
呑川から台地に上がる途中、最初に見えて来る真っ黒な建物が大岡山北3号館(環境エネルギーイノベーション棟)。
環境エネルギーの最先端を研究する研究施設として、前面に張り巡らされた太陽電池パネルで棟内のほぼ全ての電力を自給自足で賄います。
建物の真正面で東急大井町線と目黒線が立体交差しているところはまるでプラレールでも見ているかのようです。
ブログでは何度も東村山周辺での西武線の路線図が意味不明と書いていますが、この近辺の東急4路線の絡みも普段利用しない人には分かりにくいでしょうね。

坂道を登りきると大岡山駅。その対面に見えるのが東京工業大学のシンボル、博物館・百年記念館。1987年ですから35年も前の作品です。
設計は東工大の建築学科で30年以上教鞭をとった篠原一男。メタボリズム後の日本建築界のリーダーとされた大物ですがここで名前が出るのは初めてです。

シリンダーと呼ばれる半円の筒が最上部に突き出ています。

逆側の坂道途中で撮った写真で東西の両面で飛び出ていることが分かります。

3階の談話室。シリンダーが建物内部も貫通しています。

正門正面に回ると主に留学生との交流やワークショップのために建てられたToki Plaza。地下に続く階段と、左の階段状の外壁が印象的。
建物と地形の境界線が曖昧なこちらの建物は2020年の隈研吾事務所の設計。

外壁でもあり通路でもありコミュニティスペースでもあるユニークな造り。内部もすごそうでしたが学生証がないと入れませんでした。残念。

2本のV字の脚て中空に浮いたガラスの建物が東京工業大学附属図書館。

正面に回るとすごい角度のトンガリ物件でした。設計は東工大の安田幸一研究室と佐藤総合計画との共同設計。2011年竣工。

Toki Plazaを左に回り込むと両側に桜並木のウッドデッキ。桜の木を囲むように置かれたベンチが気持ちよさそうです。

ウッドデッキ左に建つ事務局1号館は先ほどの百年記念館を設計した篠原一男の師匠である清家清の作品。1967年。55年経っても古びることのないデザインがさすがです。

台東区蔵前にあった東京高等工業学校が関東大震災で被災し大岡山に移転。7年後に大学への昇格が決まり、官立大学の震災復興事業として建てられたのがこちらの本館。
設計は東工大学内に設置された「復興部」。昭和9年に完成した校舎は第2次大戦の空襲から奇跡的に逃れて、現在は国登録有形文化財となっています。

異なる色の石を合わせたアーチ式の玄関がきれい。白いタイルの外壁で内田ゴシックとの差別化を図っています。内部の階段室にはスクラッチタイルも使われています。

横から見た玄関。本館から南西に下り斜面になっているおかげで横浜方面まで見通しがあります。

大物を3つ見たのであとはのんびりキャンパス内を散策。新旧の校舎が混在する中でこちらは昭和11年の大岡山南実験棟2。鮮やかに塗られた扉が素敵。

扉が開いていたので中を覗かせてもらいましたが、見えているの翼の断面。
どうやらこちらが鳥人間コンテストで2連続を含む5度の優勝を誇る名門、東工大Meisterチームの作業所のようです。

大岡山南5号館脇の草むらの中にロボコン発祥の地の石碑がありました。ロボコンは昭和57年にここ東工大でスタートしたのでした。
最初の課題が乾電池2本で人を乗せて規定の距離を走りぬくタイムレースだったので、記念碑は2本の乾電池の形をしています。

やたらと巨大なタンクが並んでいるのが理科系大学の特徴です。

キャンパスの南のはずれ見晴らしの良いエリアですがあまりこの辺りまで来る学生は多くなさそうです。中央のビル群は中原街道沿いの雪が谷大塚付近。

こうやって見ると学生の服装だけでそれが1980年なのか2020年なのか判別するのは意外と難しそうです。理科系大学だと特にそうかな。

大岡山西一号館(旧分析化学実験室)。本館と同時に有形文化財に登録されたロマネスク風の2階建て校舎は本館より古い昭和6年の完成です。

本館前の芝生広場。終戦後はこの斜面で芋などを栽培していたそうです。

図書館の背後から東急の線路を越えて大岡山北キャンパスと結ぶ富士見橋。
画面中央に見える黒い環境エネルギーイノベーション棟の左にがっつり富士山が見えるらしいです。
ということで久しぶりのキャンパス散歩は清家清から隈研吾まで、まるで建築博物館のような東工大の大岡山からお届けしました。
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