行く道しかほとんど歩いたことがありませんでした。
私が若かったころから若い人に人気の街として知られていましたが、数十年かけて更に磨きがかかっているようです。

1970年代に建てられた丸井のビルって何かデザインに強いクセがあります。

井ノ頭通りで南東に歩いて行きます。しばらくはどこの交差点で見ても左右に伸びる道は緩い下り坂になっていて井ノ頭通りが尾根筋であることが分かります。

そしてどの道も見える範囲は長い直線。環七くらいまでは明暦の大火の結果として開発された武蔵野新田の地割の形がしっかり残っています。
水道管敷設用地から井ノ頭通りが作られたのはそれよりずっと後のことで、江戸時代の武蔵野新田の開発時にすでに井ノ頭通りとなる道筋があったのかは不明です。

環七交差点の少し手前に年金機構の本部が。まもなくお世話になります。よろしくお願いします。

環七を越えて。

浜田山駅入り口のあたりで僅かですが初めて道路が僅かに南側に折れます。(分かりにくいけど右に僅かに曲がっている)

方南通りとの分岐点。ここから新宿の熊野神社まで続いています。方南通りなんて知らないと思っていましたが山手通りとあの清水橋のサークル信号で交差する道でした。

またまた長い直線道路との交差点。信号には荒玉水道道路と書かれています。荒玉水道というのは世田谷区の砧から多摩川の水を野方配水塔大谷口の給水所に運ぶための水道です。
全て後付けですが、この数年間のお散歩の結果がいろいろ繋がっていきます。荒玉水道道路。いつか踏破せねばな。

永福町を過ぎたところに水道局和泉庁舎。立派です。いつもお世話になってます。

水道局和泉庁舎の先で道路は突然がくんと下り坂になります。

道路部分はかなり嵩上げされているんですが、それでもこの窪地を真っ平らに超えることはできていません。

この傾斜の底にあるのは神田川。多摩湖自転車歩行者道で石神井川を越えるのに馬の背と呼ばれる土手を作っていましたが、それよりも遥かに高低差のある障害です。

ということで地形図。井ノ頭通りが神田川と善福寺川の間の台地の頂点を通っていることがよく分かります。そしてゴールの和田堀給水所の僅か手前に神田川の渓谷が。
井ノ頭通りに沿っての断面図を貼りつけておきました。神田川の手前より和田堀給水所の土地の方が標高が高い。それでも水はちゃんと運ばれていたわけです。
伏せ越しなどで出てくるサイホン効果ってやつなんでしょうか。今度水道局の人に質問しよう。

和田堀給水所の少し手前に和泉水圧調整所のタンク。これは2年前の玉川上水歩きの時に写真を載せています。玉川上水と境和田堀線の二つが交差する場所なのでした。

和田堀給水所。最初は明治30年代から玉川上水の水を淀橋浄水場に送る水路があった所です。
大正期の水道拡張事業で村山貯水湖から境浄水場を経て送水路が敷設されて和田堀浄水池として完成。送水路の上に作られた井ノ頭通はその後渋谷まで延伸されました。
その際に浄水場を大きく迂回しなければならず道路としての利便性に障害がありました。現在、老朽化した貯水池を解体し、道路を直進させる工事が進行中です。

すでに敷地の一部を削って現在の道路を少し移動させようとしています。この事業は目の前にある井の頭線を高架化させる事業ともリンクしています。

突き当りで給水所の敷地に沿って右に曲がる井の頭通り。これもまもなく見られなくなる風景の一つです。
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