Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

って、何がおもしろいの?

2012-09-29 09:33:09 | 日記
夏の疲れから、アップをし忘れていたような秋の入り口。
先週の今日、くされ縁の友達から7年振りに連絡があり、総勢5人で酒を飲むことにたなった。まぁ、男も40を過ぎれば、腹の出具合と頭髪が気になるってわけだ。
オレは7年前に、彼の劣化具合を指導していたわけだが、今となってはオレの五百円玉大のエンケーの方が凄いことになっているわけで。
禿から体形まで、イロイロなツマミが揃った飲み会となった。
その友達は法要で戻ってきたのだが、いろいろディープな試練を受けるために来たらしい。こんなに大変なケースは初めて見聞きした。人各々の生活、価値観はある訳で。
ただ、?と思ったことがあった。
メンバーの中の一人が、オレの痩せた理由は?と聞いてきたので「自転車」と答えた。「自転車っておもしろい?ただ進むだけだろっ、」と言った。
確かに最近は、オレの周りは自転車礼讃している連中が多い。楽しい飲み会でこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
ここで、ああだ、こうだ語ってみても、理解出来る連中ではなかったから、そのあとは「一番、優しい有酸素運動だから減量もらくだぜ。」で終わらせた。
うーん、彼らの喜びは何なのか、所謂オレとの価値観は決定的に違う。
彼らにオレの共通点を探して妥協するには疲れるだけだと思った。まぁそれなりに家庭っていうものを持てば変わってしまうだろうが、基本的に育ってきた環境が全然違うんだろうな。
客観的、即席に分析してみたところ、人は自分以外の何かしらに自分を投影し、されることで、喜怒哀楽を感じることができれば「面白いこと」になっているような気がする。
それがゲームであったり、息子、娘のサッカーの試合であるのだと思う。
満足という影が「月」からであるか「太陽」からであるかの違いなのだろう。己が他人より秀でる、ないしは同じという陰を生じさせる場合が太陽なのかも知れないし、他人はどうであれ、陰そのものの変化に喜びを与えるのが月かも知れない。
だとすればオレは月からの光だと思う。この与野には「太陽」と「月」どちらもあるから、人間は時間を知ることができ、「喜び」「悲しみ」、怒ったり、泣いたりする。
太陽の明かりと月の灯りは、誰にでも平等に照らす。だから、これからも自分の意思のとおり進んでいかなければなぁ、と思った九月の夜。若干、腹立たしいことはあったけれども。