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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

新国立競技場建設地 2017年4月クレーンがいっぱい

2017年04月29日 | 新国立競技場ができるまで



クレーンがいっぱい。国立競技場建設地。


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新国立競技場建設地 2017年1月

2017年01月14日 | 新国立競技場ができるまで

東京体育館の裏のデッキから眺める建設工事現場。基礎工事が進展していて驚きました。


競技場トラック外周がおよそ想像できそうな楕円の周囲にブルーのビニールシート(?)で覆われた法面ができていました。ちょっとズームします。


建設予定地は手前の道路面から奥の絵画館・神宮球場方向に斜面になっているのですが、道路側をフラットに均して、奥との高低差を観客席の一部として使うような感じです。


敷地一番右側は高い部分を掘削する工事の最中でした。けっこう大量に掘り返すんですね。旧競技場よりそれだけ工事面積がでかいってことです。
仕事で宇田川町に行く時は、絵画館前からこの場所に沿って、この写真の左から右に向かってすーっと仙寿院の交差点まで下りていっていたのでした。


その仙寿院の交差点から。左が国立競技場あと。右が消滅しつつある例のアパート。また変なの来るといやなのでもう固有名詞は書かない。
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新国立競技場の工事現場はここから眺めよう

2016年11月15日 | 新国立競技場ができるまで
注:2016年の記事です。今、役に立つことは何も書かれていません。
何年たっても検索してアクセスされる方が多いので・・・なんか申し訳ないです。



様々な紆余曲折を経て隈研吾デザインに決まった新国立競技場。都知事選挙だ、豊洲の市場だ、ボート場だ、トランプだと次々に人々の興味対象は移り変わり、
ここ数か月は誰も国立競技場のことなんか話題にしていないように思えてしまいますが、工事は密やかに着実に進展しています。
でも大きな建設現場のぐるりが白いフェンスで囲まれていて、中を見ることはなかなか難しい。なんとか良い場所はないかお悩みの方はこちらはいかがでしょう。

JR千駄ヶ谷駅前の東京体育館。少し高台にあるこの建物の一番裏手にあたるところに国立競技場の建築現場を見下ろす格好のテラスがあります。
普段はほとんど人気のない場所です。この時はどっかの役人か議員団みたいな人たちがグループで来ていていわゆる「視察」ってのをやっていたようですが。

同じ場所から振り返ってから見る東京体育館。槇文彦設計のこの建物は裏から見てもなかなか未来的でかっこいいです。

現在の現場はこんな感じ。まだどこがどうなるのかさっぱり分かりませんが、建物の形に添った整地が思ったより進展していました。

3枚の写真を繋げてパノラマにした全景図。少し大きめに貼っておきます。パソコンで見ている人はスクロールになるかも知れません。

建設予定地の西側、外苑西通りからはこんな階段でテラスに登れます。

近くのビルの上から見下ろせる人を除けば、国立競技場の建設現場をフェンスの外から見ることは難しいです。たぶんこの場所が唯一じゃないかな。
そのうち工事が進んだ時には、人気スポットそして見物人が押し寄せるんじゃないかと予想しています。ご興味がおありの方はまだ知られていない今のうちにどうぞ。

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こちらのテラスですがブリッジ工事に伴って現在は閉鎖されています。(2018年11月追記)

詳しくはこちら
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給水塔とピンクの油圧ショベル

2016年08月06日 | 新国立競技場ができるまで

ブログを長く書いているとたまーにおかしな人がコメントを残したりします。
神宮外苑近くにあるこのアパートのことも、何度か写真と記録を残しているのですが、先日も意味不明なコメントを書かれたのでその記事は非公開にしてしまいました。
「あなたは この××町がなぜ団地になったということを知っているのか?知らないでしょう。」という謎の決めつけで始まるコメントでは
私のことを「あなたみたいなオリピック万歳の人」と呼び、その日記が書かれたことを怒っていました。

2014年のその日記の本文ではそれなりの調べをした上で
「1964年の東京オリンピック開催に際して競技施設建設予定地の住民の移転先として建設されたアパート。
40年の時を経て、この場所が2020年東京オリンピックのための新国立競技場建設計画の対象地域となり、再びの移転と直面しています。」
って最低限のことは書いてあるんだけど目に入んなかったのかな。

暑さと雨続きでこの道を自転車で通るのも久しぶりでしたが、解体工事はこの3ヶ月の間にずいぶん進展していました。
白いフェンスに囲まれている中を覗いて見たいと思っていたらおあつらえ向きの場所にあったのが最初の写真のすべり台。登ってみましょう。

1.5m登っただけで塀の上から覗き込むことができました。9棟ある建物の内、神宮球場に近い方の3棟はすでになく。

4月のこの場所はこうでした。以前は建物二つの奥にあって見えていなかった給水塔がぽつんと取り残されています。

基本的に目の前の事実に対してなるべくニュートラルな立場を装って文章を書くようにしています。何かについて反対だの賛成だのはできるだけ表明しない。
その理由は省略しますが、まあ一つにはあまりはっきりと主張をしてそれと反対の立場の人の刺激をしたくないというのもあります。
それでも、「再びの移転と直面しています」なんて文言にはある程度の負の感情が込められてしまうものですが、日本語解読の不得手な人が読めば
「あなたみたいなオリピック万歳の人」になってしまいます。やれやれ。気分は村上春樹か。

ここにもいたか菊建興業のピンクの重機。

それにしても、デザインの決まった国立競技場の建設予定地、更地になってかなり経ちますがいまだに荒れ地のまま柱1本、プレハブ1つとして立つ気配がありません。
奇しくも今日がブラジルリオデジャネイロオリンピックの開会式。この競技場はいくらでできたのかな、などと思いながら見ていた人もいるでしょう。
4年後をちょっと想像してみますが何も風景が想像できません。
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都営霞ヶ丘アパート 2016年春

2016年04月18日 | 新国立競技場ができるまで
明治神宮はずれにある都営霞ヶ丘アパートのことを書いたのは2014年の2月。
あれから2年と2か月。コンペで優勝した設計案は二度書き直されてから白紙撤回されてまったく別の案になりました。
国立競技場が更地になり、日本青年館が更地になり、アパートの住民はどこかに退去して、そしてザハ・ハディドが亡くなりました。そんな2年間。

前にこのアパートの写真を撮って日記を書いた時、なるべくわかる範囲の事実だけを書こうと思いました。
古き良き風景を残そう的なノスタルジーや、二度もオリンピックに生活を壊される老いた住民を守ろう的なニュアンスが出ないように気をつけたつもりです。
そんなこと通りすがりの部外者がその場限りで思ったってしょうがないことです。私は単に自分で見た風景をデータに残したいだけ。

今回2回目の日記。当たらない天気予報に振り回された二日間の写真です。

詳しいことは分かりませんが人の気配は消えていました。私が知らない間に住民の退去が済んでいたようです。誰も見ていない八重桜がきれいでした。


人のいないアパート。と言っても2年前もそれほど人には合いませんでしたが。道を挟んだ向かいがサザンオールスターズのアルバムが録音されるビクタースタジオ。


カオスのような緑地帯も重機で掘り返されて更地になっていました。アパートの解体工事は4月から12月と貼り出されていました。


建物のことは仕方ないと思いますが、ここにある立派な桜の木が伐り倒され掘り返されていくところは想像すると切ないです。




そういえば先日何かのバラエティ番組に猪瀬元都知事が出ていました。動いている姿は久しぶりに見ました。最後に見た時はカバンにお札が入るとか入らないとか実演してました。
なんとなくそのあたりからいろんなことがずれてきているような気がします。


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新国立競技場の技術提案書 2案を公表

2015年12月14日 | 新国立競技場ができるまで
本日午後、新国立競技場のデザインと基本設計案が2種類公開されました。
初めてコンクールで一位になったザハ案を見たあの日から2年半、国家的な迷走を見守って来ましたがやっと、やっと次のステップに進めそうで一国民としてとてもうれしく思います。
早速公開された基本図面から眺めて行きましょう。

A案



提案チームの片方が大成・隈研吾・梓設計、もうひとつが竹中・清水・大林・伊東豊雄・日本設計という組み合わせだそうで、なぜだかどっちがどっちかは伏せられていますが、
最初の画像を見ただけでこちらが隈研吾さんと分かります。
・外壁に植栽がもじゃもじゃしている。彼がデザインした池袋の新しい区役所と同じです。
・片持ちの屋根を支えているトラス構造が木造チック。
・室内のラウンジやテラスの天井や壁に集成材を使ったヒダヒダがいっぱいある。
ということで、こちらが隈研吾さんプランに決定。


B案



こちらも伊東豊雄デザインで間違いないですね。整然として凛とした全体の造形。屋根のうにゃうにゃした曲線。こういうのは隈研吾さんのには登場しないので。

大きな造形の違いは隈研吾さんのA案が下ぶくれ、B案伊東豊雄さんのが逆円錐。
隈研吾さんのが大屋根と室内で木造を使って和を強調、伊東豊雄さんのは外側ぐるりを取り囲む数十本のぶっとい角柱が中が鉄筋ですが外側がカラマツの集成材だそうです。
隈研吾さんのは観客スタンドがの斜面の下側をいろいろな空間として利用していますが、伊東豊雄さんの方はスタンド下のかなりの部分が開けたままの様な。

個人的にはどちらもかなりいいと思いました。さすがです。施工会社とのチーム編成でプランが作られていて、このどちらを選んでも1500億円程度でこのような競技場ができるのだとしたら
今まで感じていた無力感や焦燥感もかなり薄れるというものです。まあまだ手放しで安心はできませんが。

で、個人的には僅差でB案推しです。やはり高さ50mの木製(っぽい)列柱が見てみたいという理由から。
さあ、さっさと決めてどんどん作り始めよう!

そういえば、昨日の拓殖大学の紹介で、このブログで初登場した梓設計が、隈研吾さんチームで二日連続で登場。奇遇というのはそういうことなんでしょうか。
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哀しいコスト削減プラン

2015年05月21日 | 新国立競技場ができるまで

5月18日。国立競技場だったところ。一週間くらい前にニュースになっていましたが、これで地上にあったすべての建物の撤去が終わりました。

その夜にこんなニュースを見ることになるとは。(注:この日記は18日に書き始めていました)

2020年東京五輪・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の整備問題をめぐり、
下村博文文部科学相が18日、東京都庁で舛添要一都知事と対談し、建設コストの抑制や工期短縮を目的に整備計画を見直すことを明らかにした。

当初計画していた8万人収容の一部を仮設スタンドとし、五輪後に5万人規模へ縮小。
20年東京大会と前年の19年ラグビー・ワールドカップ(W杯)の時点では屋根を設けず、五輪終了後に設置するという。


心の底からがっかり感を味わいました。

初めてデザインを見た時の残念さや、その後の建築界内部での非難の嵐、その中でのコンクール審査委員長の無責任な逃げっぷりなど不快な気持ちで見守りながらも、
それでもニッポンはやるときゃやってくれるんだろうと、のろまな亀と言われたザハ改定案もできてみたら意外とカッコいいのかもしれない、、、
と、不安以上の期待感を持って見守っていたのですが。

とりあえずお金も時間もないから屋根はなしと。

もはや見栄もプライドもなくなってしまったのかな~。
でもこのまま見栄とプライドで突っ走れば、それこそもっと取り返しのつかないことになったんでしょう。

どこで間違っちゃったのかと振り返れば、やはり2012年秋のデザインコンクール。
新国立競技場のサイトには今でも誇らしげに審査員評が掲載されています。
その中に「橋梁と云うべき象徴的なアーチ状主架橋の実現は現代日本の建築技術の粋を尽くすべき挑戦となるものである。」という一節がありますが、
とりあえず日本はその挑戦に敗れてしまったということです。
結果として無謀な挑戦へリードした審査員長始め審査員の方たちは、専門家でありながら幻想だけで作品を選んでしまったことに対して
一度くらいは何らかの意思表示を見せて欲しいものです。

屋根なし+仮設席で一度仕上げて、五輪後に屋根をつけるということは当然一度で仕上げるより総コストは上がります。
屋根を設ける目的に、今後コンサートなどのイベント会場として利用することがありますが、その採算性については当初より疑問視されていました。
五輪後に本当に屋根をつける日が来るのか、甚だ怪しいと感じます。五輪後に「屋根をつけないことにする」という発表がされる可能性は決して低くない。

いずれにしても2020年には屋根はなし。
五輪の開会式の日にこの競技場についてTVのアナウンサーはどう語るんでしょうか。少なくとも「コンクールで選ばれたザハのデザインで」とは言えないでしょうね。

ということで期待が大きかっただけになんとも残念なこととなりました。が、これまでとは違う気持ちで神宮ウォッチは続けていきます。

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日本青年館 解体工事

2015年04月21日 | 新国立競技場ができるまで

日本青年館の裏側。こちらが道を隔てて国立競技場に向き合っているあたりです。
階段を上ってさらに塀の上に立つと、国立競技場の内部が地上から見るよりかなりよく見えます。落ちると危ないです。


で、この左手のホールのドアが少し開いていたんです。そういえば青年館も解体されるんだったと思い出して中に入って見ました。


電気が消えていてあまりよく見えませんがおそらく奥のガラスの辺りが正面入り口なのではないかと思われ。
というのも私、日本青年館で何かを見たり聞いたことってとうとう一度もなかったので中の様子を知らないんですね。


ホールの中には照明灯が点いていました。かつてドリフターズが毎週全員集合していたあのステージ。


新・日本青年館のtwitterから借用した写真です。
現在の青年館(二代目青年館)から撮影した新青年館(三代目になります)の工事予定地。もともと何面かのテニスコートがありました。
100mほど青山通り寄りに引っ越して2年後(2017年)初夏にオープン予定だそうです。

そのころはまだ国立競技場も神宮球場もラグビー場も工事の真っ最中。
おそらく神宮一帯がはしっちゃかめっちゃかになっているんだろうな。がんばれ、日本の建築隊。
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国立競技場 取り壊し工事中

2015年04月18日 | 新国立競技場ができるまで
少し古いところ(3月30日です)の写真から貼って行きます。

外苑の絵画館前に一番近いあたりです。工事用パネルの間に本来見えるべき大きな壁がない。正面に代々木のNTTタワーが見えている不思議感。


ちょこっと敷地内を覗きこんで見ると、異様にだだっぴろい荒れ地とマンモススタンドの断面図。


日本青年館の方に回って来ると超ヘビーデューティ仕様のトラックが何台か。この巨大な建築物を壊した瓦礫がいったいどこに運ばれていくんでしょうか。


日本青年館の裏手に階段と塀がありましたので上に登って少し広い範囲を眺めてみました。
入札ごたごたで解体工事の発注先が決まらず、工事がどんどん遅れているというニュースを聞いていたのはそんなに前のことではないのに
一度始まってしまうと、これだけのスピードで壊してしまうんですね。


最大級の重機が何台も。鋭い爪で容赦なく建物の皮を剥ぎはらわたを食いちぎって行きます。


わすかに残った部分ですが、すっと立つ白い照明塔はまだ日本最大の競技場であった誇りを忘れてはいません。


千駄ヶ谷方面の残りはわずかにこの部分だけです。こちらでも驚くような高さの肉食の首長竜が巨体に取りついていました。
ちょっと今日、文体がアレですが、実際いこれが動いている場面を見た時には僅かですが恐怖に近い感覚があったのは事実です。

そして、それから2週間たって一昨日、4月16日の国立競技場だったところ。

もう全体見渡しても残されているのはこの一角だけです。照明塔も姿を消していました。


千駄ヶ谷体育館まえはほとんど更地になりました。一仕事終えた重機たちの群れが首を垂れて一時の休息をしています。

最近の発表でしたが、この後神宮球場や秩父宮ラグビー場も取り壊して、それぞれ位置を交替して建て替えるんだとか。
国立競技場だけでも少なくない反対意見が飛び交う中、作ろうとする側は案外とパワフルにやるべきことをやると決めているかのようです。
これがいわゆる「粛々と」ってやつなのかな。これからも応援寄りの傍観者として神宮を見守っていきます。
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ザハ・ハディド展

2014年12月05日 | 新国立競技場ができるまで
初台はオペラシティのアートギャラリーで開催されているザハ・ハディド展、見てきました。

どのような人がどのような経緯を経て国立競技場をあのようにデザインすることになったか、そこに提示された作品としてのプランの背景や骨格をもう少し知りたいと思っていました。

『本展が、初めてザハの名を目にした方から初期よりご存知の方まで、鑑賞者それぞれの視点でザハの建築を体験し、その思想に触れる機会となることを願っています。』
というのがアートギャラリーからのIntroductionです。
国民の多くがサハの案に対してそれぞれに賛成・反対に分かれている中で、この展覧会がどのような立場で開催されているのか、それも人によって感じ方は様々だと思います。
私自身もこの展覧会はオリンピック委員会側の擁護派としての後押しがあるのではないかと思いながら会場に入りました。でもそんなことはあまり関係なく面白かったですが。

展示されている造型は確かに極端に斬新でした。彼女の知性とイマジネーションの巨大さを充分感じることとなりました。(会場内写真はhttp://www.fashion-headline.com/より)

極度に未来的にデフォルメされたような建築模型は一つ間違うと1970年代に書かれたSF小説のカバーデザインのように軽々しく陳腐に見えるものもあります。
ですが幅20m違法ある巨大スクリーンに投影される映像で実際に建てられた建築物を見ると、良い悪いを超えて未体験の空間への畏怖だけで心がざわめきます。

つまるところ造型、デザインの趣味は私には合いません。無駄が多すぎる。特に建築の過程での労力や困難さを尊像してしまうと素直な目でそこにあるものを見られなくなります。
だけどそれを押し通して完成させた実物大の空間は是非にでも見に行ってみたい。おそらくは息をのむような体験が待っているのではないかと期待しています。




展覧会では最終コーナーを使って新国立競技場のプランを紹介していました。
磯崎新に「列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」と評されてしまったかわいそうな修正案ですが、いくらなんでもそれは言い過ぎ。
元々、ザハの案を選び出した選考委員の一人ですので気持ちはわかりますが、それは自らの美意識を過大評価しすぎです。それに亀の愛好家を敵に回したかもしれません。
ちなみに磯崎新は元のプランに固執しているのではなく、決定後の批判をすべて伝えた上でもう一度ゼロからプランを考えてもらう立場です。
中途半端な修正では建築家の本質が失われてしまうと。それは理解します。でも問題は時間ですね。新たなプランを大急ぎで考えたとして
それが何の反対もなく大多数から受け入れられるかどうか。その保証がないというのが怖いところです。新プランでまたゼロから議論が始まるのは困ります。

実際のところ今はどうなっているのかな。なんでもそうなんですが流れに反対している人の声ばかりが大きくて、
実際にそれを進めている人たち(いるのか?)の声がまったく聞こえてこない。まだまだはらはらする日々は続きます。


展示してあった建築模型。(写真はwww.fashion-headline.comから)
こうしてみると霞ヶ丘アパートはもちろんだけど日本青年館ごとなくなってしまうのね。(写真中央ちょい右の星形の緑地帯が青年館と都営霞ヶ丘アパートのある場所です)
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新・国立競技場メランコリー

2014年10月10日 | 新国立競技場ができるまで

10月8日の国立競技場。使用されなくなった競技場周りは植栽も放置されていて、すでにうっすらと廃墟感が漂っています。


千駄ヶ谷側の正面ゲートでは東京オリンピックの優勝者の名前を刻んだ銘板の取り外し工事が行われていました。


1枚の石板の大きさは縦2m×横1m。取り外して保管して新しい競技場に併設される予定のスポーツ博物館に展示されるんだそうです。


1枚の重さが300kg。1日に外せるのが1枚程度。全部で54枚を今年いっぱいかけて取り外します。正直、全部保管しなくても数枚あればいいんじゃね?って気もします。

その新しい競技場ですが設計コンペの結果発表直後から始まったごたごたが現在でも全く収まっていないようです。
日本でも最大規模の建築物をあと4年程度で完成させなければならないのに、この時点で多くの問題点が解決を見ない様子。

1年前にコンペで優勝したザハ・ハディド案を見た時にはblogで「キライな形」と書きました
ただそれと同時に私ごときの好き嫌いを飛び越えた世界に誇れるような素晴らしい競技場ができればいいなという大きな期待感もありました。

ところがこれに対して国内の有力な建築家たちが即座に反対意見を表明し始めました。
最初は主に景観とコストの問題から。コンペ参加資格のハードルが極端に高かったことや審査の経緯も不信感を増加させました。
その後ややコンパクトになった修正案が出されて、今ではそれに向かって準備が進んでいるのかと思っていましたが実際はそうでもなかったようです。

先週、シンポジウム『新国立競技場の議論から東京を考える』が日本建築学会のイベントのひとつとして開催されました。
昨年のザハ案発表直後から反対派の筆頭の立場で説得力のある論を提示していた槇文彦氏がこのシンポジウムでも中心的な存在。
一方、設計コンペの審査委員の立場だった内藤廣氏が「敵役」として登壇。審査委員長である安藤忠雄氏が出ない代りに、ということでしたが若干お気の毒な気もします。

現在の案がかかえている問題点はこちらに槇氏のプレゼンテーションが分かりやすくまとめられていますので興味がおありの方はそちらをお読みいただければと思います。

ザハ案の問題点として
『巨大な開閉膜屋根は可能か?』どうやら物理的に無理っぽいらしい
『芝の育成はできるのか?』光が足りないらしい
『高温多湿』半透明部分近くの客席がが真夏のオリンピックで死ぬほど暑くなるらしい
『日よけ』それを防ぐ日除けの設置も難しいらしい
『イベントホールとして成り立つか?』残響特性や振動対策などホールとして使い辛いらしい
『コスト分析1』『コスト分析2』オリンピック後の維持費管理費のコストがハンパないらしい
『無蓋案はどうか?』
とまとめられていますが、槇氏としては今のプランを白紙にしてでも合理的で実現可能性の高いシンプルな「普通の競技場」にすべきと考えているようです。

一方、内藤廣氏は選定のプロセスを反省しつつも既に後戻りはできないところまできているという立場。
なんとか日本の技術を結集して上記の問題解決に向かいたいと、まあ審査委員としてはそういうしかない、辛いところでしょうね。
正式な国際コンペで優勝と発表した案を破棄するというのは国際的に見れば確かにこの上なくみっともない。とはいえ面子にこだわって玉砕するのも悲しすぎる。
本当は安藤忠雄委員長が登場して槇氏の揚げた問題点の画期的な解決策を披露してくれれば一番いいんですが、本人はもう嫌になっちゃったのかもな。

もう、進むか戻るかどうしたらいいのかわかんないよー。ただたた憂鬱で心配。メランコってます。
ここ数年、ブラジルやロシアでの競技施設建築の遅れを高みの見物で眺めていましたが、ついにそれが他人事でない、我が国の問題として起きてしまったわけです。
これは辛い。1年かけて問題が深刻化、複雑化しただけだったんですね。

どうか、5年後に「最初はいろいろあったけど最後には世界に誇れるいいものができて良かった~~」と言える日が来ますように。
とりあえず神社に寄った際には必ず願い事として祈ろうと思います。
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さらば東京オリンピックの聖火台(誤)

2014年04月04日 | 新国立競技場ができるまで

4月2日。
国立競技場の一番高いところで数人の人がなにやら動いている。
聖火台の写真を撮っている人もいるようだ。なになってんのかな~と思いながら何か胸騒ぎ模したので1枚だけ写真を撮った。

そして、3時間後にまた横をとおったら、、、、、

聖火台がなくなっている!
なんてこったい、今日が聖火台を撤去する日だったのか! ウワァァ-----。゜(゜´Д`゜)゜。-----ン!!!!

ちょっとした喪失感を持ってまた走り始めたら、次の照明と照明の間にさっきと変わらずにちゃんとありました、聖火台が。

見てたところが照明1本分場所が違ってたんだね。落ち着け、俺。

ちなみに翌日の新聞で知りましたが、上の写真で聖火台の周囲に人がいたのは

>>2020年東京五輪・パラリンピックに向けた協議のため、国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ副会長が2日、来日し、
>>建て替え予定の国立競技場(東京都新宿区)などを視察した。(ヨミウリ・オンライン2014年04月02日 21時09分

ということだったようです。

最初の写真アップにしてみます。

この中のどれかがジョン・コーツ副会長。
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都営霞ヶ丘アパート オリンピックで生まれた街角

2014年02月01日 | 新国立競技場ができるまで


静かな団地の風景。


遊ぶ子供のいない公園。一見するとどこにでもありそうな郊外の団地の風景ですが、
2枚目の写真中央の赤い建物が日本青年館で右端に少し見えている円形状の建物が神宮球場と知ると、この場所がただならぬ場所だと分かります。


都営霞ヶ丘アパート。

1964年の東京オリンピック開催に際して競技施設建設予定地の住民の移転先として建設されたアパート。


40年の時を経て、この場所が2020年東京オリンピックのための新国立競技場建設計画の対象地域となり、再びの移転と直面しています。


周辺を含めた地図です。赤い線で囲われた地帯が新宿区霞ヶ丘町。左下の黄色く塗られた場所が霞ヶ丘アパート。


2012年夏に新国立競技場の設計コンペを発表する安藤忠雄氏が赤マジックで囲った開発地域の下端に霞ヶ丘アパート10棟が含まれているのが見えます。


当時はどの団地にも必ずあった給水塔。今は水道管の水圧が増しているので不要のはず。


40年前は相当にモダンでハイテクで文化的な生活を約束されていたアパート。オリンピックがなくても老朽化への対応は避けられない状態です。


隣りにある7階建てのマンションの外廊下から「空撮」することができました。
ここが消えゆく風景でしたら貴重な1枚になるかも知れません。


もう1枚。こうしてみると半分程度が空家のように見えます。
写真を撮らせてもらったのは外苑ハウスというマンションですがこちらも1964年築。
商業施設やホテルは大きなものでもどんどん平気で取り壊されますが、集合住宅となると「住人の生活」があるので建て替えの難易度は上がります。


近くにほとんど店はありません。住民の生活をこの「外苑マーケット」が支えてきました。


メインスタジアムのデザインや建設費で議論がある中、この場所の具体的な開発計画などは未定のようです。今度の都知事選の結果によっても左右されるんでしょう。
2020年。7年はあっという間に来てしまうような気がします。


霞ヶ丘アパートのすぐ南にある都営原宿アパート2棟と都営神宮前アパート(同じ敷地内なのになぜかアパート名が異なる)の方が先に解体が始まっています。
(地図で霞が腸の少ししたに青い線で四角くかこった場所です)。
この辺りにはこれ以外にも古いアパートがいくつか残されていますが、オリンピックを契機に大きく変わっていくんだろうと思われます。
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国立競技場Inside

2013年10月13日 | 新国立競技場ができるまで
来年には取り壊し工事が始まる千駄ヶ谷の国立競技場。
しょっちゅう横を通っているのにそういえばこの中に入ったことってなかったなあ、入りたいなあ、何かいいイベントはないかなあ・・
というような話の流れで申し込んだ「第6回東京夢舞いポタリング」。
第14回となる夢舞いマラソン大会と同時開催で、マラソンとほぼ同じコースを42kmほど走りました。

が、その前にそもそもの目的であった国立競技場の「建築見物」です。
まもなく失われてしまう東京の遺産。ノーコメントで10枚ほどご覧ください。(実は疲れて文字を打つ気力がないだけなんですが)





















とりあえず国立競技場の写真を撮っておくという目的が叶って満足満足。
ポタリングの写真はまた別途。
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国立競技場Outside

2013年09月09日 | 新国立競技場ができるまで
2020年のオリンピックが東京に決まりました。
2020年と言うと私は秋に定年を迎える予定の年です。

決定の前日、9月6日にいつものように四谷から神宮外苑経由で原宿に向かっていました。
信濃町の慶応病院の前から外苑に入って絵画館前を横切って国立競技場を右手に見ながら日本青年館の角を下っていくコースです。

そういうば国立競技場って建て替えるんだっけ・・・と思って1枚だけ写真を撮りました。


これはオリンピックの東京開催が決まらなくても建て替えは決まっていたんだっけ。どうだったかな。

考えて見ると、私はこの競技場に足を踏み入れたことが一度もありません。サッカーとかラグビーとか見る習慣がないしコンサートも特に縁はなかったです。
ブラタモリで国立競技場をかなり詳しく紹介しているのを見ました。面白かった。
これ、壊しちゃうんだっら、一度中に入って眺めておきたいですね。何か無料の大会はないかな。

・・・・と思って調べていたらなかなかいいのがあった。

東京のんびり自転車散歩 第6回 東京夢舞いポタリング
会 場:国立競技場
参加資格:サイクリングを愛し理解するすべての人。自己責任において安全に走歩行できる人。
種 目:ポタリング(42.195キロ)車道左側を交通規則を守って走行する。



だそうです。
コースは国立競技場(スタート)⇒絵画館⇒青山通り⇒最高裁判所⇒国会議事堂⇒日比谷公園⇒みゆき通り⇒歌舞伎座⇒築地市場⇒月島(もんじゃ通り)⇒晴海大橋⇒
東京ゲートブリッジ⇒三つ目通り⇒木場公園⇒亀戸香取神社(勝運商店街)⇒東京スカイツリー(おしなり商店街)⇒靖国通り⇒神保町⇒靖国神社⇒神楽坂(商店街)⇒
早稲田通り⇒新宿御苑正門⇒国立競技場(フィニッシュ)


うーん。なんか仕事中にぷらぷら走っているお馴染みの場所ばかりだ。出てみようかな。次の日休みだし。今なら40kmくらいはそれほど苦にならないはず。
国立競技場から話がそれてしまった。いや、それてないか。このポタリングで国立競技場を今年中に体験できる。


こちらがコンペで優勝した新しい国立競技場のデザインだそうです。ザハ・ハディッドさんというイラク出身の女性の建築家です。
この絵からの印象だけで言うと、キライな形。まるで車のデザインの最初のラフスケッチとか、自転車のヘルメットみたいだな。
中学生くらいがスケッチしそうな造形に見えてしまいます。はたしてどんなものができるのか。2018年完成だそうです。すぐじゃん。
意外といいものができたりしたら「でも最初にデザイン観た時はキライだったんだよなー」と言おう。



コメント (4)
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