猫あるあるシリーズの2回目。
今回のテーマは『猫を飼うと、自らを客観視できるようになるというが、本当か⁉』。これは多分、本当だろうと思います。
猫は、一緒に住んでいる人間をよく観察しております。恐らく、自分が安心して寝るためには、同居している人間の現状をよく観察して「今はバタバタしているなぁ」とか、「これから出かけるのか」とか、「これから昼寝をするつもりだな」などと、相手の状態を理解したうえで、人がバタバタしてそうな時は、踏まれそうな床では寝ないで高台に登る。また、人が出かけたあとは、ゆっくりと安心して、居間のフロアを独占してお腹を出して寝る。という具合であります。
そして、この猫の観察は、人間のとても深いところまで察する力を秘めております。
毎日毎日、同じ人間を観察し続けていますから、ちょっとした心境の変化や、元気がないとか、逆に浮かれているとか、すぐに見透かされます。ワタクシなんぞは、調子に乗って粋がっていようものならば、うちのもなか姫はその状況を見逃さず、もの凄い形相で噛みついてきたり、両脚で蹴り蹴りしたり、してきます。
いきなり噛みつかれると、「なんでやぁ?」と理由を聞きたくなりますが、すぐに思い当たる事象が脳裏に蘇ってきて、「あ、そうか。ワタクシが調子に乗り過ぎていたのか!」と気付かされることが多々あります。
うちのもなか姫は、すぐに噛みついてくるので判りやすいですが、もう少し温厚な猫ちゃんですと、ジッとこちらを見つめたまま、近づこうとしなかったり、暫く遠くから眺めているばかり、という態度になるようです。
前にも申し上げましたが、猫は人間とは対等な関係にあります。エサを貰っていても、それは正当な対価であり、その分、猫は人間の心の隙間を埋めてくれます。そもそも、猫は人間が飼い慣らした家畜ではなく、猫の方から人間を利用するために近づいてきたと言われています。その昔、人間が農業を開始して、農産物を保管する倉を造り始めると、そこにはネズミやリスなどの小動物により農産物が被害に逢うようになりました。ところが、ある時、被害に逢う倉と、被害に逢わない倉があることに人間が気づいて、その理由が「猫」だったのです。猫は人間の住居近くに、猫のエサになる小動物が集まる倉に気づいて、猫の方から人間に近づいてきたらしい。
こうした猫と人間の共生関係は、人間の住居からネズミが消えても、また別の形で『対等な共生関係』が続いているのです。
猫からすれば、同居する人間が、共生するに値する存在か否かを、常に観察しながら判断しているということなのでしょう。ある日突然、猫ちゃんが家から消える時、それは、ひょっとすると、貴方自身が猫ちゃんから『共生するに値しない』と、三下り半を叩きつけられたのかもしれません。
猫を飼うと、自らを客観視出来るようになる。
というよりも、猫に常に観察されている状況下、猫のお叱りによって、自分の至らなさがすぐに判るようになる。という方が正確かもしれませんね。