Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

イチナンナサッテマタイチナン

2019-09-30 22:18:09 | 日記
 土曜日、オフクロとオヤジの見舞いに行くために実家に。
姉貴から連絡があった「プレミアム商品券の引換券探し」が大事なミッション。家に着いて、オフクロから事情徴収。相変わらず「分からないな。思い出せないな。」まっ、仕方無い。と思いながら、封筒の束を手に取ると、二枚目に「プレミアム付商品券 交付決定通知書」って文字。
これだ!見つかった!なぜ、姉貴は見つけることが出来なかったのが不思議。まっ、色々忙しいから仕方無いか。
 見舞いに向かう途中、姪から電話。仕事が早く終わったから、じいさんに会いたいとの電話。駐車場で待ち合わせると返す。
んー、どうだろ?今まで孫1号、2号、5号、6号とも全員、キッパリ忘れさられていた。姪は孫4号、収容前まで一番長く接していた。それでも不安だよなぁ。
 病棟に着くと、いつもの通り自分は病室に行って衣類の補充。一仕事終えてから、オヤジ、オフクロ、姪が顔を合わせているいるホールに行くと、姪が「グスン、グスン(ノ_・、)」って。
「あぁ、やっぱりか!」孫との対面は、孫達の顔を忘れられた五連敗。いつものとおり「はじめまして!」って。姪は「ある程度覚悟してきたけれど、こんなにだとは思わなかったな。」って。
 あまりの落胆に、掛ける言葉は見つからなかった。仲良くしていたじいさんが顔を忘れているなんてな。やっぱ見舞い止めるべきだったのかなぁ。逆に、自分のじいさん、ばあさんがこんな感じになったときの免疫が出来たのかも知れないが。
 退院後のことを、帰りの車の中で話した。オフクロは、少しでも治ると思っているみたいだが、進行の速度が速いか遅いだけなんだよな。
 オヤジは入院して、一ヶ月経ってようやく慣れてきたみたい。オフクロと二人で住んでいた時みたいな、自分がやっていることが一番正しい!みたいな時の口調に近づいてきた。逆にこれヤバいよな。
 一難去ってまた一難。出口はまたまだだよなぁ。。

世の中一喜一憂

2019-09-25 02:32:06 | 日記
 日曜日、今年のメインイベントであった「あきた内陸リゾートカップ100kmチャレンジマラソン」だった。
 苦しみながらも、制限時間13時間内にフィニッシュを迎えることが出来た。まだ三回目の出場なのだが、一応三回とも完走している。
 初回は、右も左もわからずガムシャラだった。昨年も子供の入試合格の願掛けだったので、絶対にリタイアは許されるものでなかった。
 今年は願掛けの理由はなかったので、いつリタイアしてもおかしくなかったのだけれど。
 考えてみれば、
・両親の認知症悪化
・自分の右総腸骨動脈瘤
 と練習不足には持ってこいの事件が発生。
 我ながら、よくフィニッシュ出来たものだと、自分自身を誉めてやりたい。実際、家に帰っても、昨年同様、カミさんと息子からは労いのひとことなんて無い。
 トレーニングに絶好な週末は、オフクロとオヤジが入院している施設に通院。早いもので二ヶ月になろうとしている。
 医師からは、「まだ、手術適合サイズでは無いので、急激に血圧があがるようなスポーツ以外だったら制限はしません。」
 両親の世話だけだったら何とかなりそうだけれど、自分がどうなっていくのか理解出来なかった。どこまで体を動かしていいものやら、どれくらい負荷をかけていいものやら?って。
 こんなクレイジーなレースだから、終わってから、エントリーした皆と余韻に浸ることなんて、一部の人間だけなんだよな。
 昨年、一昨年より、だいぶ走行距離が少なかったのに、昨年並みのタイムを出すことが出来たな!って思う。
 筋肉痛は不思議なことに過去二年間と比較すると、かなり弱い。
「中々いい感じで九月を終わることが出来そう!」って思っていたところに、一昨日の晩にオフクロから電話。
 「今日って、何曜日だっけか?」と。薬の量を確認するためだった。
姉貴が一日ずつ服薬カレンダーを作ってくれたのだが、どうやら九月の残日数と合わなくて電話をかけてきたようだ。
 確認しようとするくらいだから、まだましなのかなぁ、って思っていた。
 昨日、姉貴から「低所得世帯向けのプレミアム商品券が届いていたはずなんだけれど、封筒は空いていて中身が無かった。知ってる?」って。そういえば、そんな制度があったよな。でも、オフクロからは何も言われてないし、書類も見ていない。おまけに電気屋さんへ支払い忘れが数万円ある、って言われる。
 あー、こりゃ限界が近いよな。認知症外来の医師から言われたとおりだ。オヤジを入院させなければならなかった。オヤジが居ないから進んだのだろうか?それとも、子供たち二人が見逃し三振が多すぎだったのか。。。
 人間の記憶領域なんて、決して戻ることが出来ない、砂の城が風にさらされて、少しずつなくなっていくようなものなのかなぁ。
現実なんだよな。介護なんて想定外の色々な問題が出てくる。
 これって、進んでいくと様々な体の部位に痛みが出てくるウルトラマラソンのレースと同じ。違うところはリタイア不可能!っていうことだよな。仕方無い、一歩一歩焦らず急がず進んでいくしかないな。










よく解らないよな

2019-09-17 22:48:05 | 日記
 今週末のマラソン大会の向けて、ローラー台で自転車のペダルを回しているときに、オフクロから電話。
 何でも来月始め、町内会の秋の集まりがあるから、会長から出てくれって言われたとのことだった。残念ながら来月は仕事で週末も勤務になりそうなんで断った。それより、今日の生活ゴミ収集日にちゃんと出したか心配だった。「ちゃんと出したから心配すな!」って言われても、実情を見なければなぁ。
 ホントに最近思う。オヤジを入院させてよかったものかと。それぞれの細くなっていく契りを外圧をかけて、もっと細くしてもいいのか?
 繊維なんて、力を掛けられればそれなりに強くなる。見舞いに行く度に、薬が効いてきたのか、合ってきたのか、オヤジの認知症進行の速度は遅くなったのかな?と。
 妻、子供を忘れたオヤジなんて、認知症のマックスなんだろうなぁ


けーろーのひ

2019-09-16 23:25:58 | 日記
 今日は町内会の敬老祝金を届ける仕事のお手伝いをした。
あまり顔を合わせない方々なんで「不審者」扱いされるんでは?
と思ったが、そうでもなかった。
 人間なんて、悲しいもので「お金が貰える」って思えば、人を疑わないのかもなぁ。そうはいっても、日常生活で顔を合わせているお年寄り宅には行き易々かったけれど、交流の無い方々へはねぇ。。
 75歳以上が対象なので「オレもそうなったんだよな。この前まで配る係だったんだのになぁ」っていう声も。みんなひとつひとつずつ年をとるのだけれどな。
 昨日もオヤジの見舞に連れていった。午前中に山中に入ることがあり、茸を持って実家に。オフクロから食用、毒のジャッジをしてもらう。三種類のうち、シロは二つだったみたい。ただ、この二つは歳を取りすぎて食えないわけではないが、あまり上ではないということだった。
 自分が帰宅してから両親の新しい介護認定が到着したと姉貴から。認定度を意識して施設を探す、オヤジを帰宅させて老々介護させる、自分が実家から通勤する、かはアタマの痛いところ。オフクロの一緒に居たい気持ちは痛いほど解るが、うちら姉弟にとっては大問題。
 オヤジが家族の誰も認識しなくなれば、オフクロも判断がつくと思うけれどな。
 介護度1のオフクロから「あの茸食べなかったべ!」って、電話が掛かってくる。そんなことはちゃんと覚えているんだなぁって感心ていうか、納得っていうか





祭りも終わり

2019-09-12 23:20:34 | 日記
 年に一回の、祭典が終わった。自分は産まれてからこの祭典が一年のサイクルみたいな。当然入院中のオヤジもなんだけれど。三日間の祭りの初日にオヤジに会いに行った。「帰る!」「連れてかえれ!」とか言われたらどうしよう?って思いながら病棟に。
 まだ自分とオフクロのの顔の認識はしていた。祭典について何かいうのかな?って思いながら居室に行って洗濯物の入れ替えを。
 オフクロと二人で話していたホールに「今日は令和一年X月X日」ってホワイトボードに書いていたが、祭典が終わったとか全然気に留めてはいない。
 まだ、オフクロとオレの顔は覚えているようだ。急に飼っている犬の名前を言ってみたり、時々ドキリとさせる。帰り間際の握手の力は80代とは思えないほどの力強さ。
 二十代の頃に仲が良かった人が見舞いに来てくれた、と仕切りに喋る。昨日も来てくれたっ!て。
 残念ながら二人とも存命してないのだがな。オフクロはオフクロで今日、顔を合わせた直後の記憶は消え気味。帰りの車内で会話をしていると「すぐに、オヤジのレベルに追い付きそうなんでないのか」って思うくらい。
 こんな状態のオフクロにオヤジを預けていれば、医師が叱った通りのこと以上なことになったのかも。
 ホントにいつまで続くか解らないもんだよな。