Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

連休中の自転車オヤヂ(初心者マーク)

2011-09-25 17:51:28 | 日記
一応、3連休だったが2日しか自転車オヤヂ(初心者マーク)になれなかった。わけのわからないまま、職場の先輩に薦められて自転車を6月から始めた。ロードタイプである。週末の朝、自宅を出発して、2,3時間で帰ってくるコースを、一週間かけて考えながらペダルをこいでいる。始めるにあたって、本を読んだりしたが、こぎ方なんて実際、やってみなければわからないもんだなと。始めた頃は10kmでゼーゼーしていたが、一昨日は75kmまで距離を延ばすことができた。自宅から道の駅往復みたいに判りやすく、交通量の少ないコースをとるようにしている。


国道を走らないようにはするものの、少しは通過してしまうが、場所柄広域農道という、素晴しく無駄な道路がいくつもあるのでそこを利用するようにしている。一昨日は、後ろから車が来たな、と思って普通にペダルを踏んでいたら、いきなり耳元で「ワンッ!」と犬の吼える声!何がおこったか一瞬わからなかったが、犬が車の窓から顔を出していて、自転車オヤヂを怪しいものと判断して吼えたのだった。ビックリして転倒まではいかないもののフラフラしてしまったことは内緒にしておく。自転車をやりだしてすごく身にしみたのは「風」である。追い風、向かい風の影響は、自動車を運転している時と違い、モロに影響を受ける。そして、天気はもちろんのこと、時間帯によっても、全然違うことがわかった。始めてから1ヶ月あたりに山のコース走っていたら、後ろから、車のスピーカーのような音が聞こえ、「先ほど、この地区でクマが出没しました。通行は十分注意してください!」と、なんとパトカーだった。「うわっ、こりゃヤベぇな、上り坂で追いかけられたら、絶対おいつかれるな!」と思い、峠を上りきらずに途中でUターン。後からわかったことだが、クマが養鶏場に出没した場所は自分が通行した場所より、ずっと奥だったらしい。それ以来、そのコースには行っていない。
昨日は50kmほどのコースにした。海岸沿いのルートにして天気予報で風に状態を把握したつもりだったが、実際は南北逆の方向になっていて、往路は向かい風、復路は追い風でそれなりの影響をうけながら、ペダルを踏んだ。


国道がメインだったルートになってしまった。自分ではアップダウンがあまり無いと思っていたが、結構、あってビックリした。そして、国道に合流する地点でスピード違反の取締りをやっていた。何か、対向車がやたらパッシングするなと思っていたら、大きな橋の欄干と同化するような置き方で測定器を設置していた。オレの後ろの大型トラックはグィーンと追い越していったが捕まらなかったようだった。「トラックの運転手さんごめんなさい。もし、捕まっていたらオレのせいだよね、」とか思って、取締り地点を通過した。もし、あの時、オレが50kmくらいで測定器の前を通過すれば、捕まっていたのだろうか?道交法で軽車両の最大速度は40kmだったような。でも、初心者なんで50kmなんて、下り坂でもまだ出せやしない。そうこうしているうちに、外は白いものがちらつく季節になるんだよな。そしてまた寒さの中で、明るい新しい何かがやってくると思いながら暖かい春を待たなければいけないな。

昔のこと

2011-09-24 14:15:55 | 日記
故郷の秋祭りが終われば、もう冬まっしぐら。居間にはストーブが偉そうに座り始めてしまった。そういえば、庭の秋梅菊も一つ咲いた。

この花は春に一番早く目を出し、花は他の花が終わった頃に咲き始める。この花を見て、今年の秋祭りのことを、ふと思いだした。20数年前の祭りで、俺の友達が喧嘩をして、救急車で病院に運ばれた。今じゃすぐに新聞記事になるが、その頃はそうでもなかった。当然警察沙汰になった訳だが、相手はわからず終い、というかその頃は祭りの喧嘩に警察はタッチしないという、暗黙のルールが存在していた。そいつは家に出入りしていたんでその話を聞き、オフクロと二人で病院にいった。うちのオフクロはそいつを凄く気に入っていて、実の息子みたいに扱っていた。病院でそいつと対面したときは、ボロ雑巾のように殴られ、顔が普段の倍くらいになっていたような気がした。オフクロはそいつの顔を見るなり、すぐに手を握り、「○○大丈夫だが!いで(痛い)がったべ!」と泣きながら叫んでいた。何だか、俺も涙が出てきた。オフクロの涙なんて、この5,6年前の姉貴の結婚式以来見たことがなかったから。左頬の陥没骨折だったような記憶が。殴った相手もかなりダメージはあったのではないのかな。当時、そいつもヤンチャなことをしていたが腕っぷしはイマイチだったから、多数にやられちゃえばあれくらいにはなるだろう。そして、次の年からオレの家に顔を出さなくなり、連絡も途絶えがちになり、「友達」から「知り合い」くらいの関係になっちまった。祭りの時期になるとオフクロは「○○の顔見ねば、祭り来た気しねぇな」とずっと言ってたものだった。最近は言わなくなったが。まぁ、どこかの場所で一回、顔を見て安否を確認したらしいんでね。また5,6年前から、そいつと祭りで顔を合わせ、話はするようになったが、二人ともあの事件のことは避けていた。オレとしては「あんなに心配かけたのに、ゴメンの一つもないのかよっ!」と腹に思いながら、話しをしていた。それが今年、そいつから「あん時は迷惑かけた。今でもホントに申し訳なく思っている。母さんとか、みんなになぁ。」とボソボソ語り始めた。一瞬、何を言っているのか解らなかったが、そのあと、胸の奥からじわ~と熱いものが込みあげてきた。一瞬、涙が出そうになり、「こいつもやっと普通の人間になったんだな」と思った。返す言葉は見つからずに、「そんな昔のことは忘れたな」と返した。そいつがどう思ったか知らないが、急に年をとったような瞬間だった。
こんな会話がなければ、あの出来事はこの画像のように旬が過ぎた「ししとう」みたいになったんだろうなと思った今年の祭りだった。

今日って敬老の日なんだっけ?

2011-09-19 21:51:19 | 日記
ハッピーマンデー政策後の9月は連休に突入しても、祝祭日の感覚がよくわからなくなってきている。基本的に老人というのは何歳からなのかよぅわからないしな。三連休の最終日の今日は家族で水族館に行ってきた。


完成当初から、なぜ水族館に白熊がいるのかよくわからなかった。現在、参議院議員である当時の知事が、意固地のなって白熊展示に熱弁を奮っていた記憶はある。せまい、エリアの中をぐるぐるまわり続けている白熊を見ると憐れさの方が強くなってくる。このまま地球温暖化が進めば、明らかに白熊の生息地域が無くなるだろう。しかし、狭い場所で一生を暮らすこともどうなんだろうなとも思う。


そして、見合いのために別の♀の白熊も展示されていたが、どうも、前回のペアリングは失敗したような感じの録画映像がながされていた。下のテロップには年齢が表示されていた。クマの14歳って、人間の何歳にあたるのかなぁ?絶対老人なんだよなと思いながら、水族館を後にしてきた。
帰りに自動車を運転しながら、敬老の日を迎えたある老人の一言が頭をよぎった「私たちは、敬老とは言われていますが、今まで頑張ってきて現在の生活ができるようにはなりましたが、まだまだ、世界には貧困、戦争地域などまだまだたくさんあります。人類みんなが平和に暮らして生きるようにならなければ他人から敬われる資格なんてありません」といったことを。振り返ってみれば、自分はこんなことうぃ考えて生きてはいない。いまのこんな時代に過ごすことができることも、こんな考えのセンパイ達がいたからこそなんだなと。
まぁ、そんな考えが始めからあれば、「このごろケータイの充電がうまくいかなくてよぉ!」とか、電話をかけてくる、一応敬老基準の70歳になったオフクロに、「それくらい、トリセツで調べてから電話くれよっ!」とか、冷たくあしらったりする自分の考えを明日から改めなければいけないなと思った2011年の敬老の日だった。

針、数字、カウント、平等の共通点は

2011-09-17 15:22:15 | 日記
花は誰のためでもなく、季節という時間に追い回されるように、芽を出し蕾をつけ花を咲かせて種をつくり、人知れず枯れ果て一生を終わらせる。


一日は二四時間、一週間は7日、誰にでも平等に訪れる。ただ、有効に使うことができるかできないかは別である。時計の針に追い回される人、ただただ、数字を数え続ける人人さまざま。
時間ていうものを、時に、人は、言い訳にしたり悪用したりする。実は誰にでも平等にあるものではなく、本当は作り出しているものかも知れない。
作り出せない場合の言い訳が「時間が無かった。」「忙しい」とかだったりするのではないのかなぁ。この頃そう思うようになってきた人間は、既に生まれ落ちた時から、蟻地獄みたいな時間の中を、大きく腕をまわしたりして、もがき続けているような気もする。
時には、愛というなの石、希望という名の石、怒りという名の岩。
いろいろ落ちてくるのかな。そして行き着く先は何処なのか誰もわからないんだろうな。
わからないから面白い。判ったふりをしたがるから辛くなるのかな。
まぁ、嫌なことがこれからちょっと続きそうだけれど、時間に身を任せて過ごすとする。
なんだ最後の〆は故テレサ・テンの歌かよ。

キーボード叩いているからってついったーばっかりやっている訳じゃねぇんだよ。

2011-09-11 19:09:41 | 日記
最近、子供とカミサンPCに向かっていれば、TLでバカ話しかしていないと思われている。
そんなこたぁどうでもいい、今日は9月11日なんである。飛行機がワールドトレードセンターに突撃して炎上した映像は、今でも目に焼き付いている。この911の二年前に新婚旅行で近くを通過したという思い出も、もろくも崩していった。急いで二つの個性的なビルが写った写真探してはみたものの残念ながら二枚ほどしかなく、いっそう無念さが強くなったものだった。
今となれば何だったのか、判明された部分とよくわからないまま月日がいたずらに過ぎてしまったものに、別れてしまっているような気がする。事実と真実の境目はどこなのか?それは、ことしの311でも露呈してきている。多メディア時代に突入して事実は判明されてきてはいるものの、事実経過にいたる真実は誰もしらない。多メディア時代になって、知ってはいけないこと、声を大きくしなければいけないことの方向性は道徳心で理解はできつつも、その道徳心さえ危うい世の中になっていきそうである。しかし、ボクらは人間なのである。真実、事実、も大事だが、人を信じるということが、一番大事なのかなと。現実はシステムの中の歯車にしかなっていないものだが、そんな部品だからこそ、信用、思いやりというバグをしかけて、よりよい方向にしていくことができるのも、システムを作った人間だからこそ可能なのではないのかなぁと。命を落とされた方々へあらためて、ご冥福を祈るとともに、真実を解明して、狂ったシステムのバグ修正をしていかなければならないのが、生きていくための人間の使命なんではなかろうか。
今日、地区運動会で911、311を含めて、子供たちの平和、生命に関わるメッセージを空に飛ばした。半分くらいしか気流に乗って昇っていかなかったけれど、この子たち、孫たちも安全に過ごすことができる世界になってほしい。