ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

オフクロとフクロウ

2013-04-15 15:10:11 | たららん記 
「旅行のお土産ほどもらって困るものはない」

母親が昔っからよく言っていた
何をもらっても大抵困るものが多いし、

絵はがき、何かの置物
ご当地グルメ、
「ベトナム!!」
いつ使えばいいのかわからないアクセサリー
大きく書かれたTシャツ

もしね、地元のスーパーに置いてたとしても
絶対に手をださないものを平気で買ってくる
ことに散々文句を言っていた。


「ほんと困るのよね、
人生、死ぬときに必要なものなんて
ほんとうに少ないんだから」

これもよく言っていた。
確かに実家の母親の荷物は
実用品以外はほとんどない
衣服も僕が着なくなったものを
きていたりする。


そんな母親から
ベトナム帰りにもらったお土産がこれ




散々文句を言ってきた
今までもらったお土産たちに
誤って欲しい。


母親は30歳の俺が
このバッグを嬉しそうに使って
いるところが想像できたのだろうか?

死ぬときに必要なものが
これだと思ったのだろうか?


俺「今まで散々、お土産なんていらない
どうせ使わないんだからって言ってたのに
なんなん!!?このお土産??」


母「え、かわいいじゃん!!」


俺「こんなの持って歩けないっしょ!!」


母「似合うと思うけど、じゃあ、部屋に飾ったらいいわよ!!」

俺「、、、。」

別にこういうの買ってくる人って
沢山いるし、だから売ってるんだし
そういうのはわかってるんだけれど、
散々お土産反対派を豪語してたのに
このセンスのお土産を買われると
若干のいかりを覚える

母、つよし。


issyの暇の過ごし方 予告編

2013-04-15 12:39:02 | ぼくらのありのまま記
issyの暇のつぶし方

最初にイッシーと出会ったのは
15年前の夏僕が高校生のころ。

当時イッシーは20代半ば、
実家の中野で暮らしていた。

海が好きで、小笠原諸島に行きたかった彼は
新聞で

「小笠原でのこどもキャンプ
 ボランティアリーダー募集!!」

との広告を発見し、無料で小笠原にいける!!
と思い、東京代々木に事務局がある
キャンプ団体にリーダー登録をしにいく。

僕はそこで彼と知り合った。


当時の暇つぶしとしては
ボクシングにもはまっていたので、
常にジャージ姿でボクシンググローブを
肩にぶら下げていた。

「俺、プロ目指してるんだよね」彼は言った。

24歳でプロを目指してボクシングを始めた?
本気でプロを目指すなら、
遊びで小笠原に行ってる場合じゃないはずだよな。
ロン毛だし、ジャージなのに香水キメて
そのグローブ、モテたいために持ってるだけじゃねーのか?
定職も就かずなにやっているんだ?この人は?

ちょいちょい話すようになって、
ジョークにしては、真面目な顔していってるし、
食事だって鳥のササミとパスタしか食べてないし、
毎日走ってるし結構ストイックじゃないか?

「なんだ?この人は??」

出会いから、今まで知り合ったことのない
「ノンジャンル」なオトナとしてインプットした
彼の印象は15年たっても、その感覚は変わらずにいる。


専門学校をでて、勤めた先で談合屋をやらされて、
会社のために捕まりたくない!!
と思ったイッシーは2年ばかりで会社を辞める。

そのあとは自称「投資家見習い」として
貯めたお金を資産運用しながら
日銭を稼ぎ、何かを成し遂げようとすることもなく
人生という長い長い「暇つぶし」を送っている。


出会って15年が過ぎ、40歳の彼は
現在、マレーシアに移住し
ラグビーのコーチをしながら
「暇つぶし」の毎日を忙しく過ごしている。



あの時のグローブは
マレーシアでコウモリ退治に
大活躍だそうだ。


「ありのまま記」
第一弾として
「イッシーの暇のつぶし方」をお送りします。

暇のつぶし方、マレーシア人の話し。
外人枠を利用してまでも、モテたい話し。
ゆるーく、だいたいの人生を、真面目に生きているイッシー。

なれないとわかっているけど、
イッシーみたいになりたいです。

お楽しみに!!

目次
第1回「食いっぱぐれないマレーシア」
第2回「暇がつぶせて、親より長生きできればいい」
第3回「目の前の練習を「やりきれるか」」
第4回 「「いま」しかない、」
第5回「気持ちは常にオオカミ」
第6回「いいんだよ、だいたいの人生なんだから」
最終話「こうも簡単に人生終わるものなのか」